身辺調査

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 ベッドを部屋の隅に押しつけ、衝立で隠しただけのむさい事務所をじろじろ見ることもなく、マダムは合皮のソファに座った。  俺も向かいのソファに腰かける。二人の間に置かれたローテーブルには、文庫本と雑誌が崩れそうな山を築き、飲みかけのコーヒーがマグカップの中で湯気をたてている。半分かじったクロワッサンは許されるのだろうか。なんにせよ、生活感がまる出しだ。  これまでにうちを訪れた依頼人なら、まるで気にならない事務所の有り様が、マダムの前では俺の羞恥を刺激する。 「コーヒーでも飲みますか?」  間を持たせようと取り繕った質問は、目を閉じてゆっくりと振られる頭に却下された。縦巻きロールの髪が揺れるたびに果物の甘い匂いがする。見た目は三十代前半といったところだが、手の甲から推定すると、年齢はあと十歳プラスか。  マダムは俺との世間話などいらないのだろう。有名ブランドのロゴがまぶしい黒革のバックから、写真を一枚取り出した。 「これが夫なんだけど、知ってる?」  山積みとなった雑誌の上に置く。雪崩寸前の微妙な傾斜が写真をすべらせ、男の笑顔が自動的に俺の指先に到達した。  ひと言で片づけると、精力ムンムンのおっさん。短く刈った髪と顎ひげは半分がた白い反面、目が若々しい。幅広のふた重まぶたは外国人っぽくもある。濃い顔だ。いかにも女好きの顔でもある。少し前に流行った言葉だと、「ちょいワルおやじ」というやつがぴったりくる。  写真の隅をつまんだまま黙って見つめる俺に、「知らいない」と判断したのだろう。 「きくがわらてつのすけ」
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