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侮辱とも取れる俺の物言いに、マダムはようやく動いた。もともとさがっている目じりをさらにさげ、心底うれしそうに頬をかがやかせた。すぐさま、明るく高らかに声を放ち、大笑いしやがった。よほどにおもしろいのか、涙まで浮かべている。
しばらくの間、マダムの涙はとまらなかった。やがてバッグを開き、ハンカチを手にする。目じりを軽く押さえながら、何度かゆっくりと息を吸い、吐き出した。
「泣きたいのは俺のほうだよ。これだけ裏のある依頼は初めてだ。夫の浮気を口実に、とある女の身辺調査をさせる。手間を食うばかりか、約束した成功報酬は最初から絵に描いた餅。さらにはここまでタダ働き」
「そんなに嫌わないで。これを調査費にして」
ハンカチをバッグに収めた手が、レンガほども厚みのある封筒を取り出した。机がどんと重い音たて、四角いかたまりを受けとめる。
「なんだ、これは」
まさか千円札が詰まっているわけではないだろう。この分厚さ。本当に五百万が入っているのかも。
「念のために持ってきたのよ。ひょっとしたら、私のでっちあげた浮気がまことになってるかもしれないし。夫に秘密で用立てできる、精いっぱいの額よ」
「初めに言ったが、俺はあんたの依頼をこなせなかった」
「でもね、私の依頼をはるかに超える成果を出したわ」
「俺はいつだってご婦人がたの予想を上回るからな」
「またそのセリフ? ねえ、おじいちゃんの若いころは、そういうのがカッコよかったの?」
「ああそうだ。俺はいつだってカッコいいんだよ。この金は、あの子が起業する時の資金としてやれよ」
「どうやって。私は由香理の前に立つ資格なんてない」
「俺にいい案があるんだ。また俺に依頼するかい? かなり金のかかる仕事になるがな」
「いくらでも払うわ」
「ほお、そいつはすげえな。それじゃあいい案とやらを、今から考えないとな」
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