生贄を捧げよ

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生贄を捧げよ

 禍津日神(まがつひのかみ)が宿ったものが次にするのは生贄の儀?  そのような事を騒ぐ男に対し、崇継は静かに、いや、冷静すぎる程冷静だが、かなりの威圧を込めて慇懃に聞こえる口調で言い返した。 「ハハハ。大事な弟は私の介錯人、あなたが父の介錯人になったように、ええ、禍津日神で壊れた僕の後見をさせるつもりでした。支える男もいる。では、僕がする事は? ええ、次の儀式、禍津日神、火結(ほむすび)に生贄の命を捧げる事です。ねえ、敬護(けいご)叔父さん」 「生贄はお前を愛するものでないと目覚めはしない!」 「ハハハハ、あなたは僕を愛していないとおっしゃるか!」 「ハハハハ、そうきたか。ああ、わしはお前を愛しているから適うなあ。だが、その子供は全くの見ず知らずだ。そして、その子供は知っているのか、身に受けた神を目覚めさせるには誰かを今すぐ殺さねばならないという事を」  敬護という名らしい俺の叔父にも当たる男は、言い捨てるやくるっと身を翻し、病人が横たわる布団にかかる蚊帳に手を掛けた。 「見て見ろ! お主はこんな姿になる覚悟はできているのか!」  虹河は俺に見せまいと俺の顔を彼の胸に押し付けるように抱き直したが、俺はなぜか彼の体が隠したものが全て見えてしまっていた。  読めなかったあの折り紙の文字が読めた様に、見えないものが見えるのだ。  見えた俺の父だというもの。  生前の面影どころか骨と皮しか残っていないという、命だってついさっきまで残っていたのかも疑わしいほどの、茶色に干からびたミイラでしかなかった。  さらに、さらに、俺の右胸にできたケロイドの代りに、その遺体には右胸の肉が剥ぎ取られて肋骨や黒ずんだ肺などの内臓までが顔を出している。  そして、何よりも、遺体は首と胴が離れ離れだ。  当主交代の儀式?  あの断末魔の悲鳴は、首を斬られて殺されたからという事か? 「神が目覚めれば、お前には安らぎなどないぞ? 始終神はお前に囁きかけ、お前に怨嗟を注ぎ込み、お前という人間を壊そうとする。なあ、お前。お前はここで死んだ方が楽かもしれんぞ?」  俺は虹河を抱き返し、いや、しがみついた。 「怖いか? 大丈夫だ、首を刎ねれば一瞬で終わるぞ」 「うるせえ、お前! 大概にしろよ!」 「何もわかっていない子供に真実を知らせることこそ大人だろうが! 生贄を七日以内に捧げられねば、神はその肉体を滅ぼして解き放たれる。世に放たれれれば、神の名を持つが単なる禍で厄災なのだ。良いのか?」 「……俺は死ぬの?」 「大丈夫だ。俺も崇継もお前を殺させない。いざとなればお前には俺という生贄がいる。心配するな」 「な、なにを言って。いやだ! そんなこそ嫌だ!」  俺は虹河の腕の中で暴れ、しかし、暴れる事も許さない彼の腕でさらに彼に抱きしめられ、俺こそ彼から離れたくないと彼にしがみ付いた。  死にたくない。  死にたくない。  でも誰も殺したくはない。 「虹河、今すぐに英を連れて東京に戻れ」 「――かしこまりました」  俺は有無を言わさずに座っている状態から立ち上がらされ、それだけでなく虹河の強い腕で殆ど引きずられるようにして歩かされた。  兄は座敷の中心で静かに立っている。  誰も動こうとはしない。  あの、敬護という男以外。  それは、部屋中に網のような青白い光が張り巡らされているから? 「に、兄さんは?」 「――あいつはお前どころか俺の数倍力がある。大丈夫だ」  廊下に出れば弓月が虹河に走り寄り、彼に車の鍵を渡した。  虹河はそれを受け取り、さらにさらに俺を引き摺って歩いた。  俺は自分だって歩くべきなのに、虹河に縋り付いていた。  そうしないと自分が死んでしまいそうだったのだ。
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