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富士屋ホテル
私達の休日は月曜日。
この曜日を休日に定めたのは、旅行好きの家内が、他の人が働いている日ならどこの施設も安く利用できる、と主張したのと、月曜日は祝日になることが多く、一般職の友人とも予定を組みやすいからだ。
確かに、運悪く理髪店組合の団体に遭遇しない限り、どこへ行っても混むことはない。
今まで理髪店組合にも、遭遇したこともないが……
案の定渋滞もなく、出発から2時間もしないうち、お目当ての『箱根富士屋ホテル』の駐車場と書かれた看板の前に着いた。
看板の前には、くすんだワインレッドのロングコートに、シャルル・ド・ゴールが将軍時代に被っていたような帽子を身につけたポーター(駐車場係)が、直立不動で立っていた。
私はポーターの前に車を停め、ウインドウを下ろして告げる。
「あのー、カレーを食べに来ただけですが、よろしいでしょうか?」
「いらっしゃいませ。
本来でしたら正面まで行っていただき、手前どもがおクルマをお預かりするのですが、ただ今のお時間ですと、カジュアルダイニングに近いヴァレーパーキングゲートの方が、お客様のご都合がよろしいかと存じます。
こちらのスロープをお登りになって、最初の角を右へ回っていただきますと、わたくしと同じ制服の係員が立っております。その者の前でお車をお停めください」
バリトンの優しい声でポーターが告げた。
その風貌から私は彼を、フランスで1番有名な従者の名前『アンドレ』と心の中で名付けた。
そうだよな、この国産ファミリーワゴンじゃ正面玄関には来て欲しくないよな……
私は、昨日の雨で汚れたフロントグラスを見ながら思う。
ま、業者の配達に間違えなかっただけ、アンドレ君、君は有能だ。
アンドレに別れを告げ、スロープを登る。
右に曲がると、洋風建築の上に和風の瓦葺きの屋根、重厚な佇まいの木造建物がみえる。
その建物の前に直立していたアンドレ2号の前で車を停め、1号に言ったように
「カレーを食べに来ただけですが……」と告げた。
アンドレ2号は最敬礼をしたあと
「いらっしゃいませ。
エンジンをかけたままで、こちらでお降りください。
恐縮でございます、ロック解除していただけますか?」
と、私がロック解除をしたのを確認し、ドアを開けた。
助手席側には、いつの間にか現れた、アンドレ3号がドアを開けている。
普段は、口より手が出る方が早い家内が「ありがとう」と言いながら、見せたことのない優雅さでクルマを降りた。
あの…… 駐車券は? と聞こうと思った矢先、アンドレ2号がこちらでございます、と先頭に立ち、重厚な木枠にピカピカに磨かれたガラスがはめられている玄関のドアを開ける。
後ろでブーというエンジン音がしたので振り返ると、アンドレ3号が私のクルマをどこかへ連れて行った。
もう逃げられない。
カレーを食べに来ただけなのに、これだとどれくらい駐車料金を請求されるのだろう?
手前にあった、土産物屋兼食堂の駐車場に停めて、歩いてきた方が安上がりだったかも……
貧乏症の私は、後悔した。
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