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お気に入りの傘だった。
プチプラとは思えないほど可愛い花柄であり、柄の部分には盗まれないように名前シールまでわざわざ貼っていた。
それでも、盗まれる時は盗まれる。
私は傘立てを見て茫然と立ち尽くしていた。
「……あんな可愛い傘、もう二度と会えないと思ったのに」
傘は消耗品であり、値段をかけるだけ無駄。そんな風潮もあることにはあるけど、諦めきれなかったんだ。
私は「ううううう……」と泣いた。
傘泥棒は、デザインも持ち主の気持ちもどうだっていい。盗られたほうが悪いだろうと笑われるだろう。でも、盗ったほうが悪いに決まってるのに。
ひとしきり泣いてから、私は「さて」と前を向いた。
雨脚は速く、もう既に人の気配がない。図書委員の当番がなかったら私だってここまで雨がひどい中帰らずに済んだ。
私は「走るか」と屈伸をする。
家族は今はパートタイムで働いているから留守だ。傘なくしたと言ったら悲しい思いをするだけだ。十分走ったら、制服はどうなるかな。そうぼんやりと思っていたら。
「なに、傘なくしたの?」
声をかけられた。
近所に住んでいる後輩の弥くんだった。
「うん。盗られたから、走ろうかと」
「制服白いじゃん。透けるよ」
弥くんは昔からばっさりと言う。それに私は笑う。
「透けないような色の下着をしてるんだよ。見る?」
「それは多分逆セクハラだと思う」
「そう。セクハラしない立派な大人になるんだよ、それじゃあ」
「待って。セクハラも逆セクハラもなしで、もう傘に入れば?」
その提案に、私は「はて」と思った。
持っている傘は大きく、小柄な弥くんにしてはずいぶんとナイスな提案だ。
「いいの?」
「だって制服透けたら可哀想だし」
「だから透けないってば」
「わからないよ。濡れて透けて貼り付いたら」
そこまで雨ひどかったら、もう皆透けた制服なんか見てる暇なくないかな。
そう思いながらも、雨脚が少しだけマシになったから、ふたりで傘に入って帰ることにした。
弥くんは私よりもずいぶんとマセたことを言う。
「傘そんなにいいものだったの?」
「プチプラだよ。百均の五百円コーナーで買ったの」
「なるほど、百円よりは高いけどたしかにプチプラ」
「可愛い傘だったのにさあ……どこかのゴミ捨て場に刺さってたら悲しい」
「ちゃんとゴミの日に出してくれたほうがまだマシだよね」
「それもヤダ」
ぐだぐだしゃべっていたら、雨の音が消えた。
おや、と思っていたら。私は「ああ!」と声を上げた。
「すごいよ弥くん、虹!」
夕焼けの中、虹が鮮やかに浮かび上がっていた。
今日は傘を盗られてさんざんだったのに、これだけで喜べるんだから厳禁だ。
弥くんはポツンと漏らした。
「残念だなあ……」
なにが、とは聞けなかった。
<了>
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