07.辛酸

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07.辛酸

 夢を見た。祖母に、怒られる夢。  マフィアという影の道を選んだ自分に、幻滅される夢。    生まれた時から、厳しく育てられてきたという自覚はある。  両親はともにT大卒のエリートで、世界で一番頭が良いのは自分だと疑わない勝気な性格に、横に誰が並んでも見劣りさせるほどの麗しい容姿の持ち主だった。父は開業医、母は商社の経営者をしていた。  弟と妹が一人ずついたが、彼らは両親の生き写しのような人間だった。互いを蹴落とし合う弱肉強食の資本主義社会で生きる模範のような人間だった。彼らもよく勉強ができたので、全国でも有数の進学校に軽々進学を決めていた。  だが俺だけはそうはいかなかった。誰譲りなのかも分からない弱気な性格に、頭は回るし知識もあるのになぜか勉強のできない残念な頭脳を持っていたからだ。長男でありながら進学校で落ちこぼれになった俺を、弟と妹は心の中で嘲っていたことだろう。まるで機械かのように精密に、しかし不気味に生活している彼らに、侵蝕されずにいたことは当時の俺にとっては不幸なことだった。だって両親が示す道にしか正解も幸せもなかったから。  でも俺には抜け道があった。母方の祖母だけは、エリートでもなければ勝気な性格でもないまるで平凡な人間だった。夫である祖父にどうして選ばれたのかも分からないほど普通のおばあさんで、勉強に疲れ果てた俺が家に立ち寄るといつもお茶と煎餅を出して慰めてくれるような心の癒し。子供全員をエリート街道へ進ませようとする両親を宥めるのはいつも祖母の役割だった。  その日はたまたま模試なんかがあって疲れていたんだと思う。そう信じたい。そうでなければあんなに酷いことを言う訳がない。 「俺がこんなんなのは全部ババアの遺伝子のせいだ。ババアさえいなければ」  もしかしたら何かに取り憑かれていただけかもしれない。俺には祖母を傷つけようなんて気持ちは微塵もなかったから。  祖母は、俺がこの言葉を発した翌日、心臓発作でこの世を去った。  忙しい母は碌な葬儀も行わずにお別れを済ませた。元々考え方の合わない2人は仲が悪かったらしい。祖父も数年前に亡くなっていたがこんな扱いではなかったと記憶している。  俺は酷く後悔した。ただ1人だけ、俺を信じて応援してくれる人だったのに。俺はなんてことを言ってしまったんだ。  その後、心に抱えたままの闇は消えることがないまま、俺は大学受験に失敗した。浪人する気も失せ、すぐにグレた。もし祖母が生きていたらこんな道には進まなかったかもしれないけれど、俺には他に道がなかった。じわじわと首を絞められる息苦しさに耐えきれなかった。  虐待されていたわけじゃない、実際に目の前で悪口を言われて笑われたわけでもない。むしろ俺は他の兄弟並みに愛されていたとさえ思う。だが、俺は自分のことを愛せなかった。だから他の人に受け入れられているかなんてどうでもよかったのだ。  グレた俺はすぐに逃げ出したくなった。不良たちの目は想像よりも死んでいた。今までルールを守ることを当たり前として生きてきた俺には新しい世界だったけれど、生に無頓着なまま生きることは酷く恐ろしいことだった。何度か警察に補導されたこともあったが、俺はその度に震えていたし、もうやめたかった。  でも、久々に帰宅してみた俺に降りかかった家族の目線はとても冷たいものだった。エリート街道まっしぐらの弟と妹、それを喜ぶ両親。その視線を浴びた時、俺は初めて家族に見放されたことを知った。時が経つにつれ、自分にはこういう悪の道しか残されていないのだと思うようになった。  違法行為をする時、思い浮かべるのはいつも亡くなった祖母の顔だった。祖母に謝りながら、それでもこの道しかないと信じている俺。それはとても哀しいことだ。辛いことだ。けど、もう俺はあの時の純粋なシュウヤには戻れないんだ。  それから今の鷦鷯(さざき)であるシノブにスカウトされて鳳凰に入った。  鳳凰はルールで縛られた、奴らに言わせれば窮屈な場所ではあるのだが、それだけビジネスとして違法行為をしていると割り切れる、俺にとってはいい場所ではあった。プライベートで違法行為をすることは許されておらず、した者は罰せられる。そこら辺の不良とは格が違うと見せつけるかのような法治体制が敷かれている組織なのだ。俺のように居場所を求めている者もいれば、もちろん目立ちたがり屋や興味本位の奴らもいる。だが彼らに共通しているのは、皆ここ以外の場所で誰かに愛されたことがないということだ。  俺は自分を愛することはとうに諦めた。今考えているのは、どうしたらローコストで周りから注目を浴びられるのか、出世できるのかだ。
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