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景子は心の中で舌打ちをした。さきほどから犯人の手口を父親の恵介が説明してくれるのだが、難しくてちっとも頭に入らない。
小難しい理屈は大嫌いなのだ。
彼女は(そんなところが、学業がパッとしない原因なんだけど、性分だから仕方ないのね。わかっちゃっいるけど、仕方ない)と、令和でありながら、昭和的なキャッチフレーズを心の中で呟いていた。
恵介の説明によれば、犯人はある種の神経ガスを使い、人を興奮状態にしてしまうらしい。
で、ガスを吸った人間はどうなるか? ハートブレイクを起こしてしまう。
「失恋するわけじゃないでしょ」と、言うと、恵介は「ブロークンハート症候群を引き起こしてしまうんだ。過度なストレスが身体に影響を及ぼし、急性心筋梗塞に似た症状を引き起こしてしまう」
説明を聞き終わった景子が、「でもそれって、脅されて怖かったり、災害とかでびっくりした時でしょう? 野球場で何が起きるっていうのよ」と、溜息をついた。
この夏の甲子園へ行く高校を決定する選抜戦で、怪事件が起きたのは昨日の昼、十一時四十五分、なんと集団で心臓麻痺者が続出して、多数の死者を出すという悲劇が起きたのだ。
その中には景子の知恵袋、悪魔の脳ミソと恐れられる野球部、影の監督、北島小夜子もいるから、父のアルバイトを断るわけにはいかなかった。
普通なら、疾病による不幸な事故という扱いで自衛隊特殊部隊どころか、警察だって動かないが、今日の事は大胆不敵にも警視庁に予告されていたから大問題だ。
「犯人は《shell・object シェル・オブジェクト》と名乗る、愉快犯だ! まったくけしからん!」と、二見恵介三佐は嘆いた。
本来なら、警視庁の仕事だが、今度の犯人は特殊犯罪の可能性もあるので、自衛隊が協力することになったという。
景子の父、恵介は「これは政府に対する挑戦なんだよ、威信にかけても犯人を逮捕しなくちゃいけない」と、はっぱをかけられたものの、「無差別テロじゃんか」と、景子は犯人の冷酷さに身震いした。
「プロのテロリストの仕業だったらどうすんのよ、娘が可愛くないの!」
そう、文句を言うと恵介は手を合わせて頭を下げてきた。「頼むっ! 当然、ゴンタロウを護衛につけるから!」
「ゴンタロウ?」
人間そっくりだが、ゴンタロウは、パワードスーツの機能があり、中に小柄な景子が入れば、たいがいの危機は回避できるように設計されている。
恵介は大きくうなずいて、「もし、ターゲットがいたとしても、捜査をかく乱するために他の人間を巻き添えにするのが平気な悪魔野郎なんだよ、絶対に許してはいけない! そうだろう! な、頼むよ! クラスメートのためじゃないか!」と、また拝む。
「わかったわよ! 時間を巻き戻して、さっきお父さんから聞いた話を昨日のお父さんに話せばいいのね! それじゃ行ってきます!」
二見恵子は時間を二十四時間だけ巻き戻す超能力者だ。
彼女はこの力で何度も事件を事前に解決してきたのだった。
時間は巻き戻された。
球場の席で、景子はゴンタロウの中で、観客に混じって眼を光らせていた。彼女だけでなく、変装した自衛官や警察官たちで、野球場は埋め尽くされ、怪しい奴が来れば即、御用だ。
だが、ゴンタロウの探知システムをフル稼働して、ゴーグル型の液晶モニターの映像を睨んでいるものの、怪しい奴の姿はない。
「くそお! ガスが出たらアウトだわ」
すると、ゴンタロウがトンチンカンな反応をして、いっそう彼女の神経を苛立たせた。
「ガスはとても危険ですが、ご安心ください。私の中にいる限り、どのようなガスも侵入することはありません」
(みんなが心配だというのに、またこの電化製品は!)
アンドロイドの悲しさで、人間の感情を察するまで電子頭脳のAIは進化していない。
景子は「さーすが、戦闘用アンドロイドね」と、答えると、ゴンタロウは「ありがとうございます」と、律儀に礼を言う。彼女が皮肉で返事しているとは理解していないのだ。
そんな彼が、なぜ、女子高生を体内に入れているのか?
電子頭脳のシステムのせいなのだ。
人間を傷つけない。自分より人間の保護を優先する。命令の服従という、ロボット三原則を厳守するようにインプットされているので、戦闘用でありながら単独では人間とは戦えない。
だが、人を体内に入れてサポートするというシステムモードにチェンジすれば可能になるのだ。
「ガスを使う以上、タンクを何かに偽造して野球場に持ち込むんだろうけど、まだ見つからないの!」と、ゴンタロウに催促したが、不思議なことに、そんな人物は現れない。
焦れている間に、あと三十分で問題の時間だ。
「ヤバい……な」と、心配していると、ゴンタロウは「予防として、あと二十分で消防署の放水車で水を撒く予定です」
と、注意してきた。
空気中に散布される神経ガスは水に弱く、化学反応して無害になることが分かっている。それで悲劇は緩和されるが、被害者が0ではない。景子を含め、自衛隊員の誰もが「一番確実なのは犯人がガスを使う前に捕まえる事……」と、焦れているものの、肝心の犯人の姿がどうしてもわからない。
「くそお! グズグズしてるとガスで人が殺されてしまう」
「此処で熱くなっても仕方ありません」
と、ゴンタロウから注意されて、景子は蒸し暑さを忘れていたことに気がついた。パワードスーツの中は着ぐるみを着ているのと変わらない。
「注意する暇あるんなら、クーラーを利かせな」
「これ以上は稼働効率に支障が出ます。我慢してください」
これを聞いて、彼女は思わず舌打ちをした。
「コーラでも飲みたい気分……。あっ! しまった!」と、ようやく彼女は犯人のトリックを見破った。
「コーラかソーダ! ガスは炭酸に混じってるんじゃない?」
するとゴンタロウが「落ち着いてください。ジュース類には水がつきものです、そんなものにガスが仕込めるわけがありません」
「いや、中身が水ばかりとは限らない、ビールだったら、どうよ!」
するとゴンタロウは「ありえません、ビールは90%以上が水分です」
と、答えを出した。
だが、景子はあきらめず、「じゃあさ、ビールの中にガスの成分と結合して、水の効果を無効化する成分はないの」
それにゴンタロウは「ビールのアルコール分は5%、利尿作用が強く、1リットル飲めば、体内の1.1リットルの水が必要です」
「じゃあ、その分、体の水が減るんでしょうよ!」
「ですが水の中に混ぜれば意味がないんですよ。幻覚作用が失われます」
「でも、ちっちゃなカプセルが仕込んであったら、どうよ!」
と、景子は食い下がる。
「もし極微小なカプセルが仕込んであったら……」
「ゲップが出ます」と、ゴンタロウは即座に答えた。
「そんなの聞いてないよ、電化製品!」
「いえ、ゲップはガスです。この暑さです、買えば誰でもすぐに口にするでしょう、飲めばビールに含まれるアルコールやアセトアルデヒドを分解しようと腎臓が働き、体内の水と、電解質のカリウムやナトリウムが大量に失われます」
「な、なによ、アセトなんとかって」
「二日酔いのもとです」
「なるほど、で、どうなるの?」
「もしナトリウムやカリウムと混ぜられたガスの成分が体内に入った場合、腸内で分解され、ゲップとして体の外に放出されてしまいます。つまり人間の体内が神経ガス製造工場になってしまうわけです」
「それじゃ、あたしの言うことが当たりじゃんか! なにのんきに解説してるの! お父さんに報告せんか!」
「もう、手遅れです! 水がまかれる時間です」
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