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呪術者との対話は気を付けよう
風呂から上がってみれば、俺の部屋のベッドは小さいものに占領されていた。
俺が作った紗都子ちゃん人形では無い。
彼女はちゃんとライティングテーブル用の椅子に座らせられている。
って、おい、紗都子ちゃん人形がパジャマを着ているぞ!
「え、誰が着せ替えたの!」
「ああ、俺。明日の圭君のお洋服を買いに行ったついでにね、紗都子ちゃんにも替えのお洋服が必要かなって」
俺は何となく紗都子ちゃん人形のお父さんな気持ちになっていたのかも。
俺のゲロで臭くなった服を紗都子ちゃんから着替えさせてくれただなんてと、俺は国枝に素直に感謝して頭を下げていた。
「あざっす」
「いやいいよ。明日は君にやってほしい事があるからね。お願いしていいかな?」
「ええ。圭君の見守りなら喜んで。ええと、彼が俺が嫌じゃ無きゃ、ですけれど」
今や俺のベッドで熟睡している彼であるが、俺から散々に逃げ回っていた圭君でもあるのだ。
「いやいや。明日このホテルの会場で披露宴があるんだ。その出席者の一人の前に彼を連れて行ってくれるかな」
「ええ、それぐらいなら」
「絶対だよ?」
「もちろんですよ」
俺は頷いていた。
そして、国枝に圭君の為ならば何でもしますと言いかけて、口をつぐんだ。
なぜか頭の中で虹河が俺を怒鳴った記憶が蘇ったからだ。
兄の望むことを受け入れるかと虹河に聞かれ、俺が兄の為なら何でもしますと返したあの日の事だ。
――お前のその奴隷根性が気に入らないんだよ。
虹河さん。
国枝は俺が口を急に閉ざしてしまったことに怒るどころか、ふんと鼻で嗤った。
「躾がなっているな。虹河め、ちゃんと教え込んである」
「どういうことですか?」
「いや。俺の頼みに何でもしますって答えたら、君はそこで俺の奴隷化完了かな。とっても危険なのよ? 呪術者とお話するのは」
「は、はい。気を付けます。いろいろと、あの、ありがとうござ――」
「はい、ダウト。自分から隷属しようとしない。うーん、この子は今までどうして無事でいられたんだろう? いいかな。街でね、ちょっといいですか? なんて知らない人に呼びかけられたらね、ちゃんと逃げるんだよ?」
「それはわかっています!」
「本当かな? 危険な人達をガン見したりはしちゃいけないんだよ?」
「そんなアンタッチャブルな人をガン見するはずは――」
「ガン見していたよ、それはもうしっかりと。君は右胸の現実を見たくは無いのだろうけどね、大体の人間には幽霊も魔物もあるはずのない世界なんだよ? 弱い君がそんな世界を覗き込んで、そんな世界の住人達に見つけられたらどうするつもり?」
俺はバスルームで起きた事に思い当たり、右手で右胸の辺りを押さえた。
「これは、俺を見ている?」
「君が見つめればね。さあ、君を脅えさせたところで講義は終わり」
国枝は、揶揄うように笑うと、脅えているどころじゃない俺の頭に左手を伸ばした。
そして、ガシガシと俺の頭を撫でた。
まるで虹河がしてくれたように!!
「あなたは虹河さんと仲が良かったのですね。虹河が俺にしてくれた事をよくご存じだ。いえ、貴方方は似ているのでしょうか?」
「失礼だな。仲はしっかり悪いよ? あいつは世界を壊すぐらいに傲慢で、こんな地道な働きアリな俺を毛嫌いしていたね」
国枝はいかにも気分を害したという声をあげると、俺から離れてライティングテーブルの下にある小型冷蔵庫にかがんだ。
「何がいい? 風呂上りは水分を取らなきゃ。ここに辿り着くまで君は散々体の中の物を出してしまった訳でもあるし」
「コーラを」
彼は俺に俺が言った通りの物を差し出さなかった。
ホテルの冷蔵庫に無かったはずの、透明な瓶に入った炭酸水を差し出してきたのである。
底に白い靄が沈んでいる他は透明な、不思議な炭酸水らしきもの。
「雪? 麹でできたソーダ? お米のソーダ、なの?」
「面白いでしょ? まず逆さにして、その白いのを炭酸水になじませてから封を開けるんだってさ」
「逆さですか」
「三十分逆さでキープ」
「ええ!」
瓶ソーダを逆さに持つことになった俺はベッドの端に座らされ、俺の隣に国枝も座ったが、国枝の手にあるのは新潟の地ビールの瓶だった。
ああ! 彼は普通に栓を開けてラッパ飲みをし始めたじゃないか!
俺は三十分の刑に処せられているというのに!
「なんか、地方の仕事ってさあ、こういう楽しみないとやってられないって言うか、わかる?」
俺は国枝に相槌の頷きをしながら、虹河もこんな感じにぼやきながらビールを飲むはずじゃないかとぼんやりと考えてしまった。
すると、国枝は初めて国枝と言える笑い方をした。
狐が笑ったような、にやっという笑い方だ。
「あの」
「これは教育だよ。君の前に今後現れる人達は、君のことをよく知っている、あるいは、君の大好きな虹河の事をよく知っていると言い出すだろう。または、今の俺みたいに虹河そのものの振る舞いをするかもしれない。そんなもの、君に触れれば君の身体や心が覚えている事を簡単に読み取れるのにね」
俺は頭を下げた。
ありがとう、とも言っていた。
「嫌じゃ無いの? 君は俺に記憶を盗み見られたんだよ?」
「でも。俺は虹河さんを思い出せました。俺の思い込みじゃない虹河さんに会えました。虹河さんは……」
涙が込み上げて来た俺は、国枝に顔を上げられなくなった。
国枝は俺の肩に軽く腕を回した。
その腕は俺を彼に軽く引き寄せ、俺の頭を自分の肩に寄りかからせた。
これも、記憶の中の虹河がしてくれた、俺を慰める時と同じ振る舞いだった。
「あなたは優しいですね」
「君はチョロすぎる。赤ん坊過ぎて毒気を抜かれる、それだけだ」
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