14.死にも勝る

1/1
前へ
/112ページ
次へ

14.死にも勝る

「知ってる? この世には絶対逆らってはいけないバケモノがいるんだよぉ」  まるで鼻歌でも唄うかのように、高らかにそう言ったのは“赤毛”の吸血鬼だった。彼は大層機嫌が良いのか、()に腰掛け、胡座をかきながらおかしそうに笑っている。顔だけ見ればとても惚れ惚れしそうな爽やかな笑顔なのであるが。その態度はひどくふてぶてしい。少なくともジョシュアにはそのように見えていた。 「おい……」 「君がくっ付いてってる姐さんもその一人なのは勿論なんだけどさ、」 「おいっ、“赤毛の”!」 「どっかに潜伏してるって噂の、全身真っ黒のロン毛野郎もなかなかでーー」 「ッせめて退いてくれ……上に乗るな!」  そうジョシュアは呻いていた。  赤毛に背中からのしかかられ、おまけに首根っこまで押さえ付けられながら。  そして、ジョシュアをそういう目に遭わせている赤毛はといえば。  呑気そうにベラベラと喋りながら、けれど一瞬たりともその手を緩める様子を一向に見せない。それどころか、芋虫のように蠢いているジョシュアに向かって、キツイ一撃をお見舞いするのである。 「うるっさぁーい! 俺らにとっちゃ負け犬に人権なぁし! すぐにヘバりやがったヘタレは、黙って俺のありがたーいお話を聞く!」 「ぐふッ……」  言われるのと同時に、天辺へ手拳を貰ったジョシュアは頭を抱えて痛みに呻いた。  言われずとも、ジョシュアにだってそのくらい分かっている。ただ、もう少しだけ手心を加えてくれたってよいのではないかと思わないでもない。なにせジョシュアは、生まれたての子鹿も同然なほやほやの吸血鬼であるのだ。ミライアやこの赤毛のような何百年も生きた吸血鬼とは違うのである。  ただ、赤毛の言う事だって理解できないワケではない。  吸血鬼の世界では、弱い者は強い者に従わされる世の中である。吸血鬼に人間の常識など通じるワケがない。何者にも邪魔されずに好きに生きたければ(既に一度死んでいるが)、強くなる以外の道はない。  赤毛による特別講義は更に続けられた。 「そうそう、それでね、俺も昔、あの黒尽くめの野郎に殺されかけて大変だったんだよ!」 「……アンタがか?」 「そうだよ? 俺、言ったでしょ、戦うの苦手だって。まぁそりゃね、そこそこ長く生きたからそれなりにはなったけど」 「……」 「ああいう奴らってマジで気配ぜんっぜん追えないし、高速で突っ込んで来るバケモノ相手にどうしろっての。死神だよ死神! 戦闘狂ってのはそういう連中を言うんだよ? 姐さん含めてね。殺しても殺してもちーっとも死なないんだから」 「ミ――彼女もか?」  途中、思い掛けず飛び出したミライアの話題に、ジョシュアは思わず口を出した。共に旅をするようになって数ヶ月ほど。しかし今なお、ミライアという吸血鬼の底が知れない。  だから少しずつでも知りたいと思ったのだ。これから先、どれほど長く共に過ごすかも分からないから。結果がどうであれ、停滞していたジョシュアの人生を変えてくれた事には違いないから。 「そりゃあね。そもそも姐さんは元が違う」 「元?」 「そ、大元の血筋が違うって事さ」 「血筋って……」 「ほら、吸血鬼の始祖ってヤツ? 相当昔に直接貰っちゃったらしいよ」  唐突に聞かされた話に、ジョシュアの思考が止まった。あの偉そうな態度や雰囲気から、余程強い吸血鬼なのだろうとは思ってはいたが。まさか始祖の直系だったとは。  ジョシュアもハンターの端くれとして耳にした事くらいはあった。千年以上も前の始まりの吸血鬼。たった一人で大国に挑んだという男の話を。  返すことばすら出ないジョシュアを気にも止めず、赤毛は話を続けた。 「だからね、俺なんかよりよーっぽど純粋に吸血鬼だって話。その上戦うの大好きだってんだから、もう手に負えないよね」 「始祖……」 「俺なんてさぁ、貴族ヅラしてた頭おかしい訳わかんないヤツだし……勝手に吸血鬼にしといて飾るだの何だのってふざけた事抜かすから、ムカついて速攻殺しちゃってさぁ。それで親殺しとか言われてんだからマジ笑うしかないんだわ! そもそも成り立ての吸血鬼ごときに殺されるとか、マジで弱すぎ」  さもおかしそうに、自分の始まりまで告白しだした赤毛に、ジョシュアは再び絶句した。  そういう様子が予想外だったのか、赤毛はほんの少しだけ拗ねたように言った。 「ねぇちょっと、反応薄いんだけど。笑い飛ばしてよ。コレ俺の一番の鉄板ネタなんだから」 「いやいや……色々と何重にも笑えないだろ」 「えー? 俺にしたらそんなに大した話じゃないんだけど」 「……」 「つまんないの……んじゃ、話続けるよ。そんでさ、つまり俺が言いたいのがね、姐さんと共に行動すんなら最低でも俺とサシで殺り合える位には強くないとヤバいよって話。そうでなきゃ、殺られるか好き勝手されるよーってね。姐さん意外と人気者だからさぁ、吸血鬼ん中でも吹っ掛ける奴多いワケよ、わりと。クソ強いから無敗だけども」 「そう、なのか……俺が付いてくようになってからはそういうのは見た事がないぞ」 「ああ……それはさぁ、何十年前だったかな……何をしたんだか、バカな挑戦者が姐さんの怒りに触れちゃってねぇ。それ以来、挑戦者は全員徹底的に皆殺しなワケ。負けたらもうさ、跡形も残らないんだよ」 「……」 「そういうのもあって挑戦者は減ったけど、逆に恨みもそれなりに買いましたよと。んで、ついでだからと、姐さんが狂った同胞殺しをやってくれてる。いつかは誰かがやらないといけない役目だからさ。俺もたまーに手伝うし」 「それで彼女は、旅の理由を『探し物』と言ってるのか?」 「うーん……多分、半分は違うんじゃないかなぁ。俺ら連む事はしないんだけど、集まらないワケじゃあないのよ。姐さんは吸血鬼の始末屋みたいなのやりつつ、他にも探してるモノがあるらしいから」 「……そういえば前に言っていたか。家宝のようなものだと」 「ああ、多分それそれ。世界中探し回ってるけど、今のところ収穫無しってね。それもホントかどうかは知らないんだけど――」  そんな事をつらつらと話し終えた後で。突然、赤毛が急に黙りこんだ。一体何事だろうかとジョシュアが首を捻って見上げれば、赤毛は何とも言えない表情でジョシュアを見下ろしていた。奇妙な沈黙に思わず不安を覚える。 「な、何だ、言いたい事があるなら言ってくれ」 「……ねぇ、“影の”さぁ……前っから言おうと思ってたけど。人の話とか色々、何でもかんでも真に受け過ぎじゃない?あとベラベラ他人の事勝手に話し過ぎ」 「え」 「よくそんなんでハンターなんてやってられたねぇ。いくら俺だからってさぁ……そんなんじゃ騙されてぶん取られて終わりじゃない?」  そのような事を問われ、今度はジョシュアの方が黙り込んでしまった。人間だった頃の苦い経験を言い当てられ、思わず顔を顰める。昔程酷く騙される事はない、けれどもゼロではない。彼のような単純な人間にとっては、何とも世知辛い世の中なのである。  そんな、ジョシュアのあからさま反応に、赤毛はニヤリと意地の悪そうな笑いを浮かべて言う。 「そんな経験、実はめっちゃあるでしょ。うわぁ、ほんっと良くやってたね」 「……いや……親しそうな赤毛ならと……」 「そうとは限らないでしょ? さっき敵多いって言ったばっかりじゃん。もし俺が嘘吐いて――って、それはもういいや。最初会った日にも思ったけど、あんまりにもお人よしすぎて毒気抜かれるってのはあるかもね。……五分五分でカモられそうだけど」 「大きなお世話だっ!」  まるでジョシュアの人生を見てきたかのように言い当てられて、ジョシュアは思わず赤面してしまった。そんなに自分は分かりやすいんだろうか、とほんの少しだけ傷付く。  ミライアどころか、出会って数日足らずの赤毛にまでバレているとは。恥ずかしいやら腹立たしいやら、何とも言えない気分だった。そうしてジョシュアは、無言のまま額を地面に押し付け、しばらくその場で悶えた。  そんなジョシュアの様子などお構い無しに。赤毛は話を続けた。 「――そういう冗談は兎も角としてだよ、今後姐さん狙いの連中に付け狙われたりするかも知れないから、アンタ極力喋っちゃダメね。表情イカつめに作っといて無口を装っとけばたぶん、寄って来ないよ。顔は元々厳つい方だし、雰囲気だけは強そうに見えるかも。無口なフリしときなね、きっとボロ出るだろうから」 「……」 「そしてその分、実力も伴わなくちゃねぇ……噂はすぐに広がるから。――さぁてさて、今日は何回、死ぬのかなぁ……?」  赤毛の言葉に更なるダメージを受けつつも。突然声音の変わった赤毛に、彼が本気でそう言った事がジョシュアにも理解できた。  男の放つ殺気やら何やらで、ゾワゾワと首筋を中止に肌があわ立ち、心臓が嫌な音を立てる。ミライアの時とはまた違った緊張感に押し潰されそうになりながらもしかし、ジョシュアは手にしたナイフの柄を握り締めたのだった――  ミライアの戦い方はどちらかと言えば「剛勇な」、と形容されるようなものだった。こちらが攻撃していようがいまいが、反撃が当たるのも恐れずに突っ込んでくる。実際に擦りもしないのだ。  吸血鬼であるが故、深手も恐れぬそのような戦い方なのであろう。そしてそれは、ジョシュアにとって最も相性の悪いタイプなのである。  そもそもジョシュアは斥候を得意としていて、小賢しい撹乱やら小技やらで相手を翻弄しがちな戦い方をする。それらの全く通じない程に実力差のあるミライアとの戦闘においては、ジョシュアはまるでお話にならないのである。  ジョシュアがミライアの反撃に合えば、ただただ蹂躙されるだけ。あの日ジョシュアが初めて彼女と出会った日。彼がミライアへと一時でも反撃出来たのは、ただ単に彼女にその気がなかったからというだけの話。以前ミライアにしごかれた際にも、ボロボロになりはしたが、“殺される”事なんてほとんどなかったのだ。  では、“赤毛”の場合はどうなのかと言えば。 「はーい、さんかいめー」  さも嬉しそうな顔を隠しもせず、赤毛は平気でジョシュアの手脚を捥ぎ腹に風穴をあける。人間ならば、とっくの昔にジョシュアは死んでいただろう。  床にへばって傷口を押さえるジョシュアを前に、赤毛は笑いながら真っ赤に染まった手に舌を這わせていた。 「そろそろ殺す気で来ないと! ほんとそんなんじゃいつまで経ってもお許し出ないよ」  そうしてジョシュアの傍にしゃがみ込んだかと思えば、赤毛は自分の腕に爪を立て、その傷口から滴った自分の血液を無理矢理ジョシュアの口へ押し付けるのだ。  ジョシュアの体内へと取り込まれた血液は、ボロボロの体へ瞬く間に力を与え、風穴も欠損も全てたちどころに治ってしまう。この日ほど、ジョシュアは自分が人間でない事をまざまざ自覚させられた日はかつてなかった。痛いやら恐怖やらで、不思議と感傷のようなものはない。ただただミライアとは比較にならぬような鬼の所業に茫然とする。  だが、いつまでもぼうっとなどしてはいられない。何せ少しでも動きを止めれば、瞬く間に赤毛によって手脚を捥がれてしまうのだから。 「ッ!」  背筋がぞくりと震えるような気配を感じ、慌ててその場から跳び退けば、ジョシュアの鼻先を赤毛の尖りきった爪が掠った。 「おおう? 避けられちゃったよ……当たると思ったんだけどなぁ。残念」  残念、なんて言いながら楽しそうな表情をするその姿に、ジョシュアの顔が引き攣る。  赤毛は強かった。戦闘が苦手なぞとどの口が語るか、と思う程だ。  当たる、と思う事もあるのだが、その尽くを避けられてしまう。気が付くと、ジョシュアのくり出すナイフの軌道からするりと逃げ出てしまっていて、かすり傷ひとつ付ける事もかなわない。  ミライアが「剛勇」ならば、赤毛は「柔靭な刃」だろう。抜き身の危険な刃はのらりくらりと攻撃を躱し、隙を見つけてはジョシュアに避け難い一撃を食らわせる。長いリーチから繰り出される一撃は強靭で柔軟性に富んだ。  それでも何とか致命を避け続け、傷付きながらもここぞという瞬間を狙う。我慢して我慢して我慢して、ようやく狙った位置へと攻撃を誘い込む。その後はもうヤケクソだった。  赤毛のそれを真似て、やった事もない動きをぶつけ本番でしてみるのだ。どうせ腹に一撃を食らう事になるならば、どう足掻こうが変わらぬと。  地を這うかのように低く沈み込み、その脚部を狙う。浅くてもいい、不意を突いて攻撃の手が緩めばこちらのものだった。  そういうジョシュアの思惑通り、赤毛が避けようと体勢を僅かに崩したところで。その胴体に一撃を入れようとした。 「へあぁ!?」 「ッ!」  だが、それを食らうほど赤毛も甘くはなかった。足下への攻撃どころか、胴体への一撃ですら完璧に避け切ってみせたのだ。  赤毛はそのまま一瞬でひらりとジョシュアから距離をとってみせると。  恐ろしげな笑みを浮かべ、容赦も手心もなく言い放ったのだ。 「今の、良かった。もしや慣れてきたかな? んふふふっ、んじゃあ俺もちょっとばかし本気でいくよぉ」 「――ッ!」  赤毛はこれっぽっちも本気などではなかったのだ。殺し過ぎてしまわぬよう、これまで限りなく抑えて抑えて、ジョシュアの相手をしていたのだ。  そんなだから。突然本気の殺気を向けられて、ジョシュアは僅かに怯んで動きを止めてしまった。ほんの一秒程だ。それでもその一瞬は、赤毛にとって十分過ぎる時間だった。 「あ、が――ッ!」  あっという間に攻撃を貰い、反対側の壁へと叩きつけられてしまった。幸いにも武器で受ける事は間に合い、腹部に風穴が空く事こそ無かったが。狙われた部分は特に、クソを付けたくなる程の痛みを訴えていた。  軋む壁からずり落ちながらもしっかりと地に足を着け、痛いのを堪えて床を踏ん張る。ここ数日程で、ジョシュアは身に染みたのだ。普通の人間ならば攻撃の手を緩めるところ、しかしこの男にそんな常識は通用しない。何せ彼は、人間では無いのだから。 「やるねぇ」  ニタリと笑みを絶やさない赤毛が、ジョシュアに向かって利き手を振り上げながら悪魔のように言い放つ。まるで地獄からの使者の如き男の殺意に、彼はひとつ確信を得た。  今後いくら生きようとも鍛えようとも、この男を超える事は出来ないだろう。体格もセンスも思考も何もかも、この男は格が違い過ぎた。さすがは、生まれたその場で親殺しを成し遂げた吸血鬼。  一生分にも等しい恐怖を植え付けられ、人生で何度目かも分からぬ敗北を思い知りながら、ジョシュアは辛うじて赤毛に食らいついてゆくのだった。
/112ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加