鎌倉以上、江ノ島未満

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「江ノ電の停車駅ってさ、全部で十五カ所あるんだって」  話題の振れ幅に確かな戸惑いを覚えながら、それでいて彼女の言葉にじっと耳を傾ける僕。 「いまからね、すっごく恥ずかしいこと言うよ?」 「うん」 「カレとの心の距離を江ノ電にたとえるなら、鎌倉から出発した気持ちはたぶん江ノ島の手前くらいで停まっちゃったんだろうなあって、そう思ったの」 「鎌倉以上、江ノ島未満……か」 「それ、なんだか映画のタイトルみたいだね」 「だとしたら、きっと青春恋愛モノに違いない」 「主題歌はサウシーがいいなあ」  鎌倉以上、江ノ島未満。心でもう一度つぶやく。彼氏でさえ腰越停まりならば、さしずめ自分への気持ちは長谷、いやせいぜい由比ヶ浜停まりといったところだろうか。何気なく思った直後、自嘲気味な微笑が無意識のうちに口元を歪ませた。  それから、どれほどの時間が頭上を通り過ぎただろう。  やがて雨はやんだ。晴れ間こそ切れ切れなものの、それまでの無慈悲たる豪雨が嘘のように、ぴたりとやんでしまったのだ。二人の二十二歳は晴れ晴れとした表情でもって雨上がりの歩道に出ると、偉く澄んだ空気の中、長谷駅へと続く道を再び歩き始めた。  道中、いくつもの水たまりを器用に避けながら、どういうわけか晴菜は笑顔だった。長いまつ毛に縁取られた涼しげな瞳を細め、ケラケラと楽しそうに笑っていた。 「晴菜、まさか変な模様のキノコでも食べたんじゃないだろうな」 「そうかもねー」 「バーカ」  つられて僕も笑う。笑いながら、過剰虹の架かる大空に願う。こんな日々がずっと、永遠よりも長く続きますように、と。  結局、江ノ島を訪れることなく僕らは別れた。  鎌倉で口にしたカルピスウォーターの数倍は濃厚であろう一日が、もうすぐ終わりを告げようとしている。  別れ際、人でごった返す池袋駅構内にて「就活がんばってね、ロックスターくん」と陽気にのたまった晴菜。地元新潟市内のキャリアショップからすでに内定をもらっている彼女はむろん、余裕しゃくしゃくの表情である。そんな同期を前に、とある中小企業の集団面接を無断欠席したばかりだという事実を打ち明けることなど到底できるはずもなく、僕は一言「任せとけ」とおどけて見せた。  一駅、二駅と、郷愁の東武東上線は住まいのあるローカル駅を目指し、ぐんと加速していく。  ワイヤレスイヤフォンを片耳にはめ込みながら、乗降口付近から何気なく見やった車窓に映るのは、赤々とした夕陽のグラデーション。印象派の絵画染みたその景色は、今日という一本の短編映画──題して『鎌倉以上、江ノ島未満』のラストシーンを飾るにふさわしい、実に作りものめいた美しさだった。 471894c3-c019-40b4-84eb-cd20e6f42333 『鎌倉以上、江ノ島未満』完
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