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賢しい子供
目的のものを見つけた子供は、自分の家に戻っていた。
自宅の時でさえ帰りたくもなかった家、十日前まで祖母と母とその愛人と暮らしていた家に、虹河圭は戻っていたのだ。
少年はタンスを開けて、中にあるはずの服を探していた。
「うーん、入学式の時で既に小さかったお洋服でしょう? 探すだけ無駄じゃない?」
少年はびくっと体を震わせ、しかし、叫ぶことも無しにゆっくりと振り向いて自分に声を掛けて来た男を見つめ返した。
国枝は自分の口元が緩むのを感じていた。
朝に挨拶した少年はただ真っ直ぐで可愛らしかった。
そして、目の前の少年は内面が真っ黒で可愛らしかった。
堅物で潔癖なだけの同僚の息子が、国枝の方に似た性質を持っていると一目でわかり、世界の皮肉に笑い出しそうだった。
崇継の弟が無垢で、真っ当な虹河の息子が毒虫だったとは、と。
「人の家に勝手に入って来ないでください。警察を呼びますよ?」
「警察を呼ばれると困るのは君かな。俺は言ってもいいよ? お父さんとお母さんとお祖母さんは、ダチュラの毒で食中毒を起こしたんじゃないって。ねえ、彼らが食べたのはもっと怖い毒草の実だよね? ベラドンナ、別名オオカミナスビの実だったんじゃないのかな? ほら、この先の田中さん家、以前に薬品会社のハーブ類を育てていた田中さんの崩れたビニールハウスに、俺はオオカミナスビを見た覚えがあるんだよ。あれの実って、ブルーベリーの実に似ているね」
国枝の目の前であからさまに圭は顔色を失ったが、それでも圭は泣きもしなければ大声を上げて違うとも言わなかった。
顎をぐっとあげて国枝を見返すその様は、覚悟を決めた兵士そのものの姿にも似ており、圭が自分のしたことを誤魔化す気持ちなど一切なかったのだと国枝は気が付いた。
そして、そんな考えを肯定するように、圭は子供にしては静かな声を出した。
「ジャムを作ったのは祖母です。お婆ちゃんが僕の為に一家心中をしようと企てました。お婆ちゃんは僕だけを守りたかったから。だから、僕は知っていて、見逃しました。でも、偶然て重なるのですね。遠野さんの行動の方が早かった」
「ハハハ。野菜室のごぼうが全部ダチュラの根っこに変わっていたか。ハハハハ、あの子はあの木がお気に入りだね。あれは何でだろう? あの子が亡くなった時代に、この近辺にダチュラなんて一本も無かったのに、ねえ」
圭は唇をきゅっと噛んで、自分のせいだ、といった。
「どうしたの? どうしたら単なる死霊が新しい知識を得られるのかな?」
国枝はこれこそ知りたかったのだ。
死んだ人間は死んだことで時が止まる。
国枝達能力者の間では、死んで終わった悪霊が新しいものを知り、新しい攻撃方法など手に入れられるはずは無いというものが常識だ。
圭は口ごもり、そこで国枝は圭が話せるようになる飴玉を与える事にした。
「今ねえ、あのキラキラな男の子が遠野さんの恨みを晴らすべく奮闘している。遠野さんのお人形さんを抱えて、遠野さん殺人事件を思い出せって、当時の小学生の家々を回っているんだ。たぶん、君が計画している明日について、彼は絶対に手伝ってくれると思う」
「まさか、いえ、あなたは僕がしようとしている事を知っていたのですか?」
「う~ん。君が必死に探したあのキノコ。恨みを固定。わかるよ。協力する。そして、君を守ろうとごぼうをダチュラに変えちゃった幽霊を天国に送ってあげよう。どうかな?」
圭はこっくりと頷き、そして、どうして遠野が新たな武器を手に入れられたのかの真相を語りだした。
国枝は作り笑いが本当の笑顔となり、終には腹から笑い声を出してしまった。
「ハハハハ。オーケイ。君の案件は全部引き受けた。俺は君のお父さんの同僚だったんだ。彼の大事な息子の為に、ああ、一肌でも二肌でも脱ごう!」
「あ、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、俺と一緒に叔父さんの家に行こうか? 明日には俺達はここを発つんだ。君の荷物を纏めなければ」
「僕を東京に連れて行ってくれるのですか?」
「もとからそのつもりで俺は来ているよ?」
「僕は悪い子ですよ?」
「これからものすごく良い子と一緒にするから大丈夫。二人が合わされば、普通になるとお兄さんは思うんだよ」
「でも、あの人達が許すかどうか」
賢い子供は、よくご存じだと国枝は心の中で呟いた。
現在圭を引き取る原田の親族が、彼を親殺しの罵りから庇い手放そうとしない事を、それが愛情からではなく、圭の持つ預金通帳の額面が魅力的であるからだけだと知っているのである。
「ちゃんと君を連れていくよ。世間を知っているお兄さんに任せなさい。対話は俺こそが得意な術の一つなんだよ」
圭は国枝の前で初めて子供みたいな顔、つまり子供が今にも泣き出しそうな表情に顔を歪めた。
そう、国枝は全部知っている。
虹河の葬式に顔を出した恥知らずな圭の母親とその情夫、死んだ虹河の弔慰金や死亡退職金を支払えと騒ぎたて、崇継の不興を買った二人をよく知っている。
「国枝。あれらが今後英に関わってくると嫌だな」
国枝は崇継に「かしこまりました」と答え、その時点で彼の式を虹河萌菜と原田俊雄に飛ばしたのである。
虹河の元妻は、男と金と遊びしか頭にない女だった。
そんな女を育てた母親がまともであることに驚いたが、その女は自分が暴力を振るわれるのが嫌だからと、孫への虐待を見て見ない振りしかしない女だった。
結局は娘と同じ、自分が一番でしかない、浅はかな女だったのである。
「さあ圭君。行こうか? 俺の言う事を聞いていれば全部丸く収まるからね」
国枝は圭へ手を差し伸べた。
この台詞と似たものを、彼の式が圭の祖母の耳に囁いたと思い返しながら。
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