右胸の呪い

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右胸の呪い

 ダンプカーに追いかけられた俺達だったが、無事にホテルに戻れた。  ああ、本気で生き延びられて良かったな。  あの大弥彦でさえ車から降りた後は足元がおぼつかなくなっていて、俺達は言葉通りに這うようにしてホテルの部屋にそれぞれが戻ったと思い出す。 「ああ、シャワーは浴びないと。自分がゲロ臭い」  恥ずかしながら、俺は車内で二回も吐いた。  国道八号線から車は降りて、下道を右往左往したのである。  田舎の夜道は真っ暗だと思ったが、俺達が逃げ回る道には必ず明りが灯っており、羽深は「あの野郎」と罵りの声を呟きながら車を走らせていた。  俺達を逃すために、国枝が行く先々に誘導灯を灯していたようなのだ。  あれが外灯じゃなくって国枝が作った狐火だったなんて、無能力者の俺に分かるわけなど無いよ。  さて、グネグネ走り回った俺達の車を追いかけたダンプカーは、グネグネの道をその大型で乗り切れるはずもなく、そのうちに大きな音を立てて横転した。  羽深が運転する普通乗用車は、その衝撃波を受けて大きく揺らいだ。  しかし羽深はさらにアクセルを踏み、車を加速させた。 「警察は!」 「何と説明します? 人を殺そうとした運転手になるよりも、居眠り運転の事故にしてあげた方が良いでしょう?」  俺は黙るしかないし、その時には嘔吐用の紙袋を手放せなくなっていたので羽深の言う通りに従うしかない。  虹河との逃亡の時もパーキングのトイレで吐きまくっていた事を思い返すに、俺は車に酔いやすい性質なのかもしれない。 「情けない。俺よりも大弥彦の方がしっかりしていた」  バスルームに入り、着ていた服を全部脱ぎ去った。  目を瞑ったまま。  大丈夫。  俺は目を瞑っても現実と同じ風景を見る事が出来る。  現実では見る事が出来ないものも見えるが、そのおかげで俺は自分の右胸を直視しないでこれたのだ。  目を見開いた現実の目で俺の右胸を見れば、そこに広がるおぞましいケロイドを見つめる事になる。  しかし、目を瞑った俺には、それが禍々しいものであるからこそ、ケロイド状の人面疽ではなく真黒な靄にしか見えなくなるのだ。 「ひひ、おぼこだな」  バスタブを跨ぎかけた俺の足は、しゃがれた低い声にピタリと止まった。  俺は息を大きく吸った。  これはただのケロイドだ。  あれから一度だって目覚めないただのケロイドなのだ。 「っひひ。お前はイケニエそのものだな。実の兄に差し出された生贄だ」  俺の目は開いた。  そして、見た。  鏡に映った自分の姿を。  俺の右胸には、落ち武者のようにザンバラ髪をした生首がめり込んでいる。  俺と目が合ったそいつは、俺をあざけるように口元を歪めた。  はふ。  声にもならない吐息が漏れた。  俺は鏡の中の男の顔から眼を離せなくなっていた。  歌舞伎の隈取ぐらいに目元は紫色の変色しており、またそれを強調するようにして皺が幾重にも寄っている。  小馬鹿にしたように俺を見返すその目は、濁って腐っているかのようだ。  バタン!  大きな音に俺は振り返った。  バスルーム扉は乱暴に音を立てて開け放たれている。  扉を開けたのは国枝だった。  俺は咄嗟に裸の体を隠そうと動いて、そのために人面疽を見返してしまった。  鏡の中で見たものと違い、それはケロイドが盛り上がって出来た人の顔に見えるものでしかなく、目も口もしっかりと閉じていた。 「ハナブサ様、背中を流してあげましょう」 「え」  彼はグレーの背広を脱ぎ捨てると、両の腕の袖を捲り始めた。  真っ直ぐに近づいてくる国枝に、俺の方が委縮してしまった。 「いえ、俺は自分ででき、出来ますから」 「いいえ。俺がやりましょう。あなたは今は目を開けたままでいなければいけません。ねえ、恥ずかしいならね、天井を見つめていれば大丈夫ですよ?」  耳に囁かれた声は滑らかなものだったが、俺はその声に色気も感じてひゃあと脅えて体が凍えた。  そう、体が冷たくなったのだ。 「さあ、言う事を聞きましょう。このまま凍え死にたくは無いでしょう」 「しゅ、(しゅ)を掛けたのですか?」 「あなたの右胸の居候には、このままずっと寝ていて欲しいですからね」
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