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お客様相談室懸念事案調査調整係
スマートフォンの画面に映し出される走り去る車の姿を眺めながら、国枝は口元を緩めた。
「あのお子様は本気で可愛いな」
国枝よりも背が高い男が国枝の横に立った。
黒いスーツが短く刈った髪型に良く映える、国枝よりも真面目そうどころか元自衛官にも見えるいかつく若い男が右耳を押さえながら国枝に声を上げた。
「チーフ。このまま英様を放っておいて大丈夫ですか? 一応道塚が監視していますが?」
「うん。道塚の動画はよく撮れてる。人形抱えた英君には笑ったよ。で、あの子達が君に不安を抱かせるようなことでも言い出したのかな?」
「道塚によりますと、次は星野秀勝の家に向かうようです。あの男はこの町では酒乱で有名な奴じゃないですか?」
国枝は部下の前田に振り返ると、大丈夫でしょうと軽く答えた。
何しろ、呪術においてはこの国で最強の盾となれる少女が守るべき少年に付いており、その二人には年をとったが武道派で名高い羽深康平が控えているのである。
「荒くれヤクザ数人が出て来ても大丈夫でしょう。うーん、そうだね、俺達は崇継様の怒りの方が怖いか。よし、高根と市井を一応つけておこうか」
前田は国枝に頭を下げると、部下達に向けて二本指を立てた右手を動かした。
すると、二名の男達が軽く頭を下げるとその場から移動していき、数十秒後には車のエンジン音とそれが遠ざかる音が聞こえた。
「わあ、流石のアンブのお人達だあ。迅速、じんそく」
「チーフ。ふざけないでください。それに、以前から不思議に思っていたのですが、どうして周りにアンブと呼ばせておくのですか?」
「俺達は暗部じゃ無いの。素直なおこちゃまには適当を教えたけどね、俺達は暗部だ。そしてね、アンブだって言わせておくことで逆に詮索されなくなるのさ。何かしている? ああ、アンブだからね」
「チーフ」
「じゃあ、俺は元同僚のお子様とお話しして来るよ。ここのお仕事はよろしく」
前田は再び頭を下げると、彼は再び右手を上げてその拳を作った腕をぐるっと頭上で回して見せた。
すると周囲から三名の男達が出てきた。
前田は部下達に顎をしゃくり、簡単に行動命令を出した。
「俺達は当初の目的通り、弓月かなえの引っ越し作業に移る」
「行ってらっしゃい。下手な同情は不要だよ」
国枝は軽く右手を振った。
前田達は国枝を通り過ぎ、国枝達が監視していた一戸建てへと向かって行った。
新築の一戸建ては、何もない所にポツンとあった。
庭木も塀垣もないオープン外構のその家は、庭部分をアスファルトで固められているからか、広い駐車場のど真ん中に建てられているように見える。
しかし全く豪勢には見えることは無い。
庭木が無いどころか、花一つ育ててもいないからだろうか、と彼は考えた。
東京に住んでいた時の弓月の家はマンションの一室でしかなかったが、室内には様々な観葉植物が置かれ、ベランダには苺の植わったプランターが始末の追えない緑の絨毯となっていたのだ。
現在住む家が、車いすが必要な子供を育てるための仕様が必要だった事と、雪が深くなる地域だからこその敷地全てのアスファルト敷きなのだろうが、幸せな家どころか空き家のような印象しか国枝に与えなかった。
以前の弓月の暮らしぶりを知っているからこそ、国枝には、逃亡者となった彼女の人生の末路そのものに見えていた。
「いや、ここで終わるのだから末路そのものか。感傷的だな、俺は」
玄関ドアと裏口のドアが同時に開かれ、国枝の目の前で国枝の部下達が次々と家の中に吸い込まれていった。
悲鳴も何も聞こえない。
暗部の仕事は、太陽が雲に隠される一瞬のようにして始まって終わるのだ。
部下の突入まで確認した彼は、数分前に自分が口にしたスケージュール、元同僚の家に行くを実行するために身を翻した。
弓月の家から百メートル先には古い住人の住宅街が広がる。
殆ど空き家か老人しか住んでいない家々だが、そこに虹河の別れた元妻が住んでいた家があるのである。
「ふふ、虹河の旦那の養育費目当てに籍を入れていなかったとはね。あの賢しい子供が父親恋しさに虹河姓を唱えているだけだと思ったが。いやあ、ちゃあんとお役所書類は調べないといけないねえ。式に頼りすぎた。なあ、お前。お前には現代の人間が結婚するには、まず書類を書かなきゃなんて知らないもんな」
国枝の首筋に黒い一本の筋がぐるっと巻き付き、それは狼の顔を持つ胴体の長いイタチのような姿を取って見せた。
そして、ニヤリと笑って見せると、それは一瞬で姿を消した。
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