身辺調査

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 女が屈強な体を上下そろいの紫ジャージで包んでいるのは、ビル掃除が女の健康法のひとつだからだ。手にはホウキ。健康増進のついでに俺の事務所に顔を出したのだろうが、どうしても棍棒に見えてしまう。家賃を着々と滞納する態度の悪い店子を打ち据えるための。女学校に通っていた七十年ほど前は、薙刀が大の得意だったとのことだ。  俺がきっちり家賃を納めれば、この迷惑女の訪問は劇的に減ると思われる。しかし俺は自由業。規則正しい収入とは縁遠い。この点に関しては、毎朝目にするサラリーマンどもがうらやましい。  このビルに居ついておよそ三十年。催促ナシで家賃を払う快挙は、未達成記録を継続中。今年の一月に軽くサボった入金は、夏の真っ盛りでも不払いを継続中。油断をするとすぐに日付が変わり、あくる月がやってくる。地球の自転は俺の想像以上に速かった。  八十を超えているとは思えない足取りで、大家のババアが俺の前にすばやく到達する。俺と目の高さがほぼ同じだ。  俺は決してチビではない。六十代男性の平均だ。ちなみに体重は軽め。食うや食わずで生きているからではなく、外出と帰宅のたびに、四階分の階段を上り下りしているから。ババアに負けず劣らず、俺も健康的なのだ。 「なんか言うことはないのかい、不良ジジイ」 「このビルに住めば誰もがヘルシーになる。健康ビルと名付けるのはどうだ」 「よくもまあ、そんなくだらないことばかり言えるね。ボケッとウマヅラさらしてないで、これを見な」  眉を急角度に上げ、開いた手書きの帳簿を突き出す。俺の高くもない鼻先に紙面がかすった。ババアの苛立ちは相当なものだ。
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