夏休みに向かって

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夏休みに向かって

「私には夏休みなんて無いんだよ」  俺の机の真向かいに座り、俺が作った弁当を突く大弥彦という絵面は、誰がどう見ても付き合っている恋人同士です、ありがとうございます。  そんな疑似恋人が溜息交じりにそんな台詞を言って見せたのだから、俺の教室の俺のクラスメイト達は興味津々で耳を傾けて来た。  心なしか奴らの耳が1.5倍に見えるのは、俺の心象によるものか!  俺は俺の「公認の恋人?」になってしまった先輩を見つめ返した。  彼女は暴力的だが優しい。  彼女が俺と常にいてくれるお陰で、俺は様々な雑多な霊や俺を狙う花房家の呪いなんてもの、さらには、高等部に上がってから増えた女子からの告白からも遠ざけてくれるという結果となっている。  つまり彼女は、俺が足を向けて寝られない人、でもある。  そんな恩が増えていくばかりの大弥彦が、「夏休みが無い」とぼやいたならば、弟子でもある俺が何とかしないといけないのでは無いのか?  いや、俺が彼女の傍にいると、彼女の能力が限定される。  呪術者は守るべき相手に信仰する神があるならば、そこに焦点を当てて守りの盾を作らねばならないらしい。  俺が夜には月光菩薩を唱え、昼には大日如来である日光菩薩を崇めるようになったのであれば、あらゆる呪術をマスターしている彼女が俺の守りに唱える事が出来る呪文が、大日如来の光明真言しかないというのが申し訳ない。  彼女は時々ぼやくようにもなった。  崇継がハナブサに術を教えるなと言ったのは、これこそ理由だったかもな、と。  俺はそのぼやきを聞く度、足手纏いにしかならない自分を情けなく思う。  もともと情けない自分脱却から大弥彦に術の教えを乞うたのだが、俺は殊の外覚えが悪く、彼女が俺に教え込めたのが数個の梵字だけだったという、しない方がましな結果となったとなったのだから。  それらの結果を踏まえた大弥彦は、俺に更なる呪術を教える事をやめた。  よって、俺が使える梵字も五つしかない。  シャとバンあるいはアそして、イーとボラ、だ。  シャは、月光菩薩が夜を見守る菩薩だから、俺のベッドルームに撒くやっこさんの折り紙に描かれる梵字となっている。  バンとアは太陽神で昼を守る大日如来のことだが、バンが金剛界の知恵を司り? アが胎蔵界の慈愛の方? らしい。  大日如来には二つの世界があるという時点で、俺は頭がぐにゃぐにゃだ。  もちろん、大弥彦は、俺に説明することに匙を投げた。  彼女が俺に言った事は、夜と昼を守って貰えとそれだけで、月光菩薩に日光菩薩を俺に教え込んだのだ。  それから追加で教えてもらったのが、イーである。  イーは帝釈天で戦闘に強い神様らしい。  ボラについては、帝釈天の対の梵天だからついで! と覚え込まされた。  ええと、これらを総合して考えるに、俺はやっこさん折り名人だ。 「おまえ、私に何か言う事は無いのか?」 「俺には何もできません!」 「聞けよ! 出来なくても聞きなさいよ! どうして夏休みが無くなったのですか? って。会話はキャッチボールでしょう?」 「すいません。毎回剛速球なんで掴み損ねていました。で、どうして夏休みが無くなったのでしょうか?」 「ここでは言えんな」 「変化球だ! キャッチできねえっす。キャッチさせてください!」 「場所を変えようって事でしょう。僕もあと十分で教室に戻らねばです」  幼稚舎と呼ばれる小学校校舎からどうやって高等部の校舎迄来れたの? そんな質問など圭君には愚問だと俺は自分の弁当の蓋を閉めた。 「先輩も弁当を片付けて。場所を変えましょう」  大弥彦は嬉しそうな顔をして弁当箱の蓋を締めた。
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