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マダムはやたらいかめしい名前を告げた。名刺も雑誌の山に載せる。片づいていない事務所への当てつけだろうか。それとも、細かいことにはこだわらない性格なのか。どうにも、マダムの内面が見えない。
喜久川原鉄之助。
ゴテゴテと漢字の連なる古風な名前には見覚えがあった。名刺の右端に添えられた会社名がすぐに解答を知らせてくれる
キクてつフード。数年前に上場を果たした外食業界注目の会社だ。チェーン展開が波に乗り、全国での出店数がうなぎ上りだと聞く。たしか駅の向こう側にもあったはずだ。
俺が夫の正体をつかんだと見通したマダムは、話を進めた。
「夫が浮気を始めたの」
マダムが来た時から、俺には依頼内容がわかっていた。夫の身辺調査とは、この業界では浮気調査のことだ。
「間違いないのか」
「勘よ、私の。でも、間違いない。夫は、浮気をしている」
オットハ、ウワキヲシテイル。自動音声で読み上げたメッセージのように、なんの抑揚もつけずにマダムは言葉をならべた。激しい怒りの炎が人間らしさを焼き尽くしたのか。表情の失せた顔は、目鼻が完璧なバランスで配置されているぶん、作り物めいて見えた。
能面をかぶったまま、マダムは新たな写真を取り出した。スーツ姿の女が、街中を歩いている。カメラを意識していない自然な表情と画像の荒さから、隠し撮りだとわかった。
マダムがフランス人形なら、この女は日本人形。切れ長の目が印象的だ。眉と口元に、上昇志向の強さがあらわれていた。美しくはあるが、あと何年かしたら、離婚を軽々とする俺の嫌いな女に成長するだろう。
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