まだ夏休み前なのに?

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まだ夏休み前なのに?

 夏休み前にはもちろん期末試験がある。  俺は机に向かって勉強をしていた。  この机は崇継が買ってくれたもので、彼は俺が大きくなれば買い替えると言っていたのだが、俺の我がままで替えずに使っている。  大きくなるまで使い倒そうと机に向かったからか、俺はこの机に愛着が湧いてしまい、体が大きくなった中学三年の春に買い替えの打診が崇継からあったが、俺は当り前のように断ったのである。 「体に合わないものを無理に使うと(はなえ)の体を壊すでしょう?」 「そうだけど、そうだ! 椅子を低い奴にすれば大丈夫だよ! 小さな椅子を探してみる!」  崇継は俺にそれ以上強く言わなかったが、彼は自分でしたい事をしてしまう人だと俺はその時思い知らされたと思い出す。  俺が中学の修学旅行中の不在の間に、職人に机を渡し、解体させてから高さを出す木部を仕込んで組み立て直すという荒業に出たのである。  絶対に、新しい机を買うよりも高くついたはずだ。  ここまでして弟を可愛がるという姿勢に、俺が崇継に完全にひれ伏したのは言うまでもない。  だからこそ、俺は勉学に励むのだ!  これしか今のところ俺には彼に返せるものが無い。 「偉いね。勉強のし過ぎは目を悪くしちゃわない?」 「まだ取り掛かったばかりですから大丈夫です。兄さん、今手が空いているならお願いしていい? 英単語の発音がよくわからないんだ」  崇継はふっと微笑みを浮かべると俺の部屋に入って来た。  そして俺が手渡した教科書を持ち、俺の机に寄りかかった。 「君は嘘つきだ。勉強好きの君がわからない場所など無いでしょう?」 「でも兄さんが英語を読む声が好きなんだ。カッコイイっていつも思う」 「全く君は!」  兄は吹き出し、そのままその笑い声で教科書の英文を読みだした。  彼は英語が得意な人である。  英語は人の気持ちがわかりやすいと彼は言う。  しかし、外国の人と英語で話しているのを見た事が無いと、俺は不思議だと兄の横顔を見つめた。  シミ一つない白い肌は髭の存在どころか毛穴だって見あたらない。  教科書を読むために目線を下げた目元は、長い長いまつ毛の影が頬に落ちていると錯覚するぐらいに彫りが深い。  つまり、血の繋がった肉親にさえ溜息を呼び起こすような美しさを、兄は持っているのである。 「君、聞いているの?」 「ごめんなさい。うっとりしていました」 「全く君は。そういう所は虹河にばっかり似てくる」 「虹河さんはテスト勉強などなかったでしょう?」 「僕にはテストがあったでしょう。お勉強しなさいって嬉しそうに勉強の邪魔をしに来てね、僕に教科書を読めと君みたいに強請ってきたよ」 「それで兄さんの声に聞き惚れちゃうんだね。俺と一緒だ」 「全く。僕のどこがそんなにいいのだか。薄皮をむけば腐った内臓と血肉しかない、どこの誰とも一緒だろうにね」  俺は兄の声にいつもと違う声音を聞いた気がして、兄の外見をいつものように褒める言葉を言ってはいけない気がした。  だがそれで俺が言葉を失うわけはない。  俺が兄を好きなのはそれだけでないからだ。 「俺は単に兄さんと話がしたいだけなんだ。多分虹河さんも。兄さんと会話できるのは凄く嬉しい。困った時の解決法は、兄さんにしかできないと思うよ。この机が生まれ変わったようにね!」 「ハハハ。それのアイディアは虹河だよ。あいつはね、古いものを壊したんだ。だけど全部は壊さなかった。使えるいいものは使いまわせば良いと言ってね。僕はそれを参考に、この机問題も考えたんだよ? 君が気に入るようにはどうしたらいいのかなって。そうだ、古い机を壊してその部品を使いつつ、新しい机を仕立て直すのはどうだろう」 「わあ、この机は兄さんと虹河さんの合作って事? もっと大事にしなきゃね!」 「そうだね。当の虹河は物凄く皮肉めいた表情を見せてくれたけどね」 「どうして?」 「あの言葉はポーズで、俺は全部壊すつもりだったと知っている癖にって。悪かったな、力不足でよ、ってね」 「虹河さんは何を壊したかったの?」  兄は戸口に顔を向け、そこに虹河が立っているかのような目線を向けた。  背の高い虹河が立った時、そこに彼の顔がある位置だ。 「たぶん。僕達兄弟の不幸だね。僕はその意志を受けるよ。僕の選んだ道は虹河こそ怒り出すものかもしれないが、僕が花咲ける唯一の道だ。僕が虹河の意図から外れたら、君は僕を厭うだろうか」  兄の黒曜石のような瞳は俺を真っ直ぐに見つめる。  あの日、兄が俺を迎えに来た時のように、いいや、彼はいつだって俺を真っ直ぐに見て俺に手を差し伸べてくれるのだ。  唯一の家族だから。  俺は俺の机についている兄の左手を、自分の右手を重ねるようにして握った。 「俺が兄さんを嫌うことなど無いよ。兄さんは俺を迎えに来た時、手を握って欲しいって俺に言ってくれたじゃないか。俺はその一言で兄さんを愛しているし、兄さんの手を絶対に離すもんかって思っている」  俺の頭を崇継の右手がぐしゃっと撫でた。  こんな撫で方は虹河しかしなかったのに。  兄は虹河の代りをもしてくれるというのだろうか。 「兄さんこそ慰められなければいけないのに!」  俺を撫でる手はびくりと一瞬止まった。  そして、彼としては初めてのことをした。  俺のほっぺをつねったのだ。 「本当に馬鹿な子だ。テスト休みは賢くなるために音楽でも聴いてきなさい」 「え?」 「大弥彦の篤子に話は通してやろう。高校生なんだから女の子とデートぐらいしなさいよ」  え?  世界はどうなってしまったのであろうか?  あなたがデートした事こそ無いと、愚弟は記憶していますが?
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