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この子を守れるのは俺だけだと思って
俺は大きく息を吸うと、自分が作っていた台本を読み上げた。
「女の子が! 女の子が用水路に落ちてました! 俺が見た時には、大人の人に殴られて落とされていて! ねえ、救急車、救急車を呼んでください!」
「てめえ! ぎゃあ、てめえ! 俺を脅しに来たんか! おい!」
星野は俺の抱えているモノに初めて気が付き、すぐに悲鳴を上げたが、それにより俺への怒りが強く引き出されてしまったようだ。
「こんのクッソ餓鬼が!」
まずは彼の右腕の拳が、人形を抱える俺の右腕にぶち当てられた。
痛かったが、俺は人形を取り落とすどころか庇っていた。
何度も叫んで、ずっと抱きしめていたからか、俺はこの人形に愛着を持っていたのかもしれない。
いや、俺の中で哀れな子供の存在そのものとなっているのだ。
誰にも殺人を告発してもらえなかったなんて、なんて可哀想な子供。
誰にも守って貰えなかった子供、あの儀式で花房の親族に処分しろと叫ばれた俺自身みたいな子供なのだ。
いらない子供。
でも、俺は兄さんと虹河さんに守って貰えたから生きている!
「何をするんです! どうしてこの子ばかり虐めるんです! 紗都子は貴方方に何かしましたか? 何かしたんですか!」
どうしてあの日、俺と虹河の邪魔をしたのですか!
俺が死んだ方が良かったから?
どうして真実を話してあげなかったの?
そんなにも紗都子が嫌いでいらなかったの?
嫌いだったら何をしてもいいの?
「どうして女の子を殴れるんです! あなたには正義なんか無いんですか! 嫌いだから殴るなんて、みっともないって思わないんですか!」
「うるせえ!」
俺は顔にかなりの痛みを感じた。
次には背中だ。
殴り飛ばされた俺は玄関を転げ落ち、地面に強かに背中を打ち、今や三頭の犬の牙が届く地面にいる!
すぐに立ち上がって逃げればいいものを、俺は人形を抱いていたからか、人形を守るようにして抱え込んでの丸まった体勢を取ってしまった。
ああ、失敗。
これじゃあ犬に喰われる!
「てめえなんざ、ああ、てめえなんざ、ああ! うわあああ」
星野の大声に俺は体に力を込めた。
瞼もぎゅっと閉じてしまった。
瞼を閉じて見えた世界。
星野の目の前には紗都子が立っていた。
星野は彼女に脅え、そのまま後退り、玄関の段差に膝裏をぶつけて大きく背中から転んだ。
紗都子は右手にダチュラの根を掴んでいる。
それを高々と振り上げ、仰向けに転がっている星野の腹に突き刺した。
「ぎゃああ!」
「いけない!」
俺は叫んで、顔を上げた。
俺の視界には玄関扉を開け放った空っぽの玄関しか見えず、腹を抱えて痛みに呻く星野の倒れた姿など見えなかった。
そう、全くの静かで、俺はそういえば犬にも襲われていないと気が付いた。
星野は玄関にいない。
犬も俺の周りにいなかった。
星野家の敷地内を見渡せば、犬の綱が切れている。
「え、犬はどこに逃げたの? 星野はどこに?」
事態の変化が分からない俺は、ふいに後ろから肩を叩かれてびくっとした。
俺の後ろには俺を迎えに来たらしい大弥彦が、うんざりしたような顔をして立っていたのである。
「何が起きたの?」
「次の家に行くぞ」
俺はびくりとして声を掛けて来た大弥彦を見上げた。
彼女は肩を竦めて見せると、アンブだ、と言った。
「国枝さん?」
「怖いぞ? 奴ら、お前を守るためにあの三頭の犬に念を飛ばしやがった。飼い犬に牙をむかれて襲いかかられた星野は、玄関から家の中に飛び込んで逃げて、その後は縁側から飛び出して畑の方へと走って行った。さあ、騒ぎになる前に次の家に行くぞ」
「ええ?」
意味が分からないが、俺は大弥彦に促されるまま、取りあえず人形を抱いたまま立ち上がった。
「冷たい」
右胸の辺りが急に冷たく感じ、雨でも降ったのかと頭上を見上げた。
重い曇り空が広がるだけで、雨の気配など何もない。
「ハナブサ!」
「ああ。うん、ごめん。なんか胸が冷たくて」
俺は自分の右胸を見下ろした。
最近は出来うる限り見ないようにしていた場所だが、見下ろして確認して、右胸のあたりの布地が濡れていたのではなく、そこの皮膚そのものが凄く冷たく感じているのだと気が付いた。
そして、ぞっとした。
人面疽がある場所の皮膚の感覚が消えた?
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