帰り道

6/6
前へ
/21ページ
次へ
 翌朝、というよりも昼近く。生まれたての小鹿のようになった柊斗がアルハヴトンに抱えられてリビングに行くと、そこでは当然のような顔をしたマナギナが新聞を読んでいた。 「おはようございます、アル、真島さん。朝食はグラルガグラ風パンケーキと和食、どちらがいいですか?」 「おはよう。パンケーキのほうにしてくれ」 「お、おはようございます……え、あの、じゃあ同じものを……」 「承知しました、すぐお作りしますね」  大きな狐耳を揺らし、微笑んだマナギナが立ちあがる。エプロンをつける背中で、尻尾が嬉しそうに揺れていた。 (こ、これはとんでもなく恥ずかしいところを見られてしまったぞ)  アルハヴトンをつついて「降ろして」と訴える。 「今更遅いと思うがなあ」  ぐるぐると笑いながらも、アルハヴトンはダイニングの机に柊斗を座らせた。渡されたコーヒーを飲みながら待っていると、すぐに香ばしい匂いが漂ってくる。 「お待たせしました、グラルガグラパンケーキ、テルガニタと豆のスープです」  マナギナが持ってきた皿には、丸く薄いパンとヨーグルトっぽい風味のペースト、サラダが乗っていた。マグカップに入ったポタージュスープも一緒に供される。マナギナはパンケーキ、と言ったが、テルガニタはピタパンなどに近いようだ。アルハヴトンとマナギナにならい、謎のペーストをつけて食べることにする。朝にちょうどいい、爽やかな酸味と香ばしさが柊斗の口の中に広がった。 「本国には連絡したか、マナギナ」  柊斗の横に座ったアルハヴトンが、スープを飲みながらマナギナを見た。その声には先ほどまで柊斗にかけていたような甘さはない。それはそれで格好いい、と思いながら柊斗はサラダをつついた。 「ええ。議会が終わり次第向こうで協議してこれからの方針を決めるとのことでした。あ、犯人たちは日本の警察に引き渡しました」 「そうか……」 「今回は持ち物から第一王子側近が使う通信球も出ましたし、言い逃れもできない状況ですし……心配されずとももう大丈夫かと思いますけど」  ううん、とそれでも不安そうなアルハヴトンに、マナギナが首を傾げる。と、そのポケットから着信音が鳴り響いた。 「あ、話をすればちょうど」  立ちあがったマナギナがグラルスで話しながらリビングの外へ出て行く。と思いきや、扉を開けかけたところでその足が止まった。 「ええ? それは……いえ、ですが……。失礼いたしました、今代わります」  そのまま戻ってきたかと思うと、マナギナはアルハヴトンにスマホを手渡した。 「王様からです」と小さくアルハヴトンの耳元で囁くのが聞こえた。 「父上、アルハヴトンだ」  そのまま柊斗の隣で話し始めるアルハヴトン。何を話しているのか、その顔がどんどん険しくなっていく。つい耳をそばだててしまうと、「第一」「追い出す」「運命」と言った単語が断片的に聞き取れた。だが、どんどん早口になるアルハヴトンの会話について行けず、それ以上のことは分からない。  なるべく音をたてないようにして朝食を続ける。皿が空になり、マナギナが洗い物を終えた頃、ようやくアルハヴトンの電話は終わった。  爆弾のボタンでも押すようにスマホの画面をタップして通話を切ったアルハヴトンは、目を閉じて椅子に寄りかかった。ふーっ、と長く息を吐き、コーヒーを飲む。 「柊斗」 「う、うん」  険しい顔のまま名前を呼ばれ、柊斗はドキドキしながら頷いた。何か、悪いことが起きたような気がしていた。自分も深呼吸して、アルハヴトンの夜明け色の目をしっかりと見つめる。 「何? アル……」 「グラルガグラに、帰ることになった」  ぽかんと開いた柊斗の口からは、何の言葉も出なかった。 (帰る、って……え?)  ようやく気持ちを伝えられたのに。グラルガグラに帰ってしまったら、もう二度と会えないのではないか。別れなくてはいけないのか。ただ硬直していると、机の上に投げ出されていた柊斗の手をアルハヴトンが握った。 「今回の件がきっかけで、第一王子……兄の追放が決まった。それで、私を正式に後継者として指名するから戻って来いと、そういう話だ」 「あ、そ、そうなんだ……」  おめでとう、と言えばいいのだろうか。よく分からなかった。そのまま柊斗が黙りこくっていると、握られた手の力が強くなった。 「柊斗。私と一緒に、来てくれないか」 「えっ?」 「父に『運命を見つけた』と言ったら、一緒に連れてきていいということだった。だ、だから……私の、未来の伴侶として、グラルガグラに来てくれないか」 「俺が……グラルガグラで……伴侶?」  オウム返しをしながら、柊斗は目を瞬かせた。突然のことに頭がついて行かない。そうだ、と頷くアルハヴトンをただ見つめる。  不意に、柊斗の頭の中にある景色が広がった。  グラルガグラの町を歩く、アルハヴトンと自分。その姿はかつて想像した時よりずっとリアルになっていた。 (あれが、本当になるのだろうか)  ふわりと、心の中に風が吹いた気がした。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

47人が本棚に入れています
本棚に追加