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この先、マダムとの話の展開はわかりきっている。しかし、ここは様式美に従い、俺は退屈な質問をした。
「この女性は?」
「うちの人の会社に今年入った社員。新卒らしいわ」
それで、と俺は目で促す。
「浮気の相手はこの女。私の見立てでは、ほぼ確定かしら。あなたには、動かぬ証拠を手に入れて欲しいの」
「手に入れて、どうするつもりだ」
ふふん。口の端だけを曲げてマダムは笑う。意地の悪い笑みだが、美人の笑みはさまになるから手に負えない。半開きにしたふた重のまぶた越しに、目があやしく光っていた。
なるほどな。この女は、浮気を理由に離婚するつもりだ。依頼人の夫は、ここ数年で急成長した企業のオーナー。離婚ともなれば、さぞかし慰謝料をふんだくれるだろう。
「手に入れた証拠をどう使うかは、あなたの想像に任せるわ。報酬は、浮気の現場を押さえたら五百万。言い逃れのできない事実を手に入れたら三百万。成果がなければ、そうね」
その先はなにも言わなかった。ひとつまばたきを入れ、マダムはこの依頼の支払い方法を述べ始めた。
「報酬は現金で手渡し。領収書はいらない」
つまり、税務署に申告するもしないも俺の自由、ということか。しかし、冗談のような額だ。そしてこの女は、それだけの金を右から左に動かせるほど、懐が温かい。
浮気の尻尾をつかめなかった場合の報酬はどうなる。俺がチョンボをかますのではなく、夫が清廉潔白である可能性を考慮する必要もある。なにせ、浮気の根拠はマダムの勘だ。
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