超・妄想【雨あがり】

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築五十年の時代遅れな我が家。庭に置いた洗濯物干しは、もはやここに生えているかのように馴染んでいる。 娘に買って貰った真新しい全自動洗濯機から「よっこい、よっこい」と洗濯物をかごに移して、庭まで持っていく。全自動って助かるわねぇ。 ふぅ、と見上げた空は、薄い雲に覆われ始めている。洗濯物が乾くまでお天気がもつといいけれど。梅雨の時期のほんの僅かな晴れ空と、雨の神様に「お願いね」と祈って、洗濯物を干していく。 汗をふきふき、からっぽになった洗濯かごを持って家に入ると、同じ年の幼なじみで旦那さまのおじいさんが、茶の間の隅でこそこそしている。 「ひろさん、何しているの?」 「ひゃっ! ……う、うぐっ」 喉に何かを詰まらせたらしいひろさんが、苦しそうに喉を押さえていた。慌てて駆け寄り背中をバンバン叩くと、そのうち口からスポーンと飴玉が飛び出した。 「突然声をかけたのは悪かったけど、こそこそしなくてもいいじゃない?」 ホッと胸を撫で下ろす。あぁ、びっくりした。ひろさんはバツが悪そうに目を泳がせて「ごめんよぉ」と頭を下げた。転がった飴玉を名残惜しそうに見ている。 「甘いものは控えるように言われているでしょう、先生に」 「はい。いやでもこれは、シュガーレスだから……」 「だから?」 「……一日、いっこ、で」 シュガーレスキャンディを手のひらに乗せて見せるひろさんに、わたしは「まったくもう」と肩を落とす。 茶の間の大きな窓からさっき干した洗濯物が見える。風に揺れてひらひら舞う布。風に擦れてさわさわ鳴る庭木の葉の音。部屋の中に入ってくる優しい風の温度。 子ども達がいた時は騒がしくて、庭をこんな風に眺めた事はあったかしら。自分とひろさんの二人になって、穏やかな時間の流れが漂うようになった。もちろん、二人だからといって暇なわけではないけれど。 「さて、朝ごはんにしましょうか」 台所に入って、支度しておいたごはんを二人分持ってくる。ちゃぶ台に並べるとひろさんは嬉しそうに座布団に座った。 「玉子焼きじゃー。これが好きなんじゃよー。甘いやつがのぅ」 「甘さ控えめですけどね」 ご飯に味噌汁、お漬物。玉子焼きとほうれん草のお浸し。トマトは冷やして切っただけ。砂糖もそうだけど塩分も控えて、余分な味付けをしないように。年を取ると体の事を考えて、あれもこれも控えちゃう。 少ししょんぼりしたひろさんは、それでも玉子焼きを口にいれてゆっくりと味わっていた。特に会話もなく、二人とも完食して「ごちそうさま」と手を合わせる。 しばらく食器を片付けたり、掃除をしたりしていたせいか、風の音にパラパラという雨の音が混ざっている事に気が付かなかった。掃除機はそろそろもう古いもので、音が大きい。 そのうち、茶の間で新聞を読んでいたひろさんが、ばたばたと動き出した。今度は何かしらと茶の間に入る。 「あらあら、雨が降ってたんですね……あらまぁ」 茶の間には、庭の洗濯物干しにかけてあった洗濯物が全部投げ込まれている。隣にひろさんがどかっと座り込みわたしを見上げた。 「おー、だいぶ乾いたようじゃが、見てくれんかぁ?」 「ええ。ありがとう、ひろさん」 乾いたものは畳んで、乾かなかったものは家の中に干しておく。空は明るく、風があるからまた雨はやむだろうか。 窓から空が見える場所で、ごろんと転がったひろさん。お気に入りの座椅子じゃなく、床に転がるのは普段はあまりない。 「どうしたの、ひろさん」 風向きのおかげか、窓を開けていても雨粒は入ってこない。心地良い風が時折、ふわっとひろさんの薄くなった白い髪の毛を撫でている。 目元の皺を、さらにニッと深く刻ませて、ひろさんはヒッヒッと笑った。 「雨降って、爺、固まるじゃ」 ……雨降って、地固まる。にかけたらしい。何言ってるんだか、と、面白くないわよと言おうとしたら。ひろさんはにやっと笑った。 「……死後硬直的な意味で」 「死んでるじゃないですか!」 ちゃっかり胸の上で手を組むひろさん。そういえば昔から、こんなしょうもない事ばかり言ってなぁと思い出す。学生の時も、社会人になっても。結婚しても、子どもができても。 皺ばかり増えて、体は衰えて。一日が長くなって。それでも年寄り二人で生活できるくらいには健康で。 晴れの日も、雨の日も。雪の日も、曇りの日も。忙しい日々も、穏やかな日々も。 くだらない事で笑って、しょうもない事言って。喧嘩しても、すぐに仲直りして。心にかかる雨雲は、二人の気持ちをしっとりと潤してから、散り散りになる。それから覗く雨上がりのお日様の暖かさに、ほかほかと心を暖めてもらう。 そんな日々の繰り返しで、今がある。 「週末、子ども達を呼んで、パーティーでもしましょうか。ケーキでも買ってこようかな……あら。雨、あがりましたね」 生クリームのケーキはみんな大好き。もちろん、ひろさんも。通り雨だったのか、湿った風を残して雨粒は落ちてこなくなっていた。 「おっ、ケーキじゃー!」 一番嬉しそうに声をあげて、起き上がったひろさんは両手を高く振り上げた。とたん、バラバラッと降ってきたのは。 コツン、と頭に当たって落ちたのは、飴玉。色とりどり、味さまざま。 「おやっ! 飴降りじゃ」 「こんなにたくさん。没収です」 畳に散らばった飴玉を広い集める。ひろさんはこの世の終わりを見たかのような顔で「あぁぁっ、そんなぁぁ」と崩れ落ちた。 *end*
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