01.依頼

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01.依頼

「ああ来たかアサヒ」  その声を聞くと同時に俺は頭を下げ、相手の顔が見えないようにする。この鳳凰(ほうおう)という組織のボスである(おおとり)アキラは顔を見られるのを酷く嫌うのだ。ボスの声に短く返事をしてから続く言葉を待つ。 「調べてほしい構成員がいるんだ。調べてくれるか?」 「もちろんです」  そこまで会話をしてようやく顔を上げ、ボスが差し出してくる紙を受け取った。そこには数行の概要しか書かれていないように見える。 「……これだけでしょうか」  躊躇いがちにボスの顔を見上げてみたが、夕暮れの強い逆光により顔を窺い知ることはできなかった。ボスが何も答えようとしないのを悟ると、再び紙に目を落とす。  そこには組織内で流行しているらしいマッチングアプリがあることと、そのアプリ内のコミュニティーで「姫」と呼ばれる人物がいることのみが書かれていた。うん、何度見ても情報が少ない。 「その『姫』という人物を調べてほしい」 「承知しました」  落胆の表情が知られぬよう気をつけながら、手を振るボスを横目に深く礼をして振り返り歩みだした。建物の外で警備をしている構成員に挨拶をしながら所属する烏丸(からすま)の事務所に戻る。  烏丸は部署ということになっているが、現在のメンバーは俺1人だけだ。これでも結構業務内容はシビアな方で、それについていけなかったメンバーが次々と辞めていくという事態が発生した。そして残されたのが俺1人。なんて惨めだろう。  事務所に戻ると外付けの階段を上がって居住スペースに移動した。  ベッドに寝転がりながら、先ほど貰った紙を再び確認する。 「マッチングアプリって、なんだ?」  もちろん、マッチングアプリという物が何たるかは十分に知っている。だが、この組織がマフィアであり、男所帯であることを忘れてはいないだろうか。女性がいないわけではないとはいえ、いても10人やそこらだ。構成員の大多数は男が占めている、となると。 「男同士のマチアプってとこか」  姫と呼ばれているのはもしかしたら女かもしれないが、利用者の大半は男だとみて間違いないだろう。  調査対象をある程度絞ったところで、スマホが鳴った。鷦鷯(さざき)からだ。 「お前さあ、よく一人でやってるよな」  金色の長い髪を1つに束ねた鷦鷯がお気に入りのコーヒーを飲みながら俺の作業を注視している。こいつは幹部四人組の中で最も若く、この烏丸という有能部署を雑用に駆り立てる大馬鹿者だ。そんなことは外にいる警備にでもやらせればいい。というか、専属の補佐はどこに行った。 「いやあ、イツキは優秀だからすぐ出張に行っちゃってさ。お前だけが頼りだよ」  イツキ早く戻ってこい、と願わずにはいられまい。この自堕落な男にはお前みたいな几帳面な男がいないと成り立たない。  鷦鷯に頼まれた雑用をこなしながら、先ほどのマッチングアプリの依頼のことを考えた。元々こうやって仕事中に他の仕事のことを考えるような性質ではないのだが、こればかりは知らなかった世界の話だ。興味を持って何が悪い。 「――アサヒ」  突然鷦鷯に名前を呼ばれて驚き飛び上がりそうになるのを堪えた。自分の心中がバレたのかとも思ったほどだ。鷦鷯は神妙な面持ちで言った。 「これガチの相談だけどさ、烏丸いい加減に増やしたら? 俺、お前が忙しそうなの見ててツラいんだわ」  そんなことはないと言いかけた口を無理やり閉ざした。自覚がないと言えば嘘になるからだ。マッチングアプリの調査の依頼を受けたはいいが、それを実行する時間は果たしてあるのか。その見当もつかないほどに、俺のスケジュール帳は予定で埋め尽くされている。最後のメンバーが辞めてから、俺はスケジュール帳をマンスリーからデイリーのものに買い替えた。  今日だって朝食もと昼食もとるのを忘れた。いや、意図的にとらなかった。そうしなければ仕事が回らない。最近は眠れなくもなっている。これはむしろ好都合かもしれなかった。寝ている時間などないのだから。 「――その顔は自覚あるんだよな?」  俺は素直に頷いた。 「仕事ができるお勧めの奴紹介してやるから待ってろ」  今までメンバーが辞めていく一方で一向に増える気配を見せなかったのは、俺のせいでも鷦鷯のせいでも、はたまたボスのせいでもない。”有能な”希望者がいなかったせいだ。シビアな仕事環境はその理由の1つ。たとえば四六時中幹部クラスに会わなければならないこと。それは近い将来の出世を確実なものにすることと等しい。だから出世に目がない奴らはいくらでも志望するかもしれないが、そいつらが実務をこなせるかといえば大抵の場合答えはノーだ。安定した稼ぎ口があればいいと思っている奴が多い組織ではあるから、こういうハイリスクハイリターンの職種に就きたい奴はそもそもあまりいない。というわけで滅多に増えないし、増えてもすぐに辞めていく。ほんの一時的な教育体制に俺の時間を割くぐらいなら一人で頑張った方が楽だろうと判断された、とそういうわけなのだ。  俺はため息をつきながら立ち上がり、鷦鷯のいる方を見下ろした。 「そんなこと、今まで何回やってもダメだっただろ。並大抵の奴には務まらないんだよ」  もう、怒りを越えて諦めの域にまで達していたかもしれない。現状は変わらない、変わりようがないと俺は悟っていた。せめて俺より優秀な奴がいれば。しかし、そのような人間はすでに幹部の側近クラスという高い地位を与えられている。一部署に収まりつづけたいやつなんていない。 「そんなに怒るなって。大丈夫、今度こそいい奴を見つけてやるから」  俺は憤慨した。  鷦鷯が楽観的なことはもう何年も前から知っているけれど、楽観と無責任は違う。これまでただの1回も、こいつが有能な奴を見つけてきたことはないのだ。それなら他の幹部――善知鳥(うとう)(におどり)(おおとり)――に相談した方がいいとすら思う。実際にはこの3人は話しにくいので直談判しに行くことはないけれども。  ああ、そうだ。認めよう。俺だってこの状況に十分無責任なのだ。自分のことなのに変える気がない。話しにくいとか緊張するとか、そういうくだらない理由だけで現状を変えることを諦める。だから現状は変わらないのだ。 「俺が探す」 「何?」  少し声が小さかったかもしれない。鷦鷯が聞き返してきたので、今度こそ大きな声ではっきりと宣言した。 「俺が探してみせる」
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