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「大家さまと同じく、俺も目が弱ってんだ。近くの字はかすむんだよ」
「さっさと老眼鏡かけな。ほら、自分の名前はわかるだろ。大賀誠の欄をよーく見な」
ババアの指示に従い、凸レンズの眼鏡のお世話になる。老眼ってやつには勝てなかったが、記憶力は衰え知らずだ。明晰な頭脳を証明するがごとく、今年の入金欄にはチェックがひとつも入っていなかった。
「払うつもりはあるんだろうね」
「あるある。いつも雨風をしのがせてもらって、このボロビルには感謝してるよ」
「おまえさん、年金はどうなんだい」
さすがは業突くババア。ボロビルていどの嫌味にはビクともしない。俺が社会の歯車に組みこまれていないのを知っているくせに問い質すのは、もちろん嫌味返しだ。
「年金ってのはな、払ったやつしかもらえないんだよ。俺が国家に老後を託すだなんて、ほほ笑ましいことをすると思うか」
ふん、と鼻で笑いやがったぜ、ババア。
「元は国家権力の犬だったくせによく言うよ。ところで探偵さんよ、働く気はあるかい」
「俺はいつだって勤労を心掛けている。国民の義務だしな。ただ、仕事がないだけだ」
「まったく。探偵だなんて仕事で、よくも今日まで生き延びてきたもんだよ」
「霞を食っても生きていけるほどしぶといのが、俺のセールスポイントだ」
実際のところ、短期のバイトをつないでなんとか糊口をしのいでいる。繋ぎの手間仕事の経済的恩恵を家賃にまで波及させようとした場合、かなりの気合いが必要だ。
今日がなんとかすごせりゃもういい。明日の俺まで、面倒は見切れない。
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