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実の父の姿と兄が変わるだろう未来
俺達は旅装束を解かなかった。
本家に辿り着いたその姿のまま、俺と崇継は親族が集まっている広間に真っ直ぐに向かった。
また、崇継の個人秘書たちだが、溝江と弓月は他の花房家の使用人同様に途中で俺達から剥がれたが、虹河だけは俺と崇継から離れまいという意思を持って親族しかいない広間に踏み込んだ。
二十畳はあるだろう広さの座敷の床の間前に蚊帳の張られた白い布団が敷かれ、その布団を前にしてスーツや着物姿の人々が並んで座っているのだ。
たった一ついかにもな隙間があり、それは布団に横になる人の顔辺りに向い合せる事が出来る位置という、一番近しい親族用の席だった。
「身内以外は出て行ってもらおう」
静かだが威厳のありそうな声がその黒い軍団のどこぞから上がったが、崇継はその声の主に一瞥を与えただけで真っ直ぐに布団が敷かれた、その病人らしき人が横たわる真向かいの座布団へと歩いて行った。
俺の横にいた虹河は勝手知ったるという風にして俺を誘導して歩かせ、見るからに崇継からは離れた場所、親族の末席らしきところという座敷の隅に誘導して座らせた。
「悪いな。お前には父親の顔を見せたくないと崇継の希望だ」
「いいです。俺の母さんは愛人だったんですし。って痛!」
俺は叩かれた頭を右手で抑えた。
そして抗議しようとしたが、叩いた本人の虹河が俺の頭をガシガシと撫で始めたのである。
「悪かった。言い方が悪かったよ。崇継は何度も見ている、自分の祖父の時も知っている。だから平気だって言っていた。そんで、俺も一度は見ている。そして、崇継の言う通りにお前に見せたくない、そういうものだった」
「でも、心を病んで、でしょう? 外見が変わるの?」
「外見が変わったから心を病んだと考えろ。お前のお袋さんが恋した美男子はあそこにはいない。崇継が言うにはな、血が繋がっている事が忌まわしいくらいの存在に成り下がったもの、だそうだよ?」
「に、兄さんは、それで大丈夫なの? お、俺は大丈夫だから、あの、虹河さんは兄さんを支えてあげて?」
俺の頭を撫でていた手は、今度は俺を抱き締める腕に変わった。
そして、彼の頭は俺の肩に持たせられた。
「お前は変わるんじゃないよ? いいな。これから何があっても、崇継を見失うんじゃない。ああ、俺はあの蚊帳の中の病人に崇継がなってしまってもな、今の崇継があの父にしているようにして死に水をすくってやるさ」
俺は虹河を抱き返していた。
兄が俺に今の父を見せたくないのは、自分がその姿になると知っているからだ。
徐々に、ああ、徐々に、崇継や虹河が言うような誰にも見せたくない姿に変わっていくのであれば、俺が最後まで崇継の手を握れると考えていたのか。
「俺は、俺は、兄さんがどんな姿でも兄さんだよ」
「そうだな。お前はいじらし過ぎてせつないな」
「では、神の転移の儀を行います」
俺は聞いた事がある声にハッとして、虹河の肩から顔を上げた。
床の間を背にして、崇継と布団を間にした形で大弥彦篤子が立っていた。
白装束は彼女が語った神話の女神が纏うようなもので、しかし手には神主が持つ者とは違う不思議な形状に切られている紙が付いた房を握っていた。
「かしこに、かしこに」
そこから祝詞らしきものが彼女の口から唱えられ、親族たちはそれに合わせて一斉に身を伏せた。
出来うる限り平べったく、平伏どころか、降ってくるミサイルか何かから身を守ろうとしているようにも見えた。
「お前も伏せろ」
「でも兄さんが」
「あいつが主役なんだ。お前は他の親族と一緒に伏せろ」
俺はそろそろと畳みに額を擦りつけるぐらいにして伏せ、俺の隣で虹河も同じ姿勢を取っていた。
篤子の祝詞は長く、所々で神様らしき名前も聞き取れたが、それでも俺には初めて聞いたものでしかない。
父は危篤じゃ無かったのか?
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!
俺は男性の悲鳴に慌てて頭を上げようとして、俺の身体が絶対に動けないようにして虹河が押さえていた事に気が付いた。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!
俺は悲鳴を聞きたくないと両耳を塞いだ。
ああ、兄さん。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!
ぎゃあああああああはははははははっはははははははは。
悲鳴は俺の右の耳元で大きくなり、俺はすさまじい痛みを右胸に感じた。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!
これは俺の悲鳴だ。
「つまりね、禍津日神があるからこそ、そこに不幸があるんだ」
兄さん、ああ、兄さん!
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」
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