ライオンの訪れ

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ライオンの訪れ

『続きまして、世界のニュースです。グラルガグラ王国の第二王子が、日本の大学への留学を決めたことがこの度明らかになりました』 (やばいやばいやばい)  タイマー代わりに垂れ流しにしているテレビから流れる声を聞き、真島柊斗は寝癖の残った髪に慌ててワックスをつけた。国際ニュースが始まる時間は8時30分。そろそろ家を出ないとまずいのに、休みの間に伸びた髪は好き勝手に自己主張している。 「ああー……もう、なんで四年目にもなって一限に行かないといけないかね」  なんでもかんでも「国際社会学Ⅰ」の単位を落としてしまったからなのだが、そう文句を言わずにはいられない。  わたわたと手についたワックスをタオルで拭きながら、左右を向いて最終確認をする。あえての外ハネセットのように見え……てほしい焦げ茶のショートヘア、自分でも子供っぽいと思うがどうにもならない黒目がちな瞳。ちょっと太めの眉は整えたい気もするがもう時間がない。 『さて教授、グラルガグラ王国といえば王子間の後継者争いが激化している点が注目を浴びていますが、今回の留学で彼らのパワーバランスに変化はあるのでしょうか』 『そうですね、今回の留学によって親人間派の第二王子、反人間派の第一王子という立場がより明確になったと言えるでしょう。それによって——』  リモコンを掴み、どや顔で話す壮年のコメンテーターの顔を消す。ノート類の入ったバッグをひっかけ、柊斗はワンルームのアパートを飛び出した。  新年度早々遅刻は避けたい。留年となれば尚更だ。 (今年は……ちゃんとするって、決めたんだから)  信号待ちの時間も惜しく、大学へとひた走る。千葉県にあるくせに「東京文科大学」と書かれた校門をくぐったところでスマホを出すと、時刻は八時五十五分を指していた。 「……っ、はあ、なんとか……」  あと五分あるならぎりぎり平気だろう。ひしめく学生たちの中で歩調を緩めると、桜が両端に植えられたメインストリートの真ん中に黒い山のような人影が立っているのが見えた。ウェーブのかかった黒髪の間から、丸っこい耳が飛び出している。 (うわ、獣人だ)  獣人——正確には、ホモ・フォルティス。獣へと変化することができる、柊斗たちホモ・サピエンスとは違う「ヒト」だ。  北緯三十三・五度、東経一四一度。千葉県九十九里浜沖に突如異世界へのゲートが開いたのは二〇年前のことである。ゲートの先はグラルガグラ王国という国に繋がっており、そこにはアニメで見るような、動物の耳や尻尾の生えた獣人たちが暮らしていた。大いに日本が混乱しトイレットペーパーや米の買い占めなどの「ビーストショック」が起きる中、時の総理大臣、佐渡島泰はグラルガグラ国王であるガレスティア・リアリージュと『日雅修好条約』を結び、両国の親善関係と技術的協力関係を約束した……というのは、柊斗が受験期に覚えさせられた知識である。グラルガグラは現代社会で頻出なのだ。 ただ、物心ついた時からの隣国であるグラルガグラ王国について、柊斗が知っているのはその教科書上の記述で全部だった。というのも、ゲートを通るには特別な訓練を積んだドラゴンに乗らなければならないのだが、そのキャパシティが非常に小さく、限られた数の人しか行き来ができないからだ。政府高官や研究者たちでその枠は埋まってしまい、一般人が観光に行けるのはまだ先の話と言われていた。 (すげ……でっか……ライオン獣人、かな?)  ゆえに、柊斗が生で獣人を見るのも今日がはじめてである。黒のジャケットと同色のパンツという出で立ちは普通だが、その大きさと威圧感は尋常ではない。優に二メートルを超えているだろう大きな身長とプロレスラーのように筋肉のついた背中、臀部から伸びる尻尾を眺めながら、他の学生同様彼を避けるように少し進路を変更する。  近づいていくと、黒いライオン獣人の陰に隠れるように、もう一人細身の獣人が立っているのが見えた。白く先端にブリーチの入った金髪をポニーテールにしており、不思議な響きの声でライオン獣人と話している。頭から生える狐耳に通訳だろうか、と思った瞬間、黒い巨躯が突然振り向いた。きょろりと辺りを見回した青い目が柊斗の顔で止まる。 「ひえっ」  獣人の名に恥じない、鋭い視線に柊斗は思わず後退った。勘違いかと左右を見回しているうちに、人波をかき分けるようにのしのしと大股で近づいてきたライオン獣人は目の前に迫っていた。 「君っ!」 「は、はいっ!」  グローブのような大きな手に腕を掴まれ、柊斗は裏返った声で叫んだ。どうしよう、何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。そそくさと隣を横切っていく学生に視線で助けを求めようとすると、頬に伸びてきたもう片方の手が柊斗の顔をぐいと引き戻す。柊斗の視界にライオン獣人の顔が大写しになる。
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