夜を見守る菩薩

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夜を見守る菩薩

 朝になるまでに、俺の作ったやっこさんが四十九個に減った。  それはなぜか。  昨夜、結界の張り方などわからない俺は、取りあえず百個のやっこさんを適当にベットの周りに全部撒いた。  それから寝る準備として、俺は荷物の中に入れていた虹河の背広を引っ張り出すと、それを頭に被ってベッドに戻った。  あの日に散々巻きつけてもらった彼の背広ではない。  彼の部屋のクローゼットに揺れる背広の一枚でしかなく、クリーニングにも出されて彼の臭いだって残っていないものだ。  それでも彼のものだというだけで、あの日のように自分に巻きつけておくことで俺は気が落ち着くのだ。 「三十代の男の服に包まれなきゃ眠れないって、俺ってやばいよなあ」  呟いて、とりあえず目を瞑った。 「ぎゃっ」  俺の視界一杯に、虹河の怒った顔が映し出されたのだ。  俺は慌てて起き上がった。  好きだろうが吃驚する時は吃驚する。  ざしゅん。  俺の頭のあった場所にゴボウが生えた。  え?  ひゅうっと空気が動いた。  それがわかるけど、俺には何が起きているのか全く分からない。 「目隠しプレイを試してみれば良かったな」  虹川のあの日の言葉と声が脳裏に閃く。 「ああ、そうだ! 俺は目を開けると見えない人だ!」  ぎゅっと目を閉じた途端に見えたものは、先を尖らせた長くて細い棒を持った子供型の影が俺のベッドの脇にいた、というものだった。  それで、その影は俺にその木の棒を突き刺そうと振りかぶってきたのだ。  やばい!  俺はさらに閉じた瞼にぎゅっと力を込めた。  何かを意図した事では無くて、痛みを受けると察知した人間が体に力を込めてしまった、それだけのことだ。  しかし、それが功を奏した。  瞼の裏には折り紙に書かせられた梵字が浮かびあがったのだ。  俺はその文字を読んでいた。  音読しながら書けと命令されていたんだ。  嫌でも覚えたさ。  バレエをしている子供の足か、フラミンゴが片足を曲げて片足で立っているそんな形の文字を、百枚以上も声を出しながら書いたのもの。 「シャ」  俺は叫び、反射的に自分を守るようにあげた右手だって、その影に対して手の平を向けていた。  があ!  影が悲鳴を上げた。  俺の叫びに呼応した様にして、室内のそこら中から、雷の放電みたいに見える青白い光が一気に吹き出したのである。  次には、俺が室内中に撒いたやっこさんがバラバラと宙に舞い、影を覆い隠すようにして貼り付いて行った。 「きゃあ!」  これは俺の悲鳴である。  敵本体はすでに消えている。  それなのに、やっこさんは宙に舞い続け、お腹の辺りから出していたらしい放電だってやめないのだ!  その青い光は俺の上に雨のようにバチバチと降り注ぎ、光が当たった俺の腕とか足とかは、バチバチと静電気に感電したあの痛みに襲われる。 「いた、いたたた。うわあ、どうやって止めるの!」  俺は再び手を上げて、「しゃ」と月光菩薩を現わす梵字の読みを叫んだ。  バチバチチチチバチ! 「うわああ、もっとひどくなった。せんぱーい。せんぱーい。助けて!」  俺は叫んだ。  そして放電はそれからほんの数十秒で消えた。  部屋が静かになった今、大弥彦が部屋に現われたらとっても恥ずかしいなと思いながら、それでも、変な影に襲われたことは怖かったと大弥彦に電話をかけていた。 「せんぱいせんぱ……」  つーつーつーつーつー。  彼女は話し中だったようだ。  寄る辺のない俺は、今の孤独と恐怖から気を紛らわせる必要に迫られた。  そこで、朝の六時に大弥彦が俺を呼びに来るまで、殆ど徹夜で、減った五十一個のやっこさんを俺は作っていたとそういうわけだ。  俺は恨みがましい顔で、昨夜の恨み言を、助けに来なかった涼しい顔をしている裏切り者にぶつけた。 「偉いわ。そういう自主的な所はお姉さん大好き」 「助けてくれるって言ったのに!」  大弥彦はメガネを外して俺の顔をじっと見た。  大弥彦はメガネを外すとこの上ない美女になるのだが、俺は彼女の顔を見ても崇継に見惚れるみたいに心が揺らがない。  それは何故かな、と今さらに思い立って考えた。  今日の服が動きやすそうな灰色の長袖ワッフルTシャツでパンツが迷彩カーゴパンツ、というアクティブでサバゲーの人にしか見えない所が悪い訳ではない。  二本おさげが悪いのかな。  ふん。  彼女が鼻を鳴らした事で気が付いた。  メガネを外して彼女が俺を見つめる時は、彼女が俺に本当の叱責を与える時ばかりだった。  そうか、パブロフ犬みたいに、俺は彼女がメガネを外すと脅えるのか。  そして今回の彼女も、俺がいたたまれなくなるぐらいに、じっと見つめている。 「何ですか?」  大弥彦は、大きく溜息を吐いた。  匙を投げられた、のかな。 「お前が責めるべきは、崇継こそ、だと思う」 「え、どうして?」 「お前の電話に出られなかったのは、崇継が私に電話をしてきたから。くどくどくどくどと、奴はしつこく私を叱責していたのよ」 「兄さんが?」 「崇継はお前に術など教えてほしくなかったそうだ。よくも弟に余計な事をさせたなって私に怒って来た。東京にいながらお前の小さな術の発露が崇継には見えていたなんて、ぞっとする」  俺は凄く衝撃だった。  あの崇継が怒る?  俺に怒った事などないよ?
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