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最終章 星降る再会
先に進む足音が、私たちの命を救った頭領の言葉と共鳴していた。『黄泉ヶ淵』への道は近い。しかし、手元に残されたのはただ一枚のかわらけだけ。
心配していた通り、緑のエプロンを纏った地蔵尊が、静かなる守護者として私たちの歩む道を塞いでいた。迷いに満ちた心が震える中、最後の一枚を使う覚悟を決めた。
水芭蕉の花が咲き誇る聖地を目指し、歩み始める。地蔵尊の温かな視線を背に、私たちは前へと進んでいった。
しかし、心の涙雨は消えなかった。目的地への近さを感じながら、白いエプロンを身に着けた地蔵尊が再び私たちの進路を阻んでいた。もう手元には通行手形となるかわらけは残されていない。私がどうすべきかと自問自答を繰り返す中、由香の無邪気な笑い声が、心の暗闇を照らす光となった。
「ママ、大丈夫だよ。諦めないで、私についてきて」
娘の言葉は、救世主のように私の心に響いた。彼女と手を繋いで歩いていくと、地蔵尊が微笑みながら関所の扉を開けてくれました。私たちは念願となる『黄泉ヶ淵』に辿り着いたのだった。
目の前には、世の中の穢れを全て洗い流したかのような、見たこともない景色が広がっていた。雨上がりの空気が澄み渡り、心地よいせせらぎが届いた。清らかな小川には、水芭蕉の花が優雅に蕾を開いていた。私たちの訪れを待っていたかのように、薄紅色に頬を染めていた。
それは、かって私が夢に描いたものだ。花嫁が挙式の際に身に纏う白無垢と綿帽子のように純白で清楚な美しさだった。
日没が迫る中、祐介との再会を待つ時間が限られていることに不安と期待が交錯する。清らかな小川の畔に立つ私たちは、祐介との再会を心待ちにしていた。
夕焼けに染まる空が広がり、儚げな蛍の光が風に誘われるように川面を舞い始める。いささかのさざ波を立てながら、一艘の和舟がゆっくりと私たちに近づいてきた。その舟には、忘れられない笑顔の祐介が乗っていた。彼の姿は月明かりに照らされ、幻想的で美しかった。
私たちは手を振り、祐介が川岸に近づくのを待っていた。「ずっと会いたかったよ」と呟きながら、待ちきれずに彼に駆け寄った。祐介は穏やかな笑顔で応え、私と娘の手を交互に力強く握りしめた。三人の心はひとつになり、遠い過去からの再会が果たされた。
「祐介に会いに来たんだから。何か言って」と私は感慨深く告げた。もっと彼に話したいことがあったはずなのに、涙が込み上げて言葉にならなかった。
祐介は言葉を失ったのか、涙ながらに笑顔で何度もうなずいた。そして、彼は自分の左手の甲を上に向け、右手で左手の甲を一度叩いてから頭をゆっくりと垂れ、全身を使って喜びを表現した。舟から降りて私を抱きしめ、初めて顔を合わせた由香を抱っこして頬ずりした。
これまで祐介の存在は遠い世界に消えていたけれど、その魂は清流に宿り、ほんの短い時間に限り黄泉がえってこれたのだ。祐介の姿が消えかかる中、私は彼との名残惜しい思いを抱えながら、娘を見つめて声をかけた。彼女にも話してほしかった。
「由香、パパに言うことないの?」
「私ね、ずっと写真を見ていたから……」
彼女は私の問いかけに短く答えて、自分の胸元を押さえながら呟いた。それは、由香の幼い子どもとしての精一杯の告白だったのかもしれない。
「パパに会えなかったけど……。いつだってここにいたんだもん」
彼女の言葉は、祐介の存在が思い出のアルバムの中の人だったことを物語っていた。そう思うと、涙がこぼれ落ち、目頭が熱くなった。
夜の帳が下り、星々が天の川を照らす中で、私と由香は再会の喜びに包まれていた。祐介の姿は、静かに輝く星のように、やがて私たちの視界から消えていった。それは、森の神さまと約束した決めごとだから、仕方ないこと。けれど、彼の温もりはふたりの心に深く刻まれ、永遠の愛となって残った。
「また必ず会いに来ます」と約束した。その言葉は、ただの約束ではなく、永遠に続く絆の証となった。由香は小さな手を川岸に伸ばし、水面に映る星々の輝きを指でなぞった。
「ママ、見てごらん。星がこんなにも輝いているよ」と彼女は目を輝かせて優しく微笑んだ。その瞬間、星のひとつが流れ、私たちの願いを天の彼方へと運んでいくようだった。
祐介が安らかに眠る聖廟の森を背にして、彼の姿が見えなくなっても、私たちは彼の愛を身近に感じていた。彼は最果ての地に眠っていたのではなく、私たちの世界の中心にいたのだ。私も世界の中心で彼に向けて愛を叫びたくなった。
「祐介のこと、絶対に忘れないから」
彼はもうこの世にはいないけれど、私たちの心の中で、そしてこの美しい自然の中で、いつまでも生き続ける。
私たちは手を取り合い、新たな旅立ちを誓った。祐介の愛が私たちを導き、未来へと歩みを進める力となる。そして、いつの日か、またこの場所で彼と再会するその日まで、私は最愛の由香とともに、この生命の旅を歩んでいく。
✽.。.:*・ 〈完結〉 .:*・゚ ✽.
最後までお読みいただきありがとうございました。
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