人を殺すという行為

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人を殺すという行為

 東京に辿り着いた俺達は、取りあえず適当なホテルに泊まった。  親子にも兄弟にも見えない俺達はフロントにおかしな眼で見られたが、そんな事に構っていられないぐらいに俺達は疲れ切っていた。  あれから人の体による襲撃は無かった。  けれど、呪術という攻撃があったそうだ。  俺には解らなかったが、虹河の言葉によると。  そう言えば、と思い出す。  突然に彼はハザードランプをつけるや車を路肩に停め、それからすぐに助手席に座る俺を抱き締め、彼の大きな体に隠すようにして庇ったのだ。  彼が俺に多い被さってすぐに、車の後部の窓とフロントガラスの助手席の丁度頭の部分になる場所に小さな穴が開いた。  そのすぐ後に兄からの電話だ。  花房の呪術者が動いたとの知らせだったそうだ。  実体験をしたはずだが、聞かされたばかりの俺はアニメのようだと笑ってしまっていた。  しかし笑えない虹河は、俺を後部座席に伏せさせ、俺が酔っていた時のようにして彼の背広を俺にかけて包んだ。  虹川の匂いで俺が隠されるから、と。  それから車はノンストップで東京に入り、俺と虹河は緊張のしっぱなし疲れ切り、くらくらしながらビジネスホテルの部屋になだれ込んでいる、と、そういうわけだ。 「シャワーを浴びるか?」 「うん。あのさ、ネクタイを貸してくれる?」 「なんだ? 服はサービスエリアで買った恥ずかしいTシャツがあるだろ?」 「いや、あの、右胸を見たくない。」  彼は大きく溜息をつくと、一緒に入るか、と言った。 「え」 「お前は目をつぶっていろ。そうだな、その方が良いかもな。今の俺はお前の盾になる。常に一緒の方がいい」  言うが早いか虹河は服を脱ぎだし、俺はそんなに知りたくはなかった彼の全貌に見惚れてしまった。 「すごい筋肉。うそお、そんなに筋肉があったんだ。うわあ、筋肉」 「うるせえよ、馬鹿。お前はちゃんと毛が生えてんのかよ」  虹河は俺に襲いかかり、俺は彼の手でパンツを脱がされそうになって本気で慌ててしまった。  彼のノリは体育会系だ。 「ちょ、ちょ、まって! じ、自分で脱ぎます!」 「いや、これも訓練だ」 「何の訓練ですか!」  俺は虹河を両手で押しのけ、笑いながら彼を見返したのだが、彼の目はまっすぐに俺を見つめていた。 「虹河さん?」 「いいからお前は全部俺にゆだねるんだ。これはな、お前が駄々をこねずに俺に全部やらせるって訓練だ。いいか、約束しろよ?」  なぜ俺達が自宅に帰らずにホテルに泊まっているのか。  やることがあるからだ。  明日、明日の朝、俺達は指定された場所に行き、俺の為に用意された生贄の命を奪う。  俺はそれがどこかも、それが誰かも教えてもらっていない。  虹河が絶対に教えてくれないのだ。 「約束できない。絶対にできない。絶対に俺が殺すのが虹河さんじゃないって教えてくれなきゃ、俺は、俺は殺せない!」  俺は虹河に抱き寄せられた。  俺は虹河の固い筋肉に埋もれてしまったが、虹河が全裸状態でもあったが、彼に抱きしめられるに任せ、自分こそ彼を抱き締めていた。  彼のぬくもりが消えてなくなる未来など認められない!! 「いやだ。三人の生活が壊れるのは嫌だ。虹河さんがいない世界は嫌だ」 「……ばか。俺は死なないよ。そんでな、俺はお前の兄のような気持ちなんだ。崇継の兄のような気持ちでもある。いいか、長兄は弟達の為にならね、いくらだって泥を被ってやれるんだよ。だからな、お前は俺を信じておけ」 「弟は兄の苦しみを分けては貰えないの?」 「兄は弟の幸せそうな顔で癒される。二人とも葬式みたいな顔してちゃあな、そこは不幸せばかりじゃないか?」  俺だってあなたが辛いと不幸ばかりだよ。 「でも、これだけは教えて。どんな人なのか」 「まっしろな人だよ」 「まっしろ?」 「……生まれた時から寝たきりの人だ。軟骨が存在しないって病気らしく四肢の麻痺に加えて呼吸が困難な状態だ。――俺はその人の生命維持装置を止めるだけだ。だから、ああ、大丈夫だ」 「大丈夫じゃ無いじゃないか! あなたこそ一番辛いじゃないか!」  こんなにも他人の子供を大事にできる男が、寝たきりだろうが他人の愛されている子供の命を奪う役目を担うというのだ。 「俺が自分でやるよ。俺はあなたが変わるのが辛い」 「ダメだ」 「どうして!」 「いいか、お前の右胸に出来た人面疽はな、最初の生贄の記憶や感情が強ければ強いほどお前を苛むんだ。自分を殺した奴を憎むのは当たり前だろう?」 「だから、自分を愛した相手を選ぶ?」 「ああ。愛する相手の為なら死ねるだろう? 恨まないだろう? そういうくそ忌まわしいモノなんだよ!」 「でも、その子は俺を愛してはいないだろう?」 「――たぶん憎しみも何も抱かない。辛いって、死にたく無かったって、思うのかもしれないが、人を憎む子じゃない。まだ三歳だ。何もわかっていない」 「その人のこと、知っていたの?」 「ああ。俺は自分の子供を可愛がらずに、――何をやってんだろうな。――母親の代わりに何度かその子のベビーシッターをした事があるんだよ。ベビーシッターつっても、単なる見守りでしか無いんだけどね」 「――虹川さん」 「今はね昔と違って医学が発達しているからさ、生まれてすぐに死ぬはずだった子供が死なないんだそうだ。自分で呼吸が出来ない子供に酸素吸入用の管を入れて生き延びさせる。食べ物を咀嚼できない顎と口腔の形状ならば胃に穴をあけて直接栄養食を流し込む。あの子は、そうやって命がある限り生かし続けさせられている子供なんだよ」 「だから、殺してもいい、と? 恨まれない、と?」 「もう俺の手は血で汚れている。息子を抱けないくらいにね。そして必ずしなきゃいけない殺しならば、俺は自分のエゴを優先させる。楽にしてやりたいって勝手に思っていた、あの子を殺す」  俺は明日虹河に全て委ねようと決意した。  失敗して兄にこの呪いが行けば、確実に虹河は兄の為の生贄になるだろう。  俺という守るべきものを守れなかったと悔やむ彼は、きっと兄こそ守ろうと、自ら進んで生贄になってしまうに違いない。  兄がそれで一人ぼっちになってしまうのに。  そうじゃない。  この温もりを俺こそ手放したくは無いのだ。  俺は生きたいし、虹川さんがいなければ俺は生きていけない。
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