シュガースポット

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 バナナを補充するためにスーパーに行く。  土曜日のいつも通りのルーティンなのだが、入り口の自動ドアが開いた瞬間、熱気に近い濃厚な甘い匂いにぎょっとした。  バナナだ。  入り口に隣接(りんせつ)している青果(せいか)コーナーのバナナが、甘い匂いと存在感を放っている。  本日の目玉商品である、山積みのブロッコリーが霞むレベルのソレに、一抹(いちまつ)の期待を抱いたのは、私が根っからの貧乏性であるからだろう。  バナナのコーナーに吸い寄せられるように近づいた私は、三本入りのバナナが税込み91円で値下げされて、叩き売られていることに内心歓喜し、なるべく状態の良いバナナを探そうと意識を集中させた。  できるなら二袋欲しい。  皮をむいてポッカレモンのレモン汁を振りかけたあと、ジップロックにバナナを入れて三日分を冷蔵庫に、残りは冷凍庫に入れる段取りを考えながら、濃厚なバナナの匂いがする海の中で藻掻(もが)いてあがく。  そんな時に、黒い斑点(はんてん)が目についた。  バナナの食べ(どき)を告げるシュガースポットではない、袋の中で動く斑点。正体がコバエだと気づいた瞬間――心のシャッターを一気に閉じた。  ヘタに発生した白いカビ。黒く変色したヘタの付け根あたり、黄色い強固な皮に小さな裂け目が入り、そこに、さも当然のごとく無防備なバナナの内側に潜り込んでいくコバエたち。  匂いと値段に気を取られていたが、91円の値段が下げられたバナナのコーナーには、コバエだけではなく名前の知らない小さい虫たちが、ぶんぶんとご機嫌に飛んでいた。下手をしたら、そこらへんの人間よりも元気だ。  バナナの袋に()いている空気穴(くうきあな)はセコムの対象外だから、店員の目がいき届いていないかぎり好き放題入り放題。人間の都合を知らない虫たちからしたら、お菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルのような心境だろう。  病気とか衛生とかをなるべく考えないように、なんとか状態の良い91円のバナナを二袋選ぶと、私は逃げるように会計を済ませてアパートに帰る。  六本分のバナナの皮をむしり取って、小さなゴミ袋にそのまま入れて、アパートの敷地(しきち)内にあるごみ置き場が、24時間ゴミ出し可能である幸運と、そのゴミを処理する清掃員に心の底から感謝する。  私に日常は、優しく誠実な人々によって支えられている実感と、自分の快適な生活の為に大量のバナナの皮を捨てる申し訳のなさ。  なんで自分は生きているんだろうという気持ちと共に、旧ツイッターに流れてくる自分と同年代の人間の訃報(ふほう)、人手を増やしてもなかなか業務が減らない現状への(いきどおり)り、そのほか関係ないけどイヤな思い出が、ランダムに頭の中で再生されて心がかき乱されていく。  (うじ)のように湧く――いつ死んでも良いけど、このまま死ぬのはイヤだな。という矛盾した気持ち。死んだ目でゴミ袋に入れたバナナの皮をのぞき込んで、シュガースポットって死斑(しはん)みたいなもんだなと考えながら、周囲の目を気にするように、こそこそとバナナの皮が入ったゴミ袋をゴミ捨て場に置き、今に(いた)る。  バナナは死体。そんな当たり前のことを、すっかり失念(しつねん)していた自分の浅はかさ。吐き気を(もよお)す現実の前に「いただきます」「ごちそうさま」と、念仏のように繰り返す日常は、なにも知らない虫たちから()たら、さぞ奇妙な光景に映るにちがいない。  とりあえず、今日見たことは忘れよう。  けれどももったいないから、今、(いだ)いている黒いゴミ袋に詰め込んだ、汚物のようなこの感情を、心のシャッターを下ろしてここに書き(しる)そう。妄想コンテストのテーマが「黒」だし、ちょうどいい。できれば、文章は短めにして終わりたい。明日になったら、職場に持っていく四日分の弁当を作らなければならないからだ。弁当箱の消毒もしっかりしないといけない。  本当は、弁当を平日五日分作りたいのだが、一人暮らし用の冷蔵庫では、スペース的にムリだ。  週休二日?  はて、たまった家事を土日にこなしたら、一日休めるだけで奇跡のレベル。  かぎられた時間の中で、自由にできる自分の時間を捻出して、行き場のない感情を文字に変換して小説として書きだす。それが私の土日の生活。 (ちなみに今日は、ずっと行きたかった喫茶店が閉店する情報が入り、突発的(とっぱつてき)に行ったから、スケジュールが渋滞と玉突き事故を起こしている自業自得な状態である)  一日は24時間しかないのに、週5の8時間労働に加えて通勤時間――そんな生活、奴隷を最低一人でも確保しないと成立しないのに、しかも年齢が上がると肉体も頭も劣化(れっか)するのに、やることが増える上に求められることも増える。それで賃金ではなく、物価が上がっているんだから、この社会はまともに働いたことのない人間たちが、いい仕事をした気分になりたくて作ったに違いない。  そうだ。そうだ。と、なるべく自分が傷つかない方向で心のシャッターを二重、三重にも閉めて、スーパーに苦情を入れることもなく、店員さんたちも疲れているんだ、こんな社会が悪いんだと、かわりにバナナを91円も値下げしてくれてありがとうございますと、心の中で頭を下げる……なんとも無責任な生き方を我ながらしている。  就活氷河期。新卒で都内のパチンコ店で働いていた頃「お前は地獄に堕ちる」と、客に言われたことがある。まったくその通りだ。私はたぶん、ろくな死に方をしない。次の日には眠ったまま死んで、腐ったバナナのように真っ黒く変色した自分の死体を想像しながら、死んだ自分に訪れるのは、天使や死神ではなく、この時期だとコバエである現実に笑えてくる。  バナナの形状もそう考えると、横たわっている人間に似ていて、寝たまま死後硬直(しごこうちょく)を起こして、死斑が浮いた小さな人間を大きな人間が美味(おい)しそうに食べているシュールな光景が、脳内に展開されて止まらない。 「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただきます」「ごちそうさま」「いただき  気が狂いそうなレベルで繰り返される日常と、(あいだ)に挟まる食べ物の死体たち。人間は多種多様の死体を食べて生きているのに、人間は死んだら食べてくれる生き物がいないのだ。  それがとても不条理で残酷で、人間が人間を弔うしかない当たり前に、なんだか取り残された気分になる。 ……せめて、まだ生きたい。  無駄にある想像力のせいで、心が消耗していること自覚し、私はデパスを頓服(とんぷく)する。  薬の成分が行き渡ると、厳重に閉めきられた心のシャッターが開いて、感情の汚物の入った黒いゴミ袋がゆるゆると(ほど)けて、汚物だったモノがどこか遠くの、光の当たる場所へと離れていく感覚が好きだ。  この感覚に身を任せて、シュガースポットのように変色している、自分の心と()り方を意図的に忘れて、人間は死ぬ生き物であることも忘れて、自分も誰かの日常を(にな)っている誰かのハズだと言いきかせる。  なんのかんので私は生きたいし、あのスーパーも来週になれば、いつも通り、買い物にいくのだろう。そんなものだ。 【了】fcbd138f-423e-47ec-b843-48e458c1dd84
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