水色のハート

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 そうゴンタロウが答えた瞬間、スコールの様な激しさで放水車から大量の水がまかれた。やがて放水がとまり、野球場に虹が現われた。  いきなり濡れネズミにされた観客は、しばし茫然と虹を眺めていたが、その沈黙を破る様に鼓膜を金属バットの音が揺らした。  そのあいだにも試合は続いていたのだ。  打球は水浸しになった野球場のフェンスを越えて、場外へ飛んでゆく。  場外ホームランだ。  それも九回の裏、逆転満塁ホームラン。  その時、学級委員長、北島小夜子(きたじま さよこ)の雄たけびが野球場に轟いた。  「やったぁああああああ! 勝ったー! 選抜だぁああああああ!」  彼女が狂喜するのも無理はない、このホームランを打ったのは彼女の恋人、野球部キャプテン、中鷹隆弘(なかたか たかひろ)なのだ。  北島が青春を捧げて、無能な顧問を尻目に影の監督まで務めているのは、この中鷹のハートをゲットしたい――そんな乙女心がさく裂した瞬間が、この雄たけびで、彼女のサインを伝えていた野球部のマネージャーの五十嵐喜瑠(いがらし ぎる)も、喜びのあまり、何度も「万歳!」を叫んでいた。  この光景を見て、景子は、ほっと胸をなでおろした。この状況で、誰が恐怖心を抱くだろう。怖いどころか、景子のクラスメートから教師、PTAに至るまで全員が笑顔だ。  (やった、なんとか犠牲者を出さずに済んだっ!)と、安心したのもつかの間、いきなり悲劇が野球場を襲った。  小夜子と喜瑠を含めたクラスメートや教員の何人かが胸を押えて苦しみだしたのだ。  景子には、これが理解できなかった。  「な、なんで? 水浸しになった以外は、心臓麻痺なんて起きそうもないのに! いったい、なにが起きたのよ! 手口を変えて毒? いや、あたしの能力は時間の巻き戻し――そんなことは絶対にありえない!」  これをゴンタロウは解説した。  「人間は怖い時だけではありません。嬉しい時でも体調が崩れてしまうものなんです。医学的にはハッピーハート症候群と言われる症状で、同じく心筋梗塞を起こしてしまいます」  これを聞いた景子の頬を悔し涙が濡らした。「くっそおお! 犯人め! 人がハッピーなときに死をプレゼントして喜んでいるわけか! 許さない!」  怒りに燃えた彼女は、再び時間を巻き戻した。                 *  犯人は逮捕された。  軽自動車で運んだ。薬品を仕込んだ缶ビールの段ボール箱を担いだ途端、駐車場で待ち構えていた警察官たちが取り囲んだのだった。  犯人の本名は中川勇作(なかがわゆうさく)、景子の学校と契約している弁当屋のアルバイトだ。  取り調べで自供したところによると、教員からビールを運ぶように依頼され、ほんのいたずらのつもりで、薬学部を落第した鬱憤を晴らそうと、微細なカプセルに薬物を仕込んだのだった。  「まさか、大量虐殺の可能性があったなんて知りません。ほんとですよ!」  だが担当刑事は許さなかった。  「じゃあなんで、シェル・オブジェクトなんて、偽名で警察に挑戦したんだぁ! これって直訳すれば《かい》と《ぶつ》、しゃれた名前を思いつくじゃねえか!」  「そ、それじゃshell、and、objectじゃないですか、単純に貝のオブジェですよ、貝の置物と名乗ったんですって」  担当刑事は大きく首を横に振った。  「ゴ・マ・カ・ス・な! 怪物って意味だろうが! 怪物の言うことなんか信用できねえなぁ!」  担当刑事は机を激しく叩いた。  中川は取調室で頭を抱えたが、あとのまつりだ。  たしかに今の段階では殺人未遂どころか悪質ないたずらレベルだが、自らを《shell・object シェル・オブジェクト》などと名乗り、警察を挑発した行為は許されない。徹底的に彼は司法によって絞られた。                    *    ちょうどそのころ、中鷹の金属バットが大きく、野球場に鳴り響いた。  それと同時に、北島の雄たけびが木霊する。  「やったぁああああああ! 勝ったー! 選抜だぁああああああ!」  喜瑠も喜んで、「万歳!」を叫ぶ。  観戦していた景子も、ゴンタロウの肩を叩いて、大はしゃぎだ。  「やったよ! 満塁ホームランだよ! ゴンタロウ!」  「よかったですね、景子さん」  そう、答えながら、アンドロイドのゴンタロウは、同じ場面を目撃している景子が、なぜ、こんなに大喜びしているのか理解できず、その様子を電子頭脳の《不可解な現象》と題名をつけたカテゴリーの中へメモリーした。                     了      
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