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 どうしてこんなことになってしまったのだろう。  今更、後悔したところで私に抗う手立てはない。  きっと私には、鱗をすべて剥ぎとられ、涙が枯れるまで痛めつけられ、全身の血を抜き取られる末路が待っている。ひとたび、悪魔の手中に囚われてしまった者の運命(さだめ)だ。  この屋敷に連れてこられてから毎日、そんなことを考えては、絶望に打ちひしがれていた。  そんな時、ウィルと名乗った金髪の少年が突如現れて、私を見つけてくれた。しかも、ウィルには私の声が届いた。  捕まってからというもの、私はたくさんの者たちの手に渡ったが、仲間の人魚以外に私の声に応えてくれる者はいなかった。  私たち人魚の声は、邪心や悪意のある者には決して届かない。ウィルに私の声が届いたということは、ウィルは私にとって信用できる相手ということ。たとえそれが子供で、この状況を変えることができなくても、私の声を……私の想いを受け止めてくれるウィルは、私の孤独を埋めてくれた。  そしてウィルは、私を逃がしてあげると言った。それに自分はただの人間ではないと……。    どういうことだろう?  どこからどう見ても、ウィルは人間の子供の姿をしている。  まさかその姿は仮初(かりそめ)で、本来は何か別の生物だというのだろうか。  本当に私を逃がすなんて出来るの?  でも、どうやって?  そんなことできっこないと思う反面、心のどこかでは、またあの広い海原で自由に泳ぎ回る光景を思い描いてしまう。  ウィルはデュークに言われた通り、毎日欠かさず私に会いに来てくれた。そしてその度に、自分が見てきた世界の話を聞かせてくれた。  美しい景色、各地で出会った民族、宗教、紛争……。  良い話も、悪い話も、曇りのない瞳で真っすぐに語った。そんな彼は、頼りがいのない子供なんかではなかった。  ウィルを私の元へ通わせるデュークの意図はわからないが、私はウィルが来てくれるのをいつしか心待ちにするようになっていた。  そして、私が彼に魅かれていくのに、そう時間は要さなかった。  今日も、ウィルはいつものように私の元に会いにきて、桜という和国の春に咲く花の話をしてくれた。その花は、一度見たら忘れられない大好きな花で、一面に咲き誇る桜並木は、息を呑むほどに美しく壮観だと。そして「もうすぐ見ごろなんだ」と嬉しそうにあどけなく笑った。    ウィルと過ごす時間はいつもあっという間に過ぎていく。今日だって、気づけばいつの間にか陽が落ちていた。  部屋の中は、間接照明で薄っすら明るい。それだけではなく、小さな窓から月明りが差し込んできて、今日はいつもよりも明るく感じられた。  桜かぁ……  私の喜びの涙の色と同じ色の花。  私は、その絶景を見てみたいと思った。さらにその花は、散った後も色を失うことはなく、地面や水面を彩ってくれるのだという。  想像のつかない世界。私の知らない陸地の世界。    『見てみたい……見て……みたかったな……』  私がそう呟くと、ウィルは「見に行こう! ミラ……一緒に」と言って水槽に手を当てた。  ウィルに真っすぐに見つめられて、私は視線を逸らすことが出来ない。ウィルの瞳が強く語っている。「必ず連れて行く」と。  私は、ウィルの手の位置に自分の手を合わせた。だが、もちろん触れ合うことはできない。硝子のたった数センチの隔たりの向こうが、物凄く遠く感じて悲しくなった。    ウィルに触れたい。  もっと近くに行きたい。  傍にいたい。  誰かに対して、こんな思いを抱くなんて初めてのことだった。  そんな私の気持ちが届いてしまったのか、ウィルは突然水槽を軽々とよじ登り、水中へと飛び込んで来た。  
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