キラン コロン カラン クルン

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 母方の祖父が認知症と診断されて三年、介護をしていた祖母からSOSの電話が来たのは、私が会社を辞めて少し経ってからのことだった。  母の兄弟は皆とっくに家を出て、それぞれ家族や仕事を持っている。  職がなく暇を持て余していた私が手伝いに行くのは、当然の流れだった。  所謂(いわゆる)『老・老介護』で、祖母一人に祖父の面倒を見てもらっているのは、心のどこかに負い目があったし、血の繋がった祖父の面倒を見ること自体はやぶさかではない。  ただ本音を言えば、私はここにはなるべく来たくないという思いがあった。  私は小さい頃、一時期ここに住んでいたことがある。  父の浮気が元で離婚した母が、(しばら)くの間実家に戻っていたのだ。  今大人になって振り返れば、当時の母がどれだけ辛い状況だったか、想像がつく。  でも幼かった私は、突然父がいなくなり、仲の良かった友達とも引き離され、慣れぬ環境に置かれたことで、母を恨み、責めた。  ここに来たのが確かゴールデンウイークの間で、東京に戻ったのが夏休み。結局滞在したのは四ヶ月にも満たない。  その間母は、私を出産する際辞めてしまった職場に掛け合って再就職を決め、住む所を決め、私が通う小学校の転入手続きを済ませたのだ。  ひたすら嘆き悲しんでいたとしてもおかしくない時期に、次のステップに移った母は、パワフルな女性だとつくづく思う。  でも母曰く 「舞があっちに行った途端しょんぼりして心を閉ざしてしまいそうになってたんで、これはいけない!ってエンジンがかかったのよ。でなきゃいつまでもメソメソしていたかも知れない」 だそうだ。  私のしょんぼりがお役に立てたようで…まあ、何よりである。  そんなわけで、私にとって余りいい思い出がないこの地に戻ってくることは、気が進まないことだった。  いや、いい思い出がないというより、むしろ思い出そのものが余りないと言った方が正しいか。  ここでの記憶自体が(ほとん)どない。よほど嫌な思いばかりしたので、無意識に記憶から消してしまったのだろう。  とはいえ、体だけは元気な祖父が昼といい夜といい目を離すとすぐ徘徊(はいかい)しだすので、おちおち眠ってもいられないと言う祖母を、誰かが助けなければならない。  もう子供の頃とは違うのだし、前向きに対処せねば!
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