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お会計は……?
広々した庭を散策しホテル内に戻った私は、ちょっと方向感覚を失っていた。
家内は初めから方向感覚がないので、頼りにはできない。
どっから来たっけ? キョロキョロあたりを見回していると、後ろから声がかかった。
「何かお困りでしょうか?」
振り返ると、赤いベストを着て均整の取れたスタイルの女性ホテルスタッフがいた。
とっさに『ジョセフィーヌ』と名付ける。
ジョセフィーヌに、帰りたいのだがさっき来たヴァレーパーキングゲートの場所がわからなくなったと伝える。
「ご案内いたします」
私たちは、にこやかに先導するジョセフィーヌに続いた。
振出しに戻るとセバスチャン1号が、旧知の友人に送る笑みを浮かべて
「〇〇様。お戻りでございますか?」と問う。
2時間前に告げた名前を、何も見ず正解した初代セバスチャンは、クロークにあるインターフォンに「〇〇様のお車をお願いします」と語りかけた。
すぐに駐車料金とサービス料の清算に取り掛かるのであろうと思っていたが、セバスチャンは微動だにせず、にこやかに問いかけた。
「ご満足いただけましたでしょうか?」
「ええ。とても美味しゅうございましたわ。食後にはお庭も散策しましてよ」家内が横から口をはさんだ。
お前は、どこぞの悪役令嬢か!?
私はひとり驚いた。
セバスチャンは満足げに微笑んだ。
いつまで経っても清算する気配のないセバスチャンに「あの~、駐車料金とサービス料の清算は……?」と問いかける。
「ご不要にございます」
こともなげに答えが返ってきた。
玄関のドアが開き、アンドレ2号が「お車のご用意が整いました」と外へ出るように促す。外を見ると来た時のように、開け放されたドアの横に直立不動でアンドレ3号が立っていた。
「お気をつけてお帰りなさいませ。またのご来館、心よりお待ち申し上げます」
セバスチャンの声に無言で会釈をしながら、エンジンをかけてある車に乗り込む。アンドレ達は、静かに、そしてしっかりとドアを閉めた。
前を見ると、昨日降った雨で汚れた曇りが、フロントウインドウからなくなっていた。
バックミラーに3人の、きっちりそろって30度の最敬礼が映る。
イギリス貴族の家令達のようなサービスで供されたカレーライス。
休日、カレーを食べに来ただけの私には、華麗過ぎる体験であった。
(了)
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