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今日は喜久川原鉄之助に時間を割いた。
四捨五入すれば二ケタの億になる分譲価格だと、数年前に話題となったどでかいマンションの最上階。そこに女好きの野郎はマダムと二人で暮らしている。子供はいない。
マンションのエントランスをじっくりと観察できるポジションに今、俺は陣取っている。億ションから歩いて三分。巨大ショッピングモールの屋上駐車場の一角が、今日の俺の職場だ。景色を眺めるふりをしていれば、カートを集めて回るじいさんスタッフの注目からも逃れることができる。必要な時は双眼鏡を目に当てることすら自由だ。
休日の朝。二人は腕を絡め合いながら、エントランスを抜けた。駐車場に進み、笑顔でポルシェに乗る。
夫はジーパンにTシャツ。マダムも細身のパンツにざっくりとした上着を合わせている。気楽な恰好だ。ブランドショップで買い物をするよりは、ドライブを楽しむための外出だろう。
遠目に見るぶんには、仲のいい夫婦だ。未だに青春の香りすらする。昭和のオシャレな雑誌の表紙かと思った。マダムの笑みは、偽りには見えなかった。離婚を望む女が、四十を超えても夫と腕を組んで歩くだろうか。
俺は的外れな調査をしている気分だった。なにかが決定的にズレている。俺と元妻の歯車が、まったくかみ合っていなかったのと同じくらい。
刑事だった俺は、世のため人のための仕事に全力を尽くした。現場と署に入り浸り、家には週に一度帰ればいいほうだった。
社会の秩序を守るために奔走する俺を、妻は誇らしく思ってくれているとばかり考えていた。だがそれは、俺の身勝手だった。
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