ライオンの訪れ

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「なんだろ……時給とか日給で働く、労働時間が短めの働き方? ちょっと待って、正確な定義多分あるから調べるわ」  歩きながら、ポケットから取り出したスマホで「アルバイト とは」と検索する。 「学校が終わってから働いているようだが、夜遅くなったりしないのか?」 「まあ俺の場合は居酒屋だから、帰りはいつも日付変わってからかな」 「それは……危なく、ないのか」 「平気だよ、女の子じゃないし。それに深夜の方が時給もいいし、まかないもあるし……あ、あったあった、えっと『アルバイトとは期間の定めのある』……」  スマホに表示された説明を読み上げていると、不意に柊斗の背中に誰かがぶつかった。 「あっ、すいま……」  謝りながらたたらを踏んだ先には、地面がなかった。ふわりと体が浮く。  スローモーションで近づいてくる踊り場が見えた。 (え?) 「柊斗!」  アルハヴトンの大声と共に体が引き戻され、スマホだけが階段を落ちていく。気づいた時には、太い両腕で苦しいほどに抱きしめられていた。 「柊斗! 大丈夫かっ!」 「う、うん……あ、ありがとう……」  いつの間にか階段のすぐ横に来ていたのだ。アルハヴトンが腕を引いて助けてくれなかったら、下まで転がり落ちるところだった。 「柊斗、どこか痛いところはないか、怪我はしていないか?」  抱きしめられたまま、べたべたと全身を触られる。状況を認識した瞬間、柊斗の心臓が早鐘のように打ち始めた。「だ、大丈夫だって!」と叫び、アルハヴトンの腕を振りほどくように体を離す。 「ごめん、スマホに気を取られすぎて、周りが見えてなかった」 「え? あ、そ、そうだな……」  なぜか困惑したように頷くアルハヴトンに笑顔を作り、今度はしっかり手すりを持って階段を降りる。踊り場の隅にぶつかって止まっていたスマホを拾い上げると、画面は真っ白くクモの巣が張ったようになっていた。ポケットにスマホをねじ込み、講義棟の外に出る。 「それじゃ、また明日かな。じゃあね、アルハヴトン、マナギナさん」  メインストリートに出たところで軽く手をあげると、「ん」とアルハヴトンは中途半端なところで手を止めた。 「どうした、アル」 「いや……うん」  下を向くアルハヴトンの青色の目は、いつもより沈んでいるように見えた。 「……気をつけてくれよ、柊斗」 「なんだよー、もう歩きスマホはしないって。画面も割れたし、やりたくてもできないよ」  ほらこれ見て、とわざと大仰な仕草でスマホの画面をアルハヴトンに示す。 「うん……そうだな、また明日」 「ではー」  揺れるライオンの尻尾と、マナギナのポニーテールを見送る。二人が角を曲がって消えたのを確認してから、柊斗はよろよろと近くのベンチに腰を下ろした。トートバックを胸の前に抱え、口元を押さえる。 「……っ、ふー」  全身がドキドキして吐きそうだった。無意識に貧乏ゆすりをしていた脚を叩き、バッグの中からお茶を取り出す。口をつけると、傾ける角度を見誤ってお茶がこぼれた。 (お、落ち着け……!)  柊斗自身、どこにこんなに動揺しているのか分からない。階段から落ちそうになった恐怖が今頃やってきたのか、それとも——  ぎゅっと目を瞑り、ペットボトルを握りこんで自分の呼吸に意識を集中する。アルハヴトンの指先の感触と、服越しに感じた筋肉の逞しさが、まだ全身に残っていた。  ゆっくりと鼻から息を吸い、そして口から吐き出す。  だが、突然吹いてきた強風に翻弄される木の葉のような心は、まだしばらく落ち着きそうになかった。
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