10.逢引きの夜(強制)

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10.逢引きの夜(強制)

 ジョシュアはその日もまた、ミライアにこき使われる形で街中を走り回っていた。  ただ最初の頃と違うのが、ジョシュアの警戒心が半端無く引き上げられた、という点である。あの同族の男と出会って以来、ジョシュアは決して人の多い場所へと出向かなくなっていた。人混みに紛れ気配を消されると、ミライア級の吸血鬼なぞ、ジョシュアからすれば発見するのは困難を極めたのだ。故にあの日以来、ジョシュアは徹底的に人との出会いを拒否した。  あの男の気配を少しでも感じると、ありったけの魔力で身を隠したり何だり、思いつく限りの対策を行ったのだった。そんなジョシュアの行動力が功を奏したのか、あの日から3日程、ジョシュアがあの変態と出くわす事は無かった。  とある店の屋根上で、そんなここ3日間程のジョシュアの様子を見たミライアは一言、ジョシュアをジト目で睨め付けながら不機嫌そうに言った。 「お前……出来るんならば最初からやれ、この馬鹿者が」 「へ?」 「人前にほいほい出るな、って事だ。お前が未熟だからあんな、人間に紛れて店の中やらにも入っていくものだとばかり思っていた」  師匠とも言えるミライアに睨まれながらそんな事を言われて、ジョシュアは面食らった。 「ーーいや、あんまり遠いと情報収集も疲れる、から……」 「それが馬鹿野郎だというんだ。出来るんなら遠くからやれ。我々が吸血鬼だとバレたらどうする」 「どうって……」 「吸血鬼やら魔族やらを専門とする人間達も居ない訳では無いのだぞ。数は少ないがな」  言いながら、ジョシュアの頭を鷲掴んでくるミライアと、告げられたその事実に多少怯えながら、ジョシュアはその場で縮こまりながら震えた。 「そん、な、命知らずが……」 「この世に化け物が居るならば、人間の中にも化け物が居るという話よの。生き残りたければちゃんと覚えておけよ」 「……分かった」 「それとお前、あまり人前で軽々しく我らの名を呼ぶなよ。私の真名は教えとらんが、それ以外の名も、だ」  次いで告げられた内容に、ジョシュアは一層固まった。ミライアの『真名は教えていない』という事実にショックを受け、その上更に偽名ですら呼んではならないという、そんなミライアの忠告にギョッとしてしまったのだ。衝撃の余り、言葉すら思うように出なかった。 「え」 「名前は力を与えもするし縛りもする。余り多くの者達に呼ばれ過ぎてしまうと、真名でなくとも力を持ってしまうのだよ」 「はっーー!?」 「思い出してみろ。私は、これまでにお前の名を何度呼んだ?」  ジョシュアの頭を押さえ付けていた手を外し、腕を抱き寄せるように組みながらミライアは問うた。そしてジョシュアは、ミライアのその問いについてじっくりと思い出す。  ここ数ヶ月程ミライアと行動を共にしている事になるのだが、ジョシュアがよくよく思い返して見ればきちんと名前を呼ばれた覚えが殆ど無いのだ。人前でなくとも、である。  “下僕”だの“ストーカー”だのとは良く呼ばれたが、ジョシュアやジョッシュと呼ばれたのは片手で数える程で。てっきり揶揄ってそんな風に呼ばれて居たのかとジョシュアは思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。  三重にもなる衝撃を受けながら、ジョシュアは声を絞り出すように言った。 「ほとんど、呼ばない……“下僕”とか、“お前”って……」 「そうだ。だからお前も、人前に限らず余り名を呼ぶなと言う話よ。『あの男』含め、他の、同族に対してもだぞ?それが我らの礼儀よ。分かったか?」 「ああ……分かった」 「よし。決して、破るなよ。忠告を無碍にして同族やら魔族やらに報復されても知らんからな」  ミライアが、話の一番最後に恐ろしい爆弾を持ってきてくれるのは相変わらずで、ジョシュアはフラフラする頭を両手で押さえ付けると、その場で覚悟を決めた。ミライアの決めた事に逆らう事なんてジョシュアには出来やしないし、そもそもがミライアの眷属なのだ。二人の間には、到底縮まる気配の見えない圧倒的な力の差というものが存在する。生きる為にも信用を得る為にも、ジョシュアはミライアに従うのである。  そうしてジョシュアは、その後ミライアと別れてこそこそと情報を集めながら、何度も何度も名前を呼ぶシミュレーションを繰り返したのだ。  ただ一つ、ここでジョシュアが忘れている事がある。なぜ、ミライアがこのタイミングでそんな話をしたのか、という事である。  この時、『あの男』の話を出したミライアの思惑を理解する余裕もなく、ジョシュアはせっせと人間達の話を盗み聞きしまくるのであったが。ミライアがその話題をここで出した本当の意味をジョシュアが理解する頃には、それはもう、完全に手遅れなのである。 「やったぁ!そうそう、この子この子、さっすが姐さん、俺の事分かってるぅー!」 「喧しい。いい加減、ギャンギャン騒がしい貴様の喉を潰すぞ?赤毛の」  宿屋に窓から戻った途端、出迎えた2人の人物の影に、ジョシュアは愕然とする。  仁王立ちをして威張りくさったミライアの態度はいつも通りだから良いとして。  問題は、そんなミライアの隣で機嫌良さそうに笑っている『その男』の方だった。  長髪の赤毛を一つに結えた、どこか見覚えのある大柄な男だ。あの時あの店で、あの路地裏でジョシュアが感じた人外のソレと同じ匂いのする、同じ赤毛のでかい男。彼はミライア程に長身で、更には筋肉質な体格で、彼から見たらジョシュアなぞは子供と大差無い程であろう。  そして、その時は場所と状況がアレであった為にジョシュアはほとんど顔を覚えて居なかったのだが、こうして明るい場所で見て見れば、まぁ、彼は随分と男前な容姿をしていた。  ミライアが絶世の美女なのだとすれば、男は見た目、姫を助ける騎士様のようだった。見た目の上では、である。例え中身がアレであったとしても、他者を惑わす魔力を持っていればそれこそ、誰も彼もが見た目に騙され魅了されるに決まっているのである。普通の人ならば。  けれども、一度あの場で男に対して強い拒絶反応を示しているジョシュアにかかれば、見惚れたのはほんの僅かに一瞬の事だった。同族の、それも同性には特段魅了が効き難いという所為もあるのかもしれない。激しく肌を粟立たせながら、ジョシュアは窓から降り立ったその場で、声にもならない悲鳴を上げた。 「んな……なっ、なっ、なぁっ!?何でっ!ーーっ、お、おい!」 「ん?」  こんな状況下にありながら、頑張って名前を呼ばなかったジョシュアは随分と健気な様子なのではあるが。ミライアがそんなジョシュアが面白くて、観察しながらずっとニヤニヤしていたなんて事、本人は知る由もない。 「な、なんっでーー!俺、話しただろう!?コイツ、この前ーー」 「うん、そうなんだよ!何でも姐さん、俺に協力して欲しいらしくってさぁ?代わりにアンタ貰った」 「!?ーーっ!?」  男にそんな事を言われ、最早ジョシュアは得もいわれぬ。売られた、師に売られた、と、ジョシュアは受けた衝撃にその場からしばし動く事が出来なかったのだった。  だがしかし、ジョシュアを捨てた神がミライアであるならば、拾う神もまた、ミライアなのだ。 「おいバカ馬、私はお前とコイツを会わせるだけだと言ったろう。やるとは言っとらん」 「ええーーっ!そんなぁ!約束が違う!」 「五月蝿いっ何も違っとらんわ!私は引き会わせるだけで、その後の事は関知せんと言っただけだ。貴様がソイツで何をしようが勝手だが、そのひよっこが我が眷属である事を忘れるなよ。ソイツには私の仕事やら何やらを手伝わせているんだからな。1日でも使い物にならなくなったら、貴様去勢するぞ」 「……えええー、何それぇ……手始めに数日じっくり監禁しようとーー」 「その前にまず私が貴様御自慢の毛を全部むしり取ってやろうか?」 「…………」  と、意外にも二人の決着は直ぐに着いた。吸血鬼同士の仲というのは、大抵それ程よろしくは無い。血みどろの闘争を好む者が多い事もあって、どちらが強いだの何だのとすぐに諍いに発展してしまう。故に彼等は、同族同士で集う事などまず無いのである。  そして、そんな物騒な吸血鬼達の中でも、ミライアという吸血鬼は頭1つ抜けた所に居る。つまりは、吸血鬼の中でも飛び抜けて強いのである。どこがどう強いのか、それは一般の吸血鬼達も知らないという。けれども一度でも会ってしまえば、誰もがそれを理解するのだそうだ。理屈ではなく血で、それを身体が理解してしまうのだという。  ミライアがそれ程の吸血鬼であると言う事を、ジョシュアは根本的には理解していない。彼女が強いのは判るし、話にも聞かされている。けれども不幸な事に、ジョシュアは同族をミライアしか、そしてミライア(仮)という吸血鬼の、ほんの一部分しかまだ、知らないのである。  だからこその、今回の同族との遭遇だったのだが。あまりの未知の世界への衝撃に、何もかもが頭から吹っ飛んでしまったジョシュアが、それを理解できたのかどうか。まともに頭も働かない状態では、しっかりと考える事もできまい。  その場で呆然、と魂が抜けてしまったかのように二人の様子を眺めていたジョシュアは、ほんの僅かに救いの道が出来たという事実を認識できず、その場から1ミリも動けないで居た。  そして、そんなジョシュアの様子を、ミライアが酷く酸っぱいものを口に含んでしまったかのような表情で眺めていた事に、ジョシュアは終ぞ気付く事は無かったのだった。 「それで?貴様は下僕のどこがそんなに気に入ったんだ?こんな、顔に似合わず冴えないポンコツ」  一悶着を終えた後で。  宿屋の部屋の中、ベッドに向かい合わせで腰掛けながら彼等は落ち着いて対面していた。  ジョシュアはミライアに売られたショックを乗り越え、ある意味で助かった事をやっとの事で理解したし、赤毛の男もミライアの脅しに諦めたように意気消沈してブツ腐れていた。  そんな中で、無理矢理話を押し進めるように、ミライアは赤毛の男に問うたのだ。 「え?姐さん、いきなり何?」 「お前、何でコイツを探し出すような真似までしていた?今まで通り、ソッチは引く手数多だろうが」  その途端、ジョシュアがビクリと身体を震わせたりしたのだが、二人は気付かなかったかのように先を続ける。 「うーん……良く分かんないけど、美味しそうな匂いがした」 「……それはつまり、食事の方でという事か?」 「……どうだろう?何というか、相性好い気がしたんだよねぇ。セックスもご飯も」 「相性か……、まぁ……それは確かに滅多にお目にかかれんな」 「でっしょぉー?……それにまぁ、美人ばっか喰いすぎて食傷気味ってのもあるのかもしれないけど」 「おいコラ、貴様それは私に喧嘩を売っているのか?」  突然威嚇するように声を低くして言ったミライアに、男は目に見えて慌てた。両手をバタバタと振り回し、必死で否定する。 「えっ、ーーああいやっ、いやいやいや、姐さんはさぁもう別格、別枠って感じだし!俺が言いたいのはこの街の中での美人って事!男の方がね、あんまよろしく無かったからさぁ、ちょっと冒険したい感じ?」  早口で何やら言い切った男に、ミライアはすぐに威嚇の気配を引っ込めると、あっという間に珍妙な生き物でも見るような表情にガラリと変えて一言。 「……そこは解らん。お前は変わらんな……」  その時のミライアの、何とも言えない表情を眺めながら、吸血鬼同士の濃い会話に付いて行けないジョシュアは、その場でしょぼしょぼと目を瞬かせた。  落ち着いてちゃんと考えてみれば、ミライアがそんなに簡単にジョシュアを売っ払う訳はないし、別の吸血鬼と遭遇すると言う意味では、この赤毛の男程穏やかな吸血鬼は居ない。ミライアもそれなりに配慮してジョシュアに経験を積ませようとしているのだが、ジョシュアには咄嗟にそれが理解出来なかった。  だが、こうして落ち着いてちゃんと頭を動かせば、あらゆる所でミライアのヒントやら行動の端が垣間見れるのだ。ジョシュアはまだ、こういった所で咄嗟の判断が出来ないのである。  長年の落ち零れハンター生活と、自信喪失を引き起こした数々の出来事がジョシュアの判断を鈍らせていたりする。それらはジョシュアも自覚している所ではあるが、ミライアと過ごす時間と慣れによって解決できる問題でもある。  今回ミライアの計画した、ミライア以外との吸血鬼との邂逅も、安全を確保した上での交流であってソッチの部分を除けば至極穏やかなものである。  この赤毛の吸血鬼以外とであれば、こうもいかない。いくらミライア相手とは言え、無謀な行動に出る戦闘バカも居ないでもない。実の所、これはかなり平和的な取引きだったりするのだ。  そういう意味では、ミライアはきちんと教えを授け導く師であって、一部かなりの精神的スパルタ形式ではあるが、ジョシュアの為にもなっているのである。  そんな所に後になって気付いてしまえば、ジョシュアは更に一層、何とも言えない妙な気分になるのだ。どんな時でも自分をも見捨てない師のような、長年共にできる相棒のような。何十年も昔の幼い頃、家族に対して感じたであろう気の置ける仲のような、ジョシュアはすっかり忘れてしまっていたそんな気分を思い出していたのだった。  そして、話し合いの最中だといつのに、そんな事を徒然と考えてしまったジョシュアは、その場でこっそりとため息を吐いたのだった。 「おい下僕、聞いて居たか?」 「え」 「……私が此奴を手伝わせる代わりに、私が居ない間、此奴の相手をしろ」 「…………相手」 「ぷぷぷ」  ミライアにそう問われたように、全く話を聞いて居なかったジョシュアは、ポカンとした顔をしながらとんでもない事を任されたような気がして、妙な想像をしてしまう。そうではないだろうと思っていても、どうしたって“相手”の意味を疑ってしまうのだ。そんなジョシュアの横では、男がわざとらしい笑い声を上げた。  だが、そんなジョシュアの妙な勘繰りを察したのだろう、ミライアは、言うのすら嫌そうに眉間に皺を寄せながら、言った。 「……おい、お前妙な勘違いしてないか?こんなだが、そう一日中発情してる訳ないだろうが。此奴も一応人の部類だ」 「ちょ、姐さんそれ、言い方……」 「適当にあしらって街中引き摺り回せ。慣れろ、そして案内させろ。情報はお前がちゃんと抜けよ」 「俺の扱い雑……」 「え、……あ、ああ……分かった」 「歯切れが悪い。次同じ返事したらまたナイフで串刺しだからな」 「……はい」 「マジそれウケるー」  ミライアとこの男の関係性が分かったような分かって居ないような、とりあえず雑に扱っても大丈夫そうな気がして、ジョシュアは脅されつつも一応の理解を得た。  そして、そんなこんなでミライアより新たな試練を与えられながら、ジョシュアは背水の陣が如く、己に気合いを入れたのだった。 「ふふふ、一週間、よろしくねぇ?仲良くなろう!俺は“赤毛の”って良く呼ばれるからとりあえずそれで。君は、“下僕”で良いの?」 「……さすがにそれはちょっと」 「ええー、それだったら俺がご主人様みたいでーーーー」  開始早々、既に心が折れそうになったジョシュアが、かの男に振り回されまくるまで、おおよそ6時間。下っ端吸血鬼としてのジョシュアの試練は、まだまだ始まったばかりなのだった。
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