1−13 少しの別れ

1/1
前へ
/110ページ
次へ

1−13 少しの別れ

「それではジェニファー。迎えの馬車を家の外で待たせてあるので行こうか? 荷物の準備は出来ているかい?」 フォルクマン伯爵がジェニファーに尋ねた。 「はい、伯爵様。出来ています、部屋に置いてあるので取りに行ってきますね」 「なら一緒に行こう。運ぶのを手伝うよ」 その言葉にギョッとしたのはアンだった。 「え!? 伯爵様はどうぞ応接室でお待ち下さい。荷物ならこの子が1人で持てますから」 「何を言う? こんな小さな子供に1人で運ばせるような真似はさせられない。さ、ジェニファー。案内してくれるかい?」 「はい」 素直に返事をすると、ジェニファーは前に立って歩き出した。その後をフォルクマン伯爵もついていき……。 「何故、あなた方もついてくるのだ?」 足を止めてフォルクマン伯爵は振り返った。彼の背後にはアン、そしてザックがついてきている。 「い、いえ。わ、私達はジェニファーの保護者ですから……」 視線を泳がせながらアンは答える。その様子を見た伯爵は黙って前を向くと、声をかけた。 「足を止めさせてすまなかったね。ジェニファー。案内してくれ」 「はい」 ジェニファーは頷いた―― 「ここが私の部屋です」 ジェニファーに案内され、部屋の中に足を踏み入れた伯爵は驚いた。 「本当に、ここがジェニファーの部屋なのかい?」 「はい、そうですけど?」 首を傾げるジェニファーに伯爵はショックを受けた。それもそのはず。この部屋にある家具はベッドと小さなチェストだけだったのだ。 「なんてことだ……これではただ寝て、着替えをするためだけの部屋じゃないか」 「はい。ここはそのための部屋です」 「勉強机も無いじゃないか。本は読まないのかい? 女の子なら人形遊びくらいするだろう?」 「勉強はしていませんし、本も読みません。人形遊びは……したことがないです。だって私の仕事は家事ですから」 「ジェニファーッ! 余計なことを言うんじゃないの!」 アンが叱りつけた。 「何が余計なことだ?」 伯爵が冷たい目でアンを睨みつけた。 「あ……そ、それは……」 「こんな小さな子供に、すべての家事を押し付けるとは……。しかも学校にも通わせず、教育も受けさせない。これはもはや虐待だ。訴えても良いレベルだな」 「ぎゃ、虐待だなんて……!」 すると、ザックが震えながら懇願した。 「お、お願いです! どうか訴えるのはやめて下さい! そんなことをされれば会社での評判が落ちてしまいます! ジェニファーに家事を押し付けたのは妻です! 彼女が勝手にやったことで、私は関係ありません!」 「あなた! なんてこと言うの!」 「傍観していたのも、立派な罪だ。さぁ、ジェニファー。持って行く荷物はどれだい?」 「はい、これです」 ジェニファーは足元に置かれた小さなキャリーケースを指さした。 「え? これだけなのか?」 「はい。あまり服を持っていないので」 その言葉に、伯爵は息を呑んだ。確かにジェニファーの着ている服はみすぼらしかった。黄ばんでしまったブラウスに、ほつれの酷いスカートはとてもではないが、貴族令嬢には見えない。 一方のアンは、ジェニファーよりはずっと良い身なりをしている。 伯爵はあまりにも酷い環境に置かれたジェニファーが哀れでならなかった。それと同時にアンに対して激しい怒りを覚える。 「長居は無用だ。行こう、ジェニファー」 伯爵はジェニファーのキャリーケースを持つと、声をかけた。 「はい、伯爵様」 そして震えているアンとザックの前を素通りして、2人は家を出た。 家の前には、立派な馬車が停まっていた。 「まぁ……これが馬車ですか」 今まで荷馬車しか見たことが無かったジェニファーは目を見開いた。 「そうだよ、これに乗って駅へ行くんだ。それじゃ乗ろうか」 伯爵は手招きするが、ジェニファーは落ち着かない様子でチラチラと家の様子を伺っている。 「どうしたんだい? 乗らないのか?」 「あ、あの……」 その時。 「姉ちゃーん!」 「お姉ちゃん!」 ダンとサーシャが家の中から飛び出してきた。 「ダンッ! サーシャッ!」 「姉ちゃん。必ず帰ってきてくれるよな?」 「帰ってきてくれるよね?」 目に涙をためながら2人はジェニファーに抱きついてきた。 「勿論、帰ってくるわ。だから、それまで待っていてね」 「う、うん……」 「分かったよ……」 3人で抱き合って別れを惜しむ子供たち。 その様子を伯爵は優しい笑みを浮かべて見つめていた――
/110ページ

最初のコメントを投稿しよう!

321人が本棚に入れています
本棚に追加