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夕方、編集の早川君が家を訪ねてきた。いつもの原稿の催促でないことは、彼の表情ですぐにわかった。
書斎に案内するなり、早川君は床に額を擦りつけんばかりに土下座をした。
「先生、今日、臨時取締役会が開かれ、当社も全安協に参加することが決定しました。うちみたいな小さな出版社を信じていただいた先生を裏切ることになり、お詫びのしようがございません……」
ついにこの時が来てしまった。しかし覚悟はできていたので取り乱したりはしない。
それよりも、いつもは自分の父親ぐらい年上の私に軽口を叩く早川君が、こんな古風な謝罪をしたのには驚いた。彼なりに重いものを抱えこんでいたのだろう。
「──早川君、頭を上げてくれたまえ。君たちが悪いのではない。私たち作家だって世論を変えることはできなかった」
私は早川君を抱え起こすと椅子に座らせた。
全安協への加入を拒んでいた早川君の出版社が、SNSで誹謗中傷を浴びせられ、クレームの電話やメール、抗議行動で業務に支障が出ていることは知っていた。
「……印刷会社や書店から、これ以上うちとは取り引きできないと通告され、苦渋の決断だったそうです」
「そうだったのか──。他の出版社が次々に同調圧力に屈する中、君たちは最後の最後まで頑張ってくれた。私は感謝している。ありがとう。しかし、何でこんな世の中になってしまったのか……」
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