声優 御堂刹那の副業 真夜中の雨降り小僧

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 雨の夜はいい。  雨音が声を消してくれるから、発声や滑舌の練習をやるのにピッタリだ。  声優の御堂刹那(みどう せつな)は、遊歩道の脇に作られた休憩スペースに今日も来た。  この三日間、夜になると雨が降っている。彼女にとっては絶好の練習コンディションだ。  この辺りは田畑ばかりで、雨が降っていようがいまいが発声練習をしていても、誰かに聞かれる可能性は少ない。  が、夜に散歩をしている人もたまにいるし、遊歩道に沿って流れる新川には夜釣りを楽しむ人もいる。  発声を他人に聞かれないようにするには、雨は最高の味方なのだ。 「かけきくけこかこ、さしすせそさそ……」  傘をさしながら腹筋に力を入れ、声を張り上げる。  その声は、闇と雨の中に吸い込まれていく。  刹那は発声の基礎を繰り返す。  練習を始めて十五分ほどが過ぎただろうか、刹那は背中に視線を感じて振り返った。  ベンチに男の子が膝を抱えて座っている。雨の夜、傘もささずに。 「こんばんは」  男の子は答えない。年は十歳にはならないだろう、古いデザインのTシャツと半ズボンを身に着けている。彼は刹那がここで発声練習を始めた、一昨日から姿を現していた。  刹那はこの手のことには慣れている。物心が付く前からこの世ならざるモノの姿が見え、所属事務所では拝み屋のまねごとまでさせられているのだ。  彼女は男の子がいても特に気にせず、そのまま練習を続けてきた。 「じゃあ、そこで見ててね」  滑舌の練習を再開する。 「かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ……」  さらに二十分くらい練習していただろうか、気が付くと声が通るようになっている。  いつの間にか、雨が上がっていた。  傘を閉じて、暗闇の空を見上げる。雲の切れ目から、月明かりが差し込む。 「雨、やんだね」  振り返ると、男の子も月を見上げていた。 〈パパもママも……こない……〉  初めて男の子が口を利いた。 「ずっと待ってたんだね」  刹那は男の子の前でしゃがんだ。  男の子の視線が月から刹那へと移動する。 〈もう……こないの……?〉 「うん……そうだね……とっても長い時間が過ぎたんだよ。きみは、ずっと待っていたんだ、パパとママをね」  男の子はコクンとうなずいた。 「さみしかったよね、辛かったよね、悲しかったよね、誰も迎えに来てくれなくて。  でも、もう待たなくていいの」  言われた言葉の意味が解らなかったのだろう、男の子の顔に戸惑いが浮かんだ。 「きみには行けるところが……行くべき場所があるんだ」  刹那は男の子の瞳を見つめた。事実を告げるのは辛い、こんな小さな子に己の死を突きつけるのは。 〈どこにいくの……?〉  彼が脅えているのが判る。きっと察しているのだろう。 「正しい名前はおねえちゃんにも判らない。でも、そこはね、この世からいなくなった人たちが行く場所なんだ」 〈ぼく……しんじゃったってこと……〉  刹那はゆっくり、しかしハッキリと首を縦に振った。涙が頬を伝う。 「ごめんね、おねえちゃん、何もしてあげられなくて……」  男の子がじっと刹那の顔を見つめる。  混乱しているのか、不安なのか、嘆いているのか、それとも怒っているのか、彼女には判らない。 〈ううん……いっしょにいてくれて……ありがとう……〉 「え?」  男の子の姿がぼやけ始める。 〈ずっと……ひとりぼっちだった……だから……おねえちゃんがきてくれて……うれしかった……〉 「あたしがいたのは、少しの時間だけだよ」 〈それでも……うれしかったよ……〉  最後に男の子は微笑んだ。  刹那は雨に濡れた、誰もいないベンチを見つめた。雨水が冷たい月明かりを反射している。  名前も知らない、この場所にいた原因も判らない男の子。それでも刹那は彼の冥福を祈った。 「姉さーん」  聞き慣れた声に顔を上げると、懐中電灯を手に、愛犬に引かれながら駆けてくる妹の姿が見えた。 「永遠(とわ)、どうしたの?」 「どうしたも何も、帰りが遅いから迎えに来たんだよ」 「あれ? 今、何時?」  スマホをポケットから取り出すと、日付が替わっていた。 「ちょっとッ、中学生がこんな時間に出歩いて!」 「来月から高校生だよ! ってか、 姉さんが帰ってこないからでしょッ」 「あ、そうか……ごめん……」  思わず姉面をして妹を叱ったものの、自分が頭を下げることになった。 「発声と滑舌の練習はこれぐらいにして、今日は帰りますか」  刹那は永遠から懐中電灯を受け取ると、空いた手を繋いで休憩スペースを後にする。  雲は流れ、夜空には月だけではなく星も瞬いていた。           -fin-
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