雨上がりのハ短調「悲愴」

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  遠くで稲光が見えて、雷が名残惜しそうに響く。 「線状降水帯も、そろそろ抜けるだろう」  如月秀哉(きさらぎ ひでや)は軽自動車を運転しながら、右の砂利道へハンドルを切る。タイヤから伝わる振動は、雨で滑りやすかった舗装路より安心もさせた。  規則正しくワイパーは流れ落ちる雨を弾く。湿った車内もそろそろ窮屈に思えてきた。 「何とかこれたね。山野先生も良い場所に家を建てたよ」  助手席で条本紗月(じょうほん さつき)が外を眺めながら言う。ショートカットの髪もしっとり湿っているようだ。  高台になり、浸水の恐れはない屋敷が見えた。母屋の二階建に連なる角ばったコンクリートの建物。駐車場の庇があり、丸屋根の建物。 二人が会う予定の山野修は音楽教室の講師だけれど、町の音楽界では権威がある。  庇の下へ軽自動車を進めて、駐車させる秀哉。雨だれのカーテンの向こうは雨煙。 「あれは。たしか友梨佳さん」  紗月がコンクリートの建物から出てきた女性を見つけたらしい。 「そうだな。いや。なにかあったか?」  秀哉はパトカーが近づくのに気づく。屋敷の庭から続く舗装路は水が溢れているから、逆方向で高台からきたのだろう。  コンクリートの建物へ横づけするパトカー。やがて、雨具をつけた警察官たちが出てきて、ふわふわ長い髪をした友梨佳の案内で建物へ入る。  庇のある駐車場の二人は、雨のせいでもあろうが、気付かれてもいないようだ。 「事件か」 「緊急ではないみたい。サイレンは鳴らなかった」 「救急車が先でもないとすると」  怪我や急病でもないだろう。二人は素人探偵を自任する大学生。推理をするけれど、現場へ行っても見せてくれないと経験で知っている。 「友梨佳さんはいつから。いまは朝だろう」  音楽教室で顔なじみだけれど、山野と親しいとは考えてもなかった。 「9時はまわった。警察官を呼んでから、かけつけるまでを計算すると」  8時には着いていただろう。それで、すぐに異変へ気づいたのか。  ちょうど、隣に停車していた赤いセダン車が気になる。たぶん友梨佳が乗ってきたのだろう。 「この車だな。確かめよう」  秀哉はリュックを小脇にかかえて軽自動車から出た。 「見た目では。そうね。泥跳ねがないよ」  紗月がさっそく、雨の中を走行してきてないと気づいた。自分のリュックから拡大鏡を取り出して調べる。  秀哉はボンネットへ触れる。 「直接は濡れてない。いや。これ。エンジンは冷え切っている。かなり朝早くに着いたか」 「大雨の降る前となれば、昨日からというのが普通の考えだよ」  山野の招待で、何人かで泊まることはあったけれど、ほかにも誰かいるのか。 「不自然だね。この紙袋」  紗月が、助手席に置かれた白い紙袋へ注目した。閉じられているけれど、雑誌でも入っているような形で立ててある。閉められた紐が貴重品を思わせた。 「臨時に置かれたとか。運転したら倒れるだろう」 「足元へ置くか、後部座席。貴重品ならトランクだがな」  二人が話しているところへ近づく人影。 「ちょっとお聞きしてよろしいかな」  二人の警察官が立ちはだかった。    
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