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緑のズボンの女の子
弓月親子の姿に対して、大弥彦があげた声や言葉の異常性に、俺は何が起きているのかと大弥彦を見返した。
彼女は真っ青な顔をしており、しかし、左手と右手で大日如来の印を結ぶや、静かに真言を呟き始めた。
「オン、アボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラ、マニ……」
左手を結んで人差し指を立て、右手でその指を掴み、右手の親指と人差し指で左手の指先を抑える、それは太陽神である大日如来の金剛界智拳印であるが、彼女が唱えたのは俺が彼女に教えてもらったものじゃ無かった。
大日如来の真言は、アビラウンケンソワカじゃなかったか?
まあ、俺が祝詞も経も真言も覚えられなかったから、梵字を折り紙に書いてやっこさんを折るという、大弥彦が編み出した方法になったのだけど。
彼女は弓月親子が見えなくなるまでその印を結び、何度も繰り返してその真言を唱え続けた。
俺の腰に乗ったままで。
俺は弓月が見えなくなると、俺を助けてはくれたがそのまま俺を座布団にしている女性に声を掛けた。
「重いです」
「重くもなるよ、なんだありゃあ。なんであの人があんなことになっているんだ?」
「弓月さんがどうかしたのですか?」
「どうしたって、どうしたが、どうした?」
「いえ、どうしたって?え?どうして印を結んで不思議呪文を唱えたのですか?さっきの呪文は弓月親子に向けたものですよね?」
大弥彦はようやく俺に気が付いたかのような顔をして俺を見返し、俺の額を叩いた、したたかに。
「いた! 何をするんですか!」
「いや、なんとなく。それで私達の案件は、圭君だ。そこを大事に」
「あ、そうだ!」
俺は圭のいた場所を見返して、彼の姿が消えていた事に気が付いた。
彼こそ用水路に落ちたのか!
俺は慌てて用水路に顔を向け、そこに緑色のズボンを履いた子供が浮いているのが見えた。
「大弥彦さん! 子供が! 子供が用水路に!」
俺は大弥彦を押しのけようと彼女の肩に触れたが、その俺の手は大弥彦に掴んで捩じり上げられた。
「いたああ! ちょっと! 変な所を触っていたらごめんだから!」
「バカ! よく見ろ。冷静になってよく見ろ!」
俺は用水路を見返した。
いや、その方向に顔を再び向けたところで、用水路など見る必要は無かったと気が付いた。
緑色のズボンを履いた子供が、俺のすぐ前に立っていたのである。
頭を下げた子供の頭髪は、顔の周りや後ろをはさみで直線切りしただけという雑なカットで、まるでヘルメットを被っているみたいだった。
しかし、顔が見えなくとも彼女が女の子だと分かったのは、緑色のズボンの膝部分と泥シミのあるけば立ったトレーナーに、黄色い髪をした女の子のキャラクターが描かれたアップリケが付いていたからだろう。
その子は俺に両手を差し出した。
「どうしたの?」
「せんせい。へんなキノコをみつけました」
彼女の手の中にあるものは、クリーム色に近い薄茶色の丸みのある小石のような形のものだった。
俺はスマートフォンのキノコ図鑑を使おうと動いた。
「汚い! それは犬のうんこが乾燥したものだ!」
「え?」
大弥彦のものじゃない、女性の少々ヒステリックで厳しい声が上がった。
その声と同時に女の子の頭が大きく弾け、とんだ?
彼女は頭が受けた衝撃によって小さな体が宙に浮かんだ。
その後は、考えるまでもない。
急斜面に横倒しとなった彼女の小さな体は、そのまま勢いよく用水路に向かって転がり落ちて行ったのである。
「うわあ! 君! 危ない! なんてこと!」
俺は自分に乗っている大弥彦を咄嗟に突き飛ばし、転がり落ちようとしているて少女を捕まえに身を乗り出した。
しかし、手を差し伸べたそこで、背中を強く押さえつけられて動けなくなった。
「だから! この馬鹿子! まんまと死霊にかどわかされやがって! お前はやっぱ、アンブの奴らに強制送還されてしまえ!」
俺の背中はモチモチした感触を受けている。
身を呈して助けてくれた彼女に、ありがとうと素直に言えた。
そして、たった今俺が見た映像は、圭が探していたキノコにまつわるものだったのだろうか?
女の子は、先生らしき女に殴られて、土手を転がり落ちて死んだのか?
だから、怨霊になった?
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