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教室の窓から空を眺めると、わたがしみたいに厚みをもった雲が、真っ青な空にぷかぷか浮いていた。昼間の温度はだいぶ上がったし、夏の気配が忍び寄ってきたなと感じる。そろそろ衣替えの時期だ。おばさんはあてにならないし、妹はまだ衣替えのやり方を知らないから、ぼくがやらなければなるまい。
その日、五年二組の教室は朝からさわがしかった。本来なら、あと一か月くらいでやってくる夏休みの話題でうめつくされるはずなんだけど、その日の教室はくもり空みたいにどんよりしていた。
聞き耳を立てていると、どうやら花咲さんの飼いネコが「あの事件」の被害に遭ったらしかった。めそめそする花咲さんの悲しみが、周りの人にウイルスのように伝染し、教室の雰囲気をがらりと変えていたのだ。
花咲さんというのは女の子のボスみたいな存在で、みんなから絶大な人気を集めている。男子からも女子からも人気がある。他の子が泣いても、こうはならない。
花咲さんは確かにびっくりするくらい美人で、小学生らしからぬオーラを放っている。肌はまるでゲレンデのように真っ白でなめらか。肩甲骨まで伸びるロングヘアは不自然なくらいさらさらしている。ちみつに作られた美少女フィギュアみたいである。確か彼女の父親はとても有名な会社のエリートサリーマンで、身に着けているものはほとんど高級品といううわさである。
「三日前まではね、ちゃんといたの。でも、帰ってこなくてね。いつもね、ちゃんと夕方には帰ってくるはずなのに」
花咲さんは悲しそうに言った。泣いているらしい。
「あの事件」というのは、ぼくたちが住むこの街で、たびたび人が消えてしまうというおそろしい事件のことである。しかも、この小学校の児童がよくその被害にあっているというのだ。どうせどっかのほら吹きが流したデマだろうと思ったのだけど、なかなかどうして、ウワサは消えない。ちなみに、ぼくはこの事件をきっかけに「失踪」という言葉を知った。漢字が難しいが、消えるという意味だ。
数か月前から、この事件の目撃情報が後を絶たない。「ブラックホールみたいなものが現れて、吸い込まれてしまう」とか、「すごく大きな猛獣が出てきて、食べられる」とか、いろいろある。どこまで本当かウソかは不明だが、この都市伝説じみた事件はいつからか「神隠し事件」と呼ばれるようになった。
「でもさ、なんでこんなに事件が続いているのに、ニュースにならないんだろうね」
花咲さんのとりまきの一人がそんなことを言った。確かにそうだと、クラスのみんなは首をかしげた。
つと、何かを思い至ったように花咲さんは顔を上げ、とりまきの一人に耳打ちした。するとそのとりまきは、すいすいと座席の間を縫うようにしてぼくのそばまでやってきて、突然こうたずねた。
「ねえ、楠木楠木くんは、どう思う」
「どう思うって」
ぼくはうなった。意味がわからない。なんでぼくなんかに意見を求めるのだろう。
「なんでぼくに聞くの」
「だって、花咲さんが聞いてきてって」
自分で聞けよ。
ぼくは花咲さんをにらんだ。ぼくはこういう態度が気に食わなかった。なんでもやってもらってもらうのが当たり前って思っているのだろう。きっと彼女は独りで衣替えもしたことがないだろうし、ぼくのように研究テーマを見つけることもできないだろう。読書感想文もお母さんに書いてもらっているに違いない。確かにあの宿題は難しいが、そんなんじゃ、ろくな大人になれないと思うのだ。
「あのな、お前たち、こういうのは、わざと言わないようにしているんだよ。ホウドウキセイ、ってやつだよ。なぜって、パニックになっちゃうからな」
そのとき、クラスメイトの武田くんがえらそうに言った。みんなの視線が彼に集まる。
彼は小学五年生にしてはとてもガタイがよくて、よく中学生に間違えられる。身長はぼくよりも十センチは高い。スポーツ刈りの頭と、ゴリラみたいなイカつい顔が特徴で、その様相がまるでプロレスラーみたいということから、女子の間ではレスラー武田と呼ばれているが、彼はそのことを知らない。よく、そでをまくって筋肉を見せびらかしている姿を皆が目撃しており、一部の女子からは嫌われている。そのことも彼は知らない。
「なあ。いっそのこと、おれたちで、神隠し事件の犯人をつかまえようぜ」
彼は張り切っていた。
武田くんのお父さんは警察官で、彼の夢もまた警察官である。人を助けたいという心意気は立派だが、花咲さんがそれを望んでいるかは微妙である。
武田くんがそんなことを言い出したので、クラス(の主に男子たち)は大いに盛り上がった。武器は何にしようとか、罠を張ろうとか、作戦会議をいついつにしようとか、そんなことだ。勝手にしろと思う。ついでに花咲さんのほうをちらっと見た。案の定、彼女はどこか面白くなさそうである。
「ねえ、楠木くんも、来ない?」
そんなとき、武田くんの子分の一人である彦坂くんが、ぼくのところにやってきて、そんなことを言った。あんまり顔を近づけるので、彼の大きな丸メガネにぼくの顔が反射している。
彼は身長が低くて、強風にあおられたらポッキリ折れてしまいそうなほど、とてもひょろっとしている。マンガのキャラクターみたいなわかりやすいおかっぱ頭と、ちょっと前に出た前歯が特徴的である。女子の間ではもやしとか言われている。が、実は、彼はとても足が速い。クラスで一番の俊足で、スピードスターなのである。彼は走れるもやしなのである。
ぼくは首を横に振った。彼は武田くんと違っていいやつなので、申し訳ない。ぼくの将来の夢は科学者である。断じて警察官ではない。人の役に立ちたいという精神は立派だし、ネコの件は気の毒だが、ぼくはとても忙しいのである。それにぼくは武田くんも花咲さんもどちらかというとキライなのである。キライな人間に時間を割くことは人生のムダである。難しく言うと、浪費、とも言う。
ぼくが断るそぶりを見せると、彦坂くんは残念そうに肩を落とした。
「おい、そんなガリ勉、ほっとけよ。どうせ役に立たねえよ」
「う、うん」
武田くんは、そんなひどいことを平気で言う人間だった。ぼくはもう真に受けていないが、最初に似たようなことを言われたときは、地球上にこうも心の汚いヤツがいるのだと衝撃を受けたものだ。
「ごめんね、あんな言い方」
そう言って彼はぼくのもとから去り、武田チームの輪の中に戻っていった。彼は武田くんのことが怖いのである。
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