15.死にも至るやまい

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15.死にも至るやまい

 ジョシュアが目を覚ましたのは明け方近くだった。ぼんやりとした頭でも、気絶する前の事は克明に思い出される。  何度も何度も、泣きたくなる程殺された。避けても受けても吹き飛ばされる。気付くと手脚は無くなっているし、無理矢理血を与えられれば驚く程の速度で生えてくる。  死神の如き赤毛の戦いぶりに、ジョシュアは吸血鬼の戦い方というものを嫌でも覚え込まされた。そして同時に、自分の身体の事も。己はもう人間ではないのだと、思い知った。悲観する暇も余裕も無かった。  身体も精神もボロボロで、しばらく戦いと名の付くものは遠慮したい。けれどもきっと、あの分ではしばらくミライアどころか赤毛のお許しすら出ないのだろうな。そう思うと、ジョシュアは自然と大きなため息を吐いてしまうのだった。  横になったままぐるりと周囲を見回す。  場所はいつもと同じだった。例の地下室のある屋敷の二階だ。地下室があるくらいなのだ。家主はきっと相当裕福なのだろうと思われた。  この家には誰も住んでいないのか、はたまた家主が出かけているのかは分からなかったが、赤毛以外の気配を感じた事がない。  ただ、あんなに広い地下室のある屋敷だなんて。一体どんな人間が何のためにこんな場所を作ったのか、それを想像すると薄ら寒い感じを覚える。  ジョシュアが寝かされていた部屋は、二階にあるものの中でも一、ニを争うほど大きな部屋で、客か主人でも迎えられるような豪華な造りをしている。以前住んでいた家が丸々入ってしまいそうなほど広い。豪華すぎて、いつまで経っても慣れる気がしなかった。  そんな風にぐだぐだと色んな事を考えていたおかげで、ようやくジョシュアの頭も冴えてきた。外はまだ薄暗かったが、すぐに朝になるだろう。そろそろ起きておきたいところだ。  と、そこまで考えて気付く。人間のように考えてしまったが、ジョシュアはもう吸血鬼なのだ。ミライアも赤毛もジョシュアも、そんな吸血鬼が昼間に活動しているだなんて。改めて考えると非常識にもほどがあるだろう。  そんな事を考えながらようやく、身体を起こしてベッドから出ようとした。だが、妙に身体が重くて動かない。激しく動き過ぎたせいだろうか。一体自分の身体はどうなってしまったのだろう、と薄い毛布を捲った所で。ジョシュアは硬直した。  ジョシュアの腹の辺りに腕を回しながら、赤毛がそこで眠っていたのだ。同じベッドで。まるで親しい仲であるかのように。困惑するしかなかった。  ここ数日ほど、昼夜問わず行動を共にしてはいるが、こうして赤毛の眠る姿を見るのは初めてだった。あまり眠らなくても平気だとか、他人の前では眠りたくないだとか自分から色々と喋ってはくれたが。そんな話が嘘だったのかと思うような、ひどく健やかな寝顔だった。  吸血鬼は基本的に他者とは連まないとジョシュアは聞いていた。各々個性が強すぎるせいもあるのだろうが、戦闘を好む性質が故、いつ誰が敵になるか分からないという所が大きいのだとか。  それは戦闘が苦手だと言い張る赤毛も同様で。寝首をかかれぬ為にも他者の前では眠らない、と当人は豪語していたし、ジョシュアから見た赤毛の行動もそれに見合うようなものだった。そのはずだった。 「……」  それが一体、どうした事か。  新手の拷問か何かだろうか。そう回らぬ頭で考えてみる。けれども、衝撃のせいか寝起きのせいか、ジョシュアの頭は大した動きをしてはくれなかった。  理由を考える事はすぐに諦めて、何とか起こさぬように、そっとその腕から抜け出す事だけを考える。だが、赤毛の馬鹿力に阻まれて思うようにいかない。  かと言って諦めようにも、寝起きのジョシュアの身体は酷く水分を欲している。今すぐにでも、部屋の向こうに置いてある水差しの水が飲みたくて堪らない。はて困った。と、ジョシュアはもう一度ピタリと動きを止めて考える。上にずり上がって足から抜け出るか、いやそれもこの馬鹿力の前では難しそうだ、ならばどうしよう、なんて無言でうんうん唸っていると。  ふと、腰に引っ付いて離れない赤毛の身体が、かすかにブルブルと震えている事に気が付く。そして途端、ジョシュアはハッキリと苛立ちを覚えた。  このふざけた男は、彼が抜け出そうとするその様子を、最初からそこで笑って見ていたに違いない、と。 「……おい。アンタ、起きてんのか?」  苛立ちを隠しもせずに声をかけると、赤毛の震えは益々強くなっていった。それでも尚、無言のまま震え続けるので、彼は苛立ち紛れに赤毛に蹴りを入れる。  もう寝ているのを起こさないだのという遠慮は必要ない、と結構本気で蹴り付けながら、ジョシュアは脱出を試みたのだった。するとようやく、狸寝入りの赤毛から、悲鳴が上がった。 「あ、痛っ、それ痛い、骨当たってる」 「煩い。起きてんなら退かせ」 「ひぇっへっへっへ」 「おい!」  最早完全に笑いながらジョシュアを拘束している赤毛に対して、何とも名状し難い歯痒さを覚える。  先刻の“死闘”で散々恐怖心を煽っておきながら、一歩訓練から離れれば童心に返ったようなこの有り様。何処まで踏み込んで良いものか、何処まで態度を緩めて良いものか、未だ判らずにいる。  ミライアにすれば殺されそうな言動も、赤毛ならば笑って許してくれそうな気もする。けれども恐ろしさで言えば、容赦をしない、話を聞かない赤毛の方が、理解し難い分断然上なのである。  ジョシュアは困惑していた。この男の事が、理解出来なかった。  その場で動きを止めて大きくため息を吐き、抜け出す事を半ば諦めながら、ジョシュアは赤毛に問うた。 「アンタ……ほんと、何なんだよ一体。他人の前では寝ないんじゃなかったのか」 「んー?」 「俺は一体、どうすれば良いんだ……水を、飲みたいんだが」 「ああー、それで必死だったのね」 「……寝惚けてんのか?」 「んー、かもしれない、久々に眠ったよぉ」 「昼間も、起きてるのか?」 「うん。ここの地下に籠ったりしてる。後は女の子と遊んだりー、カードしたりー、色々」 「…………そうか」  赤毛の気分が変わり手放してくれる事を願いながら、ジョシュアは赤毛の話に付き合う事にした。 「眠ったってただお腹空くだけだし。俺さぁ、結構寂しがりなんだよねぇ」 「…………」 「かと言って、同族呼んでも戦えだ何だのとウザいだけだし。女の子だったらそういう心配ないしー、美味しそうだしー、愛でるには最適ってね」  突然始まった赤毛の語りに、ジョシュアは何も言わず聞き入る。今は茶化すような場面ではなさそうな気がして、ジョシュアは腰にへばり付いたままの赤毛をそのままに、その後頭部を見つめた。  “赤毛の”と呼ばれる程見事な彼のトレードマークは、ジョシュアが今まで見た者達の中でも最も鮮やかに見えた。 「俺さぁ、同族ん中でも大食感なんだよね。最初の頃、加減出来なくて人殺し過ぎて、姐さんに始末されかけた事あんの」  不意打ちで告げられた内容に、ジョシュアは思わず絶句した。そんな雰囲気でもなかったはずなのに。一体、この男は何を考えているのだろうか。考えても解る筈が無かった。 「そんでぇー、血ィ飲みすぎる前に他の欲でも満たして、色んな奴から血を貰えって姐さんに言われて、今こんなんなのよ」 「…………」 「後で話聞いたら、モンスターにても突っ込んで発散してこいって意味だったらしいけど。まぁ、俺はコッチのが好きだし今んとこ上手くいってるから結果オーライ、みたいな?」  あんまりな話にジョシュアは呆然とするが、赤毛は全くもって普段と何も変わらない。どういう顔でその話を受け止めれば良いのか解らぬジョシュアは、ただそれを聞くだけだった。  ここで話し上手な者ならば、気の利いた言葉のひとつでもかけるのだろうが。ジョシュアはそういった事は苦手なのである。ただ何も言わず、普段通りを貫く。  それが正解なのかどうなのかも解らないけれども、この男が口下手なジョシュアにこの話をしたという事は、特に何か言って欲しい訳ではないのだろう。そう思うしかなかった。  だがしかし。ここで忘れてはいけないのは、ジョシュアが今相手をしているのは、常識というものが全く通じない赤毛なのだという事を。 「って事でさぁーー、戦い方も教えてあげてるんだしぃ、相手してくんない?」 「……………………は?」  唐突な赤毛の問いかけに、理解が追い付かず奇妙な声が出る。  それにも構わず、赤毛は再び、ハッキリと告げた。 「セックスの」  唐突に爆弾を投下してきた赤毛に、ジョシュアは思わず、言葉を失った。信じられないものでも見るような表情で見下ろせば、赤毛はただ笑うだけ。  そして更に、反復するように赤毛は言った。 「セックス。俺の相手」 「…………他所をあたれ」  慌ててジョシュアは拒否するも、赤毛はめげない。 「だって朝きちゃうじゃん」 「ぐ」 「途中でぶっ倒れた君をここまで運んであげたのは誰かなぁ?血ィいっぱいわけてあげたのは誰かなぁ?」 「…………」 「あーあッ、俺もしかしたら人襲っちゃうかもしれないなぁー!」  ジョシュアの弱味に付け込んで言いたい放題である。しかしジョシュアも、伊達に赤毛と共に時を過ごしていない。多少なりとも、赤毛への耐性は付きつつあるのだ。 「アンタ、どさくさに紛れて血は口にしてただろッ!ーーそれに、『他の欲求を満たす』って意味ではあの戦闘もその内だろうが」  そんなジョシュアの反論を聞いた赤毛は、途端にびっくりとした表情になる。まるで、彼がそんな事を言ってくるなど想像もしていなかったかのような。 「ほわぁー……バレてたの。“影の”はほんと、慣れてきちゃったねぇ、俺の扱い」 「自分で言うなッ。アンタの言葉をイチイチ真に受けてたらどんな目に遭わされる事か」 「アッハハ、流石に気付いちゃったか! いやぁ、訳も分からずで素直な君も中々面白かったけど……まぁ、その方が後々困らないよ。一つ、課題クリアかな? この俺のお・か・げ」  語尾にハートマークでも付きそうな口調で言った赤毛にジョシュアは脱力する。そこまで分かっていた上で、ジョシュアの課題をひとつひとつ潰す為にそう言った言動をしているというのであれば、赤毛は中々の策士なのだろう。  早々に気付けた事を幸運に思いながら、しかし今後も数日は行動を共にしなければならない事をジョシュアは嘆いた。 「さぁて、残る課題は後何日でクリア出来るかなぁー? あんまり遅いと姐さん一人でさっさと王都行っちゃうかもねぇ、最近この街出たりしてるみたいだし」 「えっ」 「あれ、知らなかった? ちょくちょく他の街出かけて行ってるよ。“影の”置いてかれてやーんの、ぷーくすす」 「…………」 「あっ、もし姐さんに捨てられたら俺拾ってあげるからねぇ!」  相変わらずのハイテンションと馬鹿力な赤毛に振り回されながら、ジョシュアは頭を抱えた。本気なのか冗談なのかもよく分からない彼の言葉に、しかしジョシュアは心乱されてしまっていたのだ。  本当に、ミライアに置いていかれたらどうしようか。そんな考えても仕方のない事に、ジョシュアは不安を覚えた。  また、置いて行かれる。  赤毛に拾われようが拾われまいがどちらでも良い。ただ、ジョシュアの中の何かを見出してくれたミライアが、もしジョシュアに本当に幻滅してしまったらーーそう思うと、急に恐ろしくなってしまったのだ。  ミライアならば、人間を吸血鬼にしておいて捨てる、なんてそんな無責任な事をやらかさないだろうという勘のようなものはある。けれども、人ーー吸血鬼の心なぞジョシュアが理解しきれるはずも無く、ミライアの心変わりがあればそれをジョシュアが止めるすべもない。ジョシュアの知らないミライアの人格が、あるのかもしれない。  そんな事を考えてしまうと、急にガラガラと足元が崩れていくような感覚を覚えて、胸の奥がぎゅうと締め付けられるような気がした。本人が思っているよりも更に、ジョシュアは動揺していたらしかった。  ミライアが、自分よりも何倍も強い女性だからか。嫌でもその時の事を思い出してしまうからか。  ジョシュアの昔の話。才能に溢れる相棒を見送った時の事は、今でも夢に見る。  本当は一緒に行きたかった。自分にも彼女程の、彼等程の才能があればと何度も思った。中央で名を馳せ、世界でも有数の伝説的な存在になった彼女らは、かつては自分の仲間だったのだと。  その名前を聞く度に、ジョシュアは吐き出してしまいたかった。アレはかつて自分と共に旅をした仲間なのだと。知り合いなのだと。まるで虎の威を借る狐のようにみっともなく。  性懲りも無く自分の夢を諦めきれなかったのは、幾度とない窮地にも死にもせず、五体満足で生き残ってしまっていたから。とっとと死んでしまっていれば、戦闘不能になる程の怪我でも負っていれば、諦めもついたのかもしれない。  中途半端な勘の良さというものは、自分でも嫌になる程に優秀だったのだ。使い熟せもしないくせに、一丁前に自分の命を張り付くように守っている。  それでもようやく、ジョシュアは彼女らに追いつけたかもしれないのに。人の身ですら無くなってしまった。自分の犠牲の上で掴んだそのチャンスですら、無為にしてしまっている。本当に、何で駄目な奴なんだろうか。  ジョシュアは久々に考え込んでしまった。それはこの身体になってからは、初めての事。ミライアが共に居ない事で、少しだけ気が緩んでしまっていたのかもしれない。考えるキッカケが出来てしまったからかもしれない。それはジョシュアに定期的訪れる、死にも至るやまい。 「“影の”?」  突然黙りこくってしまったジョシュアを変に思ったのだろう、赤毛が首を傾げながら声をかける。だが返事がない。かと言って、わざと無視をしている雰囲気でもなく。赤毛は身体を起こしてジョシュアの顔を覗き込みにかかる。  その時、赤毛は気付いただろう。黙り込んだジョシュアの目が、酷く遠くを見ている事に。本人にはその自覚こそ無いだろうが、それは人間が死にに行く時の目に、良く似ていたーー。  その時だ。ジョシュアの身体が突然バランスを崩し、そのままベッドへと逆戻りしてしまったのだ。 「ーー! なんッ」  その衝撃で思考の渦から突然現実に引き戻されたジョシュアは、突然の異変に仰天する。けれどもそれも一瞬で、それをやらかした犯人なんてこの場では一人しか居ない。  一体何事かと目を白黒させるジョシュアに向かって、赤毛はわざとらしく言う。 「はいはい、お疲れのバブちゃんはゆっくり寝ましょうねぇー」 「お前……」  大変、癪に触る言い方である。  けれどもそれは、余裕が無い程に疲れ切っているジョシュアを気遣っての事であるのには違い無くて。目を顰めるものの、ほんの少しだけ赤毛に感謝する。久々に陥ってしまった自己嫌悪を少しでも、紛らわす事が出来たのだから。  まぁ、その原因を作ったのも赤毛本人であるには違いないのだが、それでもジョシュアを何とかしようとしている気概は感じるのであって。  ジョシュアはその時ようやく観念して、ベッドに引き摺り込んでくる赤毛のされるがままとなった。 「あ、そういや喉乾いてるんだっけか。……んなら仕方ない、『俺の』をあげるから我慢してねぇ」 「待て待て待て待て、『俺の』ってどういう意味だ“赤毛の”」 「え?何、嫌なの? しょうがないなぁ、それじゃあ特別にあげるから……“影の”のえっち!」 「おい待て、待て待て待て! 寄るな! 触るな! 見るな!」 「ヤダコレ辛辣ぅ、師匠の俺に向かって」 「ぐ、」  その後も一悶着あって、ジョシュアが赤毛に散々振り回される事になったのはご愛嬌。けれどもそれは、ジョシュアの思考を跡形も無く吹っ飛ばすには十分な威力であって。その前に考えていた事などはとっくに忘れ去られてしまったのだった。  指から血液を与えられながら、しぶしぶ従うジョシュアからはもう先程までの負のオーラは感じられない。それをニヤニヤと見つめる赤毛はいつも通りで、ジョシュアはその日、顔を顰めつつもなんとも言えない気分を味わう事となった。 「ねぇ、指フェラって知ってる?」  そんな赤毛の言葉を聞くまでは。
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