終末のSNS

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まったく、何がそんなに良いのだ、少年少女よ。 ああ、悪い。一概に否定するものでも無いな。私だって便利な事は分かっているよ、利点だって把握している。確かにあれは、この時代無くてはならないものだ。 これはSNSの話である。SNSの利点ってのはつまり、「類は友を呼ぶ」的な事なのだろう?自分の好きなコンテンツを検索すれば、写真や画像、動画などとしてそれが大量に表示される。現代人にとって、そういった好きなものを楽しむという時間は非常に貴重だ。 自分の求めている情報を提供しているのは、多くがそのコンテンツを同じように好む人だから、自分と似た趣味を持つ相手と繋がることが出来る。趣味の合う友人こそ長続きするものだから、コミュニケーションの為の道具としても優れた物だ。 あるいは、誰しも持っている承認欲求とかいう感情を満たす、なんて利点も挙げられる。これはさっきまでと逆の視点で、完全に提供する側の利点だ。自分の「好き」や一風変わった「普通」を他人に知ってもらう事で、それを理解してくれる人が現れた時に、自分は認められているという快感を得ることができる。 これほどまでSNSの必要性を知っている自分が不服なのは、今の若者は3つ目の為ばかりにこれを利用しているという事だ。それはつまり、なんとも自己中心的な使い方。感情を満たす、と必要な行動のようには言ってみたものの、自分の欲を満たしたいが為に他人を利用しているという事実は否定できないのだから。 見たまえ、江戸の頃には大名なんかも住んでいたという少しばかり歴史のある、情趣深いこの街が、今やこんなにかわいらしい景観になってしまっている。私の街で1番大きな駅の前には大規模なショッピングモールがあるのだが、そこからわんさか人が出てくる。また、そこらじゅうの人が吸い込まれるようにそこへ入っていく。何だか一種のテロ的なものにも見える状況だ。 これだけ抱えている胸の内を声に出すほどの勇気もない私は、一人しとしととたばこの煙に包まれる。……おっといけない、ここは路上だったな。路上たばこは法を犯さないとはいえ、間違いなく禁止行為だ。良くない、ああ良くないね……。 ならばなぁ、なぜ路上SNSは禁止されないのだろうか。 路上たばこは煙を不快に思う人がいる。それに副流煙で周りの人にまで害を与える、それが禁止されている主な理由だろうな。しかしそれなら私はSNSという妖術に動かされ、皆が「映えるから、映えるから」と買ったスウィーツなどから漂う甘い匂いが不快だし、それを嗅いだ時の脳の重要な神経とかを一つずつじっくりと溶かすような感覚のせいで激しいストレスという害に悩まされ、実際そのストレスは仕事に支障をきたしている。仕事の失敗が全てこのストレスのせいだとは言わないが、その存在が大きいのは確かだ。 あれ? もしかしなくとも私は先に「一概に否定するものでも無い」と言っていたのにも関わらず、あまりに酷に言いすぎていただろうか?悪いな、許してくれ。そこまで大人にはなれなかったのだ。 しかし、これほどまで言う私もまた、そのユーザーの一員。自分では写真やら画像やら投稿はしないのだが、インスタグラムなるもので、愛くるしい猫の写真を眺めては、日々の疲れを癒している。猫可愛い。 そう、SNSによって溜まったとも言えなくもない疲れをSNSによって発散してるのだ。なんとも矛盾的な現状に、私自身言葉を返せない。猫可愛い。だが、このループに入れば抜け出す事は容易でない。実体験だからよくわかる。なんと恐ろしいのだ、この妖術め。そしてなんと可愛いのだ、この猫め。 しかし、どうやら私がたばこと猫に浸っている間に随分と時間が経ったようだ。周りが暗い。私の休日が猫とたばことSNSに消えたと思うと何だか寂しいし、やけに短い休日だったように思う。次の電車は何時だろうか。今が、えーっと、11時20分……11時20分!? そんなはずがない! こんなに辺りは暗いのに、11時20分だって!?まさか深夜の、いや、それはさすがにない。それならさすがに私も分かるし、第一そうなればスマートフォンには「23:20」と表記されるはずなのだから。それが今しっかり11時表記ってことは、今は間違いなく午前の11時ってことになる。なのにこんなに暗いのはおかしいだろう! 雨も降って居ないんだぞ! 私は空を見上げてみる。周りのSNS中毒者達すらも今だけはスマホから目を逸らして、一丸となって空を見上げている。そこにはありえないほど大きな「何か」があって、重力問題を考えるとそれがこちらに向かってきているのがわかった。それが空を覆って暗くしていたから、私は暮れ頃と勘違いしたのだ。そして、それが何なのかもすぐに分かることになった。高いビルなんかに付けられてるモニターに、臨時速報が流れたからだ。 私は今から非常に非現実的なことを話すが、私自身非現実的だと認識しながら話しているのだから、そちらにも茶化さず聞いて欲しい。簡潔に言うと、今この地球に向かって隕石が吸い寄せられてきている。あのマンガやらアニメやらの中で地球が崩壊する時に現れる隕石が、現実に、だ。何故かとかは知らない。ただ、ニュースで言っているし、目の前で実際に体験してるし、事実ということだけは理解出来る。いや、理解するしかないと言うべきか。 というか、何故ここまで近付かれてしまったんだ。宇宙に浮かんでる衛星とかはこのデカブツを見つけられなかったのか。見つけていたなら、世界中が無駄に保有している核やらなんやらで、いくらでも……いや、宇宙まで届くのかは知らないが。まあ、そうでなくても、何かしら対策はとれただろうし。それが今の今まで対策はおろか私達一般人が知ることさえ無かったということは、気付かなかったからと考えるしか無かろう。僅少の可能性として「人々に不安を持たせないように」という政府の思いやりの線が挙げられなくもないが、そうした結果結局事前対策に失敗して今に至りますってのはあまりに悲惨過ぎる。 ただ、その事実を知る前まで、つまり辺りの暗さが原因不明だった頃の私とは正反対に、今の私はこの上なく冷静になっていた。当然といえば当然かもしれない。人は未知を恐れるが、それの正体に気づいてしまえば案外なんでもないってことがありがちなものだ。今もそうで、原因不明だったからこそ、その原因に無限に可能性を見出して勝手に恐れてしまっていたが、事実を知ってしまった今、たしかに恐怖は存分にあるが、想像ではもっと壮大で非現実的な事を思い浮かべていた。宇宙の帝王が乗った巨大UFOが……とか、突然太陽が消滅して……とか。それに比べれば恐怖の総量はずっと減っている。あるいは、もうどうしようも無いと本能で理解しているから、どうもしようとしていないのかも知れない。 改めて見ると大きな隕石だ。アニメとかで見るのはもっと小さいと思っていたが、まあ尺度、規模が曖昧なのは現実に落ちてきたのを見たことが無いから仕方が無い。それに、大抵そういうのは隕石が落ちて来る落下点からではなく地球を俯瞰で見た時の視点だから、どうしても規模が小さく見えてしまうものだ。現実はこれ程のもの。恐らく、この横浜の一角の小都会どころか、突き出て日本、いや、アジアくらいは全部囲んでいる大きさかもしれない。この大きさのものにさっきまで誰も気づかなかったってのは不思議でならないが、そうなると、まだ案外遠くにあって、衝突するのはもうしばらく先の話になるのかもしれない。 ならば余計焦ったって仕方無いな、ほぼ残されていないかもしれないが、余生を楽しむ事を考えよう。焦るのは未練が多いからだ。まだ全然何も人生で成し遂げてないし、やりたい事も満足に出来てないから焦るんだ。だから若者ほど焦りは高ぶって喚き散らす。対して私は、つまらない仕事の日々をひたすら繰り返し、大事な休日を猫とたばこに溶かすような未練とは対極な人間だ。やりたい事はあるがそれをこのまま生き続けて、その先で実践したかって言われるとそうでも無い。それでも余生を楽しめば、幾分かは安心して逝けるだろうから、私はそれを考える。 私の良い所は切り替えが早い所だとよく友人に言われるし、気にしたってどうせ落ちてくるものは落ちてくる。今更核を打ったって、破片が散らばって被害を増やすだけだろうから、どの国もそんな事しないだろう。 しかし、さっきからスマートフォンへの通知が鳴り止まない。言わずもがな、隕石に関するネットニュースとかの通知だ。「地球滅亡」だとか、「政府は何を」だとか、大概私がさっき考えていた事と似通ったことをどこでも言ってるようだ。内容はありふれててどうでもいいのだが、あまりにピコンピコンとうるさく流石に気になるので、通知を切る事にした。ただ、まさに今設定から通知をオフにするって所で、ある一つの、ニュースではない通知が流れ込んで来た。しかも、その通知は、私のそれまでの前向きな感情を、全く真逆なものへと持っていってしまった。 先に内容から話すと、それはSNSの投稿に関する通知だ。ニュースよりか重要性が低いもんで、通知が多少後に来たんだろう。なるほど、SNS界もかなりザワついてるようだ。そこから怒涛の投稿通知ラッシュが続いた。覗いて見れば、自撮りの中に隕石を写してみたり、隕石単体で写してみたり、中にはなんの意味があるのか隕石を心配する文言と共にただ自撮り写真をあげているだけのものまである。 とはいえ何もそこまで不可解でも無い。彼らは既にSNSの魔境に足を踏み入れてしまい、更には抜け出せなくなった、他者からの評価だけを求めるゾンビになってしまっているのだから。彼ら彼女らにとってこんなにおいしいネタは他にない。だから危険に便乗して自分を見てもらおうと奮闘している。理にかなっている……というか、妖術に動かされているのだから、衝動を止めようが無いのだ。 だがしかし、私はそれが恐怖で恐怖で仕方無かった。今更その妖術に驚くべきでも無いんだが、命の終わりの時が近づく中、見た目だけは焦り散らかしながら、人々はスマホを掲げている。皆、何も自暴自棄になって私のように既に生き延びる事を諦めているんじゃあなくてだ。だって、本気で焦っている。投稿の内容だって「急いで逃げなければ」という風な死ぬ事を覚悟なんてまるでできていないものだし、彼らのような若者には死にきれない未練が現世にいくらでもあるはずなのだから。それなのに、いまだに承認欲求を満たす事を優先して動き続けているのが、あまりに大きな矛盾に思うのは私だけでは無いはずだ。 逃げなくてはいけないと思っているなら今すぐにでも逃げればいい。早く逃げればそれだけ遠くへ遠くへと行く事ができ、少なくとも逃げないことよりはなんとかなる確率が上がるだろうからな。写真なんか撮ってる時間が勿体ないなんて感覚は無いんだろうか。呑気な。 それともここにいる全員が写真家なのか?今まで人生を懸けるほどに写真撮影に没頭してきて、この死ぬ間際、今までに無かった最も新しい、自身の生涯の一枚と言い張れるような、至高の写真が撮れる自信があるから、逃げずに撮影し続けているのか? そうじゃないから私は怖いんだ。この人々の執念が。死後、やり残した事を聞けたとしたら、承認欲求を満たし足りなかったことだと答えそうなこの若者達は、死ぬ瞬間の、いや、死んでからの自分の写真すら撮りかねない。そうなればもはやなんの比喩でもなく、本物のゾンビなのだが。 でも、そういえば時々問題として挙げられる話で、こんなのを聞いた事がある。事故の起きた現場に、周囲の関係ない人々がわらわらと集まってきて写真を撮りだし、さらにはSNSに投稿し出す事がある、と。警察が何度注意してもこっそり撮ろうとするらしいし、酷い話では、とある少女の事故に対してそのように写真を撮られ晒された少女の親が、その視線に耐えきれず同じ場所で自害したとか、そういうのまである。このように、やつらは他人の死まで自分の欲を満たす手段とするのだ。 これが野次馬というやつなんだろうな。 「中々でくわせない珍しい現場をどうしても記録に残しておきたいから、写真として保存している。より多くの人にその悲惨さを知ってもらい、もう起こらないようにするために共有している」 本人達はこんな気持ちで投稿しているんだろうか。ただし、そこに当事者達の気持ちなど、介入する隙間は無い。悲惨さを知ってもらうというのも、あくまで写真を撮る本人たった一人の意思に由来していて、その他人の気持ちを汲まない間違った正義感の本心には、本人の承認欲求だけが大きく介入している。 そして現在彼らの取っている行動は、それとなんら変わりない。規模は違うが事故を、危険を、そしてこれから起こる死を“手段”にしているのだから。あえて違う点を挙げるとするならばそれは、撮る対象が他人か自分か、ということだ。普通の野次馬は、虫が光に集まるように、他人の事故を光としてどこからともなく集まってくる。対して、全ての人々が光であり、また虫でもあるという多少特殊な状況で現れているのが今現在。一言で表すなら、「セルフ野次馬」と言ったところだ。 手段になりさえすれば何でもいい。それが他人か自分かなんて事は、彼らには関係のない事だ。その執念こそネットゾンビたる所以、ある意味尊敬すべきかもしれないな。いや、流石に冗談だ。恐怖を少しでも隠すための強がりだよ、最後のは。軽口に話していたが、全くどこにも行ってくれない恐怖をね。 隕石はもう間もなく着弾する。地球は、終わるだろうか。このサイズの隕石なら、まず間違いなくとんでもない被害を受けるだろうが、バラバラにはならないかもしれない。陸地は大量に削られ、人間やそれ以外の生命もかつて無いほどに消滅するだろう。それでも、形さえ保っていればまた美しい自然を取り戻すかもしれない。そう、ちょうど、写真を撮れば映えるような。 自然の美しさがそうやって循環するなら、生命だってまた循環するだろう。そうなれば、その新たな生命も、おおかた同じ道を辿るだろう。そうして、SNSもまた循環して、同じようにゾンビを大量に発生させるに違いない。 いや、言い過ぎだろうか。別に何も人類だって滅ぶわけじゃない。ここからずっと遠くの、地球の裏側にだって生きている人はいる。激しい被害妄想をしていたが、循環するしない以前に、途切れない可能性だってある。人々の価値観だってこれで随分変わる事になるだろうし、最近の地球なんかに比べたら、よっぽど良い物になるかもな。それなら、私の犠牲も新たな地球の為に必要な事だと、意味を持っていける。 私の唯一の未練は、SNS狂信者達に対する恐怖を拭いきれないまま死んでいく事だ。どうにか、そこだけなんとかならないものか。 ……そうだ、寄り添ってみよう。若者達は死に対しての恐怖はあるだろうが、私のような恐怖は持っていないはずだ。私の恐怖は、彼らにとっての普通でしかないから。ならば理解を望もう、最期の瞬間だけは。投稿はしないが、自分の中でだけ。事故を撮るというのがどんな感覚なのか、それを理解したいから。 そんなふうに言い訳を並べながら、私はスマホを上に向ける。 パシャ 中々心地よい音だ。 ああ、地球が終わる。
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