お慈悲を与えたもう

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お慈悲を与えたもう

「あの子は疑ってくださいってばかりの行動を取るのね」  俺の隣で大弥彦がうめき声を出した。  俺も彼女の意見に同意見だった。  圭は土曜の朝にも拘らず、誰もいない土手で、土手に生える草をかき分けながら必死に何かを探しているのである。  植物に詳しい子供。  毒ぐらい簡単に見つけられる子供。  これじゃあ、ダチュラを仕込んだのを彼と疑うな、と言う方が無理だ。  いいや、虹河の子供がそんなことをするわけが無い。  いいや。俺はあの賢そうな瞳を覗いている。  あの子がそんな馬鹿な事をするはず無いのだ。  俺は圭の所に歩いて行き、彼に声を掛けた。 「何をしているの?」 「見てわかりませんか?探し物です」 「無くしもの?」 「いいえ。キノコです。急いでキノコを探し出さないといけないのです」  俺は新幹線で見えた老人の幽霊を思い出していた。  彼は俺にキノコの図鑑を差し出した。  俺もスマートフォンのキノコ図鑑を彼に差し出した。 「何のキノコを探し出したいのか教えてくれる? 俺も君と一緒に探すよ」  圭は俺を見上げ、大人びた台詞を言い放った。 「あなたは僕に関わってはいけません。あなたも襲われる」  俺の中で圭は全くの無罪となった。  そうだよ、虹河の子供がそんなことをするはずはないんだ。 「見逃した僕の責任は大きいです。僕がちゃんと後始末をつけなければ」 「後始末?」 「ええ。いいんじゃないかなって、見逃したら、大ごとになりました」  俺は笑顔を顔に作ったまま、ぴき、と固まった。  君は悪なの? 「な、なにを見逃しちゃったのかな?」  圭は屈んでいた体を真っ直ぐにして俺を見あげると、言えません、と簡単に言い放ち、そのまま再び草むらをかき分け始めた。 「俺も手伝う。どんなキノコなのか教えてほしい」 「キノコなのかもわかりません。彼女は犬のウンチだって言われたって言ってました」 「犬のウンチ? 茶色?」 「いいえ。風化した犬のウンチだって罵倒されたそうです。だから、白っぽい薄茶色で、触るとぱしゅっと砕けるキノコみたいなものを探しているのです」 「見つけてあげると何かいいことがあるのかな?」 「恨みつらみを固定化できます」 「はい?」  圭の一言に固まってしまった俺など放って、彼は草むらをかき分けて移動していった。  俺はそんな彼を茫然と見つめていたが、圭の進む先にあるものを見つけ、そこはやばいと圭へと駆け寄っていた。  急斜面の下は用水路だ!  コンクリ敷きの用水路は、東京で見かける水路と違って大きく深かった。  あんなところに落ちたら、小学生低学年なんて小さな体は確実に溺れ死ぬだろうし、落ちる前にコンクリに頭を打ったら、そこで死ぬ可能性だって高い。  圭は俺の目の前でよろめいた。  手を伸ばした俺は彼を抱き締めようとした。  すか。  え?  圭は反射神経が良いのか草むらに自ら膝を落とすことで転がることを防ぎ、圭を助けようと腕を伸ばしてバランスを崩した俺はそのままごろりと転がった。 「わあ、やばい!」  転がる転がる! 俺が転がってしまったあああ!  しかし、用水路に転がり落ちる寸前だった俺は、草むらに三回転だけして、三回目の仰向けになったところで終わった。  俺が死んで終わったわけではない。  俺の身体の上には、固いが柔らかい体が乗っている。 「せんぱい。助かりました」  実はかなり胸があったらしい大弥彦は、俺からむっくりと体を起こすと、いつものようにして手の平で俺の顔を正面からひっ叩いた。  痛いが、これは俺が悪い。  俺はのそのそと起き上がると、少々ぎこちない動きしかできないが、俺の腰のあたりに座ったままの大弥彦にもう一度頭を下げた。 「ありがとうございます」  ……。  ?  何も言われない?と顔を上げると、大弥彦は俺でなく土手の上を見上げていた。  圭もだ。  ああ、あの子は全くの無事だった。  俺は二人が見つめているそこを見つめ、俺が見たものを見なかった事にしたいと強く望んだ。  土手の上では、母親と子供の姿が横切っていく。  ベビーカーのような車いすに乗っている子供の顔は見えなかったが、両腕が胸のあたりで持ち上がっているのは見えた。  両腕の手首は、何かを掴もうと指先を半分だけ丸めた形で固く強張っている。  そして、車いすを押す母親の顔は、弓月かなえだった。  弓月は車いすの方へ上半身を少し傾け、さも車いすの中の子供が喋っているかのようにして、何度も頷きながら微笑んでいるのである。  彼女の裏切りによって虹河は死んだのに、俺は彼女に言いたい事が沢山あったのに、彼女の姿を一目見ただけで全部許していた。  許すしかなかった。  そうじゃない。  虹河に彼女の子供殺しをさせなくて良かったと、俺は初めて自分と彼に起きた悲劇を受け入れてしまったのかもしれない。 「……死んでいるのに、動いている」  意味の分からないことを呟いた大弥彦の声は、俺が初めて聞いたくらいに震えていた。
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