黒夜に流れる思い出は

3/16

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
左大臣様は、姫君を東宮(とうぐう)に差し上げると早々に決めておしまいになった。東宮とは次期の天皇、つまりは皇太子である。そうと決まれば悪い虫がついてはならない。決して浮いた話が出ないように屋敷の奥で大切に育てていらっしゃる。和歌や琴の腕前も抜群だとの噂だ。 手に入らぬと分かるとかえって何か爪あとを残したくなるものだ。都の貴公子は熱に浮かされたように姫君に恋文を送った。私もその一人だ。文を送った後、左大臣家の屋敷のかたわらで耳を澄ますと、かすかに琴の音が聞こえた。幻のように儚い音色だった。夜の水面に差す月光のようだと思った。真っ黒な水面にひたひたと落ちる白い光。かすかだが、どこまでも通る澄み切った音色に、私は立ち尽くしていた。  贈られた文に返事をしないのは非礼中の非礼である。姫からはきちんとお断りの文が来た。明らかに年季の入った筆跡であった。姫の乳母が代筆をしたものであろう。 姫には読まれてもいないのか。  私は苦笑した。東宮の后になろうという姫に、恋文の一つも届かないではさまにならない。私は枯れ木だ。枯れ木とて山の賑わいにはなるであろう。そう思い決めて諦めようとした。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加