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 ――青天の霹靂とはまさにこのことを言うのでしょうね。  ウララは隣国に向かう馬車のなかで、小さく息をつく。 「……お嬢さま、どうかされましたか」  正面に座る侍女のシスが心配そうな目でこちらを見た。赤毛のおさげがなんとも頼りなさそうに垂れている。 「ううん、なんでもないの」  ウララははっとして笑顔を見せる。  たった一人で着いてきてくれたシスを不安がらせてはいけない。  ――でも、いったいどうしてこんなことになったの。  雨降らしの呪いを持つウララのもとに、隣国フローラ王国の第一王子エーデルから婚約を望む手紙が届いたのが、いまからちょうど二週間前のこと。  小国の公爵家の末娘ーーしかも呪われた小娘がなぜ。急な婚約話に家族だけではなく、国中の貴族たちが驚いた。  ――いちばんおどろいたのは私よ。  ウララはシスを心配させないよう、心のなかだけでため息をつく。  花の王子エーデル。  フローラ王国が花や樹木などの農業大国であることと、彼の麗しい見た目から、国内外の子女から彼はそう呼ばれている。  ウララはエーデルと面識がないから、いったいどれほど彼が美しいのか知らない。が、なぜ自分のような呪い持ちが嫁に望まれたのかは理解不能なのだった。  というか、そもそも大国であるフローラ王国の第一王子が、小さな国のただの貴族の娘を知っているだなんて、まるで思っていなかったのだ。 「でも、せっかくの機会なのだから楽しまないとね」 「なにかおっしゃいましたか?」 「ううん、楽しみだわって言ったの」  ウララがそう言って笑顔を見せると、シスも強張っていた表情をほころばせた。 「お嬢さま、見えてきましたよ」  シスの声に顔を上げると、色とりどりの花々が咲き乱れる景色が目に入った。 「まあ……」 「さすが農業の国フローラ王国ですね」  シスはわずかに頬を紅潮させ、窓外の景色を眺めている。  呪い持ちなせいでろくな扱いを受けてこなかったウララに、唯一、親切にしてくれたのが侍女のシスだ。  使命感の強さからか、行ったことのない隣国にまで着いていくと言ってくれた。彼女が心穏やかにすごせるようにがんばらねば、とウララは一人意気込む。 「それにしても、エーデル王子はいったいなにを考えていらっしゃるんでしょうね。面識もなく政治的なうまみもないウララお嬢さまを嫁に望むだなんて」  緊張感から解放されたシスの正直な物言いにウララはくすりと笑う。 「わからないわ。でもせっかく望んでいただいたのだもの、なにか私にできることがあればがんばりたいわ」 「ウララお嬢さまなら大丈夫ですよ」  馬車が止まり、扉が開く。  さあ、とシスに促されてウララが外に出ようとすると、城門前にはすでにエーデルの姿があった。  ――まずい。  王子自ら出迎えてくれるとは思ってもみなかった。  ウララは外に出ようとしていた足を引っ込め、シスに伝言を頼む。  慌てて王子のもとへ走り、恐縮しながら一言二言言葉をかわすシスを、申し訳なく思いつつも馬車のなかから見守る。 「私が外に出たら、雨がふってしまうもの。殿下の美しいお召しものを汚してしまってはいけないわ……」  遠目に見たエーデルは、たしかに美形なように見えた。さらりと癖のない金髪に、宝石のような青い瞳。もう少し近くで見たかったし、直接挨拶をしたかったが、ここで外に出て迷惑をかけるわけにはいかない。  ウララがため息をついたそのとき。 「はじめまして」  おもむろに馬車の扉が開き、エーデルがひょっこりと覗いた。  とつぜんの出来事にウララは言葉を失い、瞬きを二、三。すぐにはっとして、姿勢を整え、よそゆきの笑顔を見せた。 「お初にお目にかかります。ウララ・エングーと申します。馬車のなかからのご無礼をおゆるしください」 「はじめまして、フローラ王国の第一王子、エーデル・フローラだ。遠路はるばるようこそ。会えてうれしいよ」  目の前の王子は、大輪の花のような華やかなほほえみを湛えてそう言った。 ――たしかに麗しいわ。ってそうじゃなくて……  シスの伝言が伝わらなかったのだろうか。  エーデルは馬車のなかのウララに手を差し出した。 「あの……私が外に出ると、その……」 「雨がふるんだよね。それがどうかしたのだろうか」  エーデルは小首をかしげる。  もちろん知っているとは思っていたけれど、初対面の人間に呪いのことを言われると心臓を掴まれたような心地になる。 「殿下や外で待ってくださっている護衛のみなさまのご迷惑になるのではと……」 「きみがいまこの場で外に出るのがいやなら無理強いはしない。でも僕らに遠慮しているだけなら、心配はいらないよ」  大丈夫。エーデルはそう言って笑った。  わずかに赤らむ頬に、エーデルも初対面の人間に会うことを緊張してるのだろうかとウララは思う。  おずおずとエーデルの手を取って地面に足をつけると、ぽつりと雨粒がウララの頬を濡らした。  このままではエーデルが濡れてしまう。  ウララが慌てたそのとき。  エーデルが肩にかけていたコートを脱ぎ、ウララと自分の頭上にばさりとかざした。  すぐに空が暗くなり、ざあざあと雨がふりはじめる。 「これなら二人とも濡れないさ」  ウララが驚いて顔を上げると、至近距離に立っていたエーデルと目が合う。 「お召しものが汚れてしまいますわ!」 「ちょっと濡れるだけで大丈夫だよ。ほら、行こう」  エーデルは、自然なそぶりでふたたび手を差し出した。  これまでウララが外に出たせいで雨がふると、きまって家族から怒鳴られていた。おまえは呪いの子なのだから、人様に迷惑をかけないように家にこもっていろと。  だから、雨を迷惑がらないだけではなく、雨をふらした原因である自分も庇うようにしてくれたことが信じられなかった。  ウララの心がすこしだけあたたかくなる。  差し出された手をそっと取ると、今度はエーデルが固まった。 「あ、あの……どうかされましたでしょうか」  控えめにウララがそう問いかけると、「はっ!」と言ってぶんぶんと首を振った。  これまでのスマートなふるまいとは真逆の行動に、ウララは困惑する。 「すまない。その、ウララ嬢にようやく会えたことがうれしくて……」  エーデルはそう言って咳払いをすると、ふわりと微笑んだ。やはり頬が紅潮しているように見える。 「ようこそ、フローラ王国へ」  ――やっぱり花のように笑う人だわ。  エーデルが雨よけにしていたコートが、雨を吸収するどころか弾いているように見えたことを不思議に思いながらも、手を引かれるまま城に足を踏み入れた。    *** 「ウララ嬢、なにか居心地のわるいものはなかった?」  与えられた部屋まで案内してもらい、一息ついたところでディナーに呼ばれたウララは、いま、エーデルと二人できりで食事をとっている。  ウララに用意されていたのは、驚くほど大きく、瀟洒な装飾が施された部屋だった。隣には、侍女のシス専用のこれまた大きな部屋まで。  ほぼ納屋のような部屋で生活していた実家暮らしを思い出すと、これ以上にない高待遇だった。  いま口にしているディナーも、ウララの故郷にあわせた味つけにしてくれているように思う。細やかな心遣いに、エーデルの人となりを見たような心持ちになる。 「すてきなお部屋と、豪華なお夕食まで用意をしてくださって、ありがとうございます」 「それはよかった。なにか気になることがあればいつでも言ってね」  はい、とウララは返事をする。  不安に思っていた婚約だが、いまのところはそう悪くないどころか、とてもよい暮らしをさせてもらえそうな気しかしない。  しかしそうなると、エーデルがウララを望んだ意味がますますわからない。  フローラ王国は大国。国力の差がある小国の、呪いを持つと噂されている公女になにを望んでいるのだろうか。 「殿下、ひとつ質問してもよろしいでしょうか」  どうせ聞くなら早いほうがいい。意を決したウララは、ナイフとフォークを置いてそう口にする。 「どうぞ」 「私と婚約してくださった理由って、なんでしょうか」 「え⁉︎ り、理由⁉︎」  エーデルはすっとんきょうな声でそう叫んだ。ナイフとフォークが手からぽろりと落ちる。  ――なにかまずいことを言ったかしら。  なぜか顔を真っ赤にして、ウララとテーブルに落ち着かなく目をやっている。 「もし私にできることがあるならお役に立ちたいと思ったのですが……」 「あ、ああ、そういうことね」  エーデルはこほんと咳払いをして、少し考えるそぶりをしてから口を開いた。 「ご存じのとおり、わがフローラ王国は農業大国なのだが、ここ数年は気候が安定しないせいで不作でね。民たちが困っていたんだ。そこでウララ嬢、きみの雨ふらしの能力が役立つのではと思っている」 『役に立つ』  エーデルにそう言われ、ウララの感情はたかぶる。呪いだと言われ続けたこの力が、誰かのためになるかもしれななんて……  「私にできることでしたら、なんでもやります。やらせていただきたいです」 「ありがとう、とても心強いよ」  エーデルはほっと息をついた。 「もちろん、それだけじゃないのだけど……」  エーデルはちらりとウララに目を向けた。 「まだ私にできることがあるのですか?」 「あ、いや……うん」  あきらかに気まずそうな顔。  その表情にウララははっとする。  ――もしかしたら、私を利用するために婚約したことを後ろめたく思っているのかもしれないわ。    今日出会ったばかりだが、エーデルはあきらかに人がよい人物という印象を受けた。きっと、好意のない状態で婚約することを申し訳なく思っているのだろう。 「もしよければなんだけど、週末、僕と出かけてくれないかい? ウララ嬢に見せたいものがあるんだ」  利用するだけでは申し訳ないから、歩みよろうとしてくれているのだろうか。ウララはその気遣いに恐縮しつつも、すこしだけうれしく思う。 「はい。私でよければよろこんで」    *** 「いやー、暑いね」  週末。  ウララは約束どおり、エーデルに連れられて馬車に乗っていた。  隣に座るエーデルは、初日よりもラフな格好だ。腕まくりをしたシャツからのぞく腕は、細いながらも筋肉がついている。雑に開かれた脚は、馬車が揺れるたびにウララの脚にくっつきそうになる。  距離が近いことに緊張していると、不安そうに顔を覗き込まれる。 「ウララ嬢、どうかした?」 「いえ、その……殿下とはじめておでかけするので、すこし緊張しているのです」  ウララが正直にそう言うと、エーデルは目を丸くする。そしてふっと笑った。 「僕もだよ。でも、きみにそんなふうに思ってもらえているなんて、光栄だな」  なんと返せばいいのかわからず黙っていると、車内に沈黙が訪れた。そのまま、二人はほとんど言葉を交わさずに目的地に到着した。 「さあ、着いた。外に出ようか」  エーデルは軽やかな身のこなしで馬車を降りると、そう言ってウララに手を差し伸べた。 「でも、雨が……」 「雨よけは持ってきているから大丈夫。この先にきみに見せたいものがあるから、来てくれないかい?」  そう請われ、仕方なしにウララは外に出る。当然、ウララが地面に足をつけた途端、雨がふりはじめた。  エーデルは初日と同じようにコートを頭上にかざし、ウララと自分をすっぽりと覆う。  そんな彼をちらりと見上げると、さきほどまでと変わらない、人のよさそうな瞳で微笑まれる。  ――せっかく殿下がおやすみをつくっておでかけしてくださっているのに、こんな天気じゃたのしんでいただけないわ……  暗くなった空とともに、ウララの気持ちも沈んでゆく。 「ウララ嬢、顔を上げて。さあ、ここだよ」  ウララが連れてこられたのは、小高い丘だった。エーデルの視線の先には、あたり一面に花々が咲き乱れている。  雨露に濡れる花々は、陽光に照らされているときとは異なる趣がある。 「わ……きれい」  ウララは感動して口元を押さえた。 「ここは城下でいちばんきれいな花畑なんだ。ウララ嬢にもそう思ってもらえてうれしい」 「この美しい景色を守れるように、私がんばります」 「それはとても頼もしい。で、でもね、きみを呼び寄せた理由はそれだけじゃないんだ」  歯切れの悪い言葉じりに、ウララは顔を上げる。目が合うと、ぱっと顔を逸らされてしまう。 「なんでしょうか」  ――いよいよ婚約の本当の理由が聞けるのかしら。  不安に思いながら、エーデルをじっと見つめる。すると、エーデルは空いている手で顔を覆ってしまった。 「……一目惚れ、だったんだ」 「はい?」  蚊の鳴くようなか細い声。ウララは意味がわからず聞き返してしまう。 「ウララ嬢、きみに一目惚れをしたんだ」  こんどはウララを見てはっきりとそう言った。目が合うと、真っ赤な顔をしている。 「あの、私たちお会いしたことはなかったですよね」 「しゃべったことはない。でも、きみを遠目で見たことはあるんだ」  それからエーデルは、ウララと出会ったときのことを語りはじめた。  いまから三年前、世界的に猛暑が続き、ウララの国が日でりで悩んでいたころのこと。  公務でウララの国を訪れたエーデルは、田畑で祈りを捧げるウララの姿を見たというのだ。 「ひどく枯れ果てた田畑をきみが歩くと、雨がふりだした。女神の御業かと思ったよ」  当時のことを思い出しているのだろう。エーデルは遠くを見つめてそう言った。 「そんな、大げさな……」  たしかに三年前のあの夏は日でりがひどく、生まれてはじめて雨ふらしの呪いが役に立ったときだった。  その姿を見ていたのなら、今回こうして呼び寄せられたのは納得がいく。  ――でも一目惚れって。  愛しいものを見るような目でウララを見つめるエーデルは、たしかに恋をしているようにも見えなくなかった。 「びっくりするよね。でもそれだけじゃないんだ。感謝してこうべを垂れる人々に、きみは地面に膝をつけてなにか話していただろう。衣装が泥まみれになるのもを厭わずに。それが印象的だったんだ。どれだけ美しい心の持ち主なのだろうかと」 「そんなたいした人間では……」 「たしかにまだきみがどういう人間なのかはわからない。でもこの国を一緒に守りたいと言ってくれたあの瞳を見て、やはり僕があの日目にした光景はまやかしでもなんでもなかったんだと思ったんだ」  まっすぐな瞳を向けられ、ウララは自分の頬が熱くなるのを感じる。 「あ、あの」 「うん」 「このコート、雨を弾いていますよね? 私の国にはこういうものはありませんでした。この国にはこんなすてきなお召しものがあるのですね」  話をそらそうと思い、気になっていたことを口にする。  エーデルは小首を傾げ、「ん? ないよ」と言った。 「え?」 「きみが外に出ると雨をふらす体質だって聞いて、服飾職人に相談してつくってもらったんだ。そうしたら、雨でもこうやってきみの隣にずっと立っていられるだろう」  今度こそ、ウララは赤面した。  ――そんなの、ほんとうに私に会う前から私のことを考えてくれていたってことじゃない。  ウララは甘い雰囲気に耐えられなくなって、花々に目を向ける。 「雨がふるフローラ王国も美しいんだ。きみと一緒に見られたら、とてもたのしいのではと思って」  うっとりするほど甘い口調で、エーデルはそう言った。 「あ、雨、やんだね。こういうこともあるんだ」  エーデルは頭上のコートをおろし、ウララから離れてばさばさと雨をふり落とす。  ふれあうくらいの距離にいたエーデルが遠くに行ってしまうのが寂しくて、気づけばエーデルの服の裾をつかんでいた。 「それは、もうしばらくこうしていてもいいってことかな?」  ウララはこくりと頷く。  服をつかむウララの手を取り、そっと腰に手を回した。 「虹、きれいだよ」  そう問われても、ウララは赤面する顔を見られたくなくて顔を上げることができない。 「ウララ」 「はい」 「一緒に虹を見ようよ」  そろりと顔を上げ、空に目を向ける。  たしかに虹を背にする花々はまた違う美しさがあった。 「これからよろしくね」  そう言ってエーデルは微笑んだ。  花を扱うような優しい手つきで顎を掬われ、口づけをひとつ。  どちらのものかわからないほど鼓動がうるさい。  ウララは遠くない将来、この人のこと好きになる予感がした。
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