『la chiacchierata.』(ロレンツォ×レオナルド)

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 ウェイトレスは手早くメモをつけて、短い返事とともに店の厨房へ立ち去っていった。その途中で酔っ払いに絡まれても軽くいなす姿は、十五歳の少女にはとても見えない。きっとここで長く働き、彼女はいずれ店を継ぐつもりなのだろう。ロレンツォは忙しないその背中を見ていたが、ふとさっきのことを思い出し、レオナルドを睨めつけた。 「お前は知ってて、どうしてすぐ言ってくれない」 「え?」  キョトンとしたレオナルドは一瞬の沈黙のあと、ああそうか、と何かに納得したように頷いた。 「俺はずっとダウンタウンとか、あと下町で過ごしてきたから、もう当たり前なんだよ。ここの人間がどんな生活をしてて、どんな言葉を話すのか。誰の傘下にいて、影響を受けているのか。この辺はずっとファミリーのシマだから、影響も他んとこよりずっと受けてる。だからイタリア語も当然のように話せるんだよね」  この話が意味することは、ダウンタウンでもこの辺りはマフィアの加護なしじゃもうやっていけないということ。見事なまでの共依存が完成されると同時に、裏社会のしきたりに縛られ続けるのだ。  マフィアの幹部としては、自分のシマでなくとも組織の糧となるモノは多いに越したことはない。しかし実際に目の当たりにすると、何とも言えない気持ちになる。人を傀儡にしているような、洗脳しているような、妙な気持ち悪さをロレンツォは感じていた。 「喜ばしいことではあるんだがな」  言葉に似合わず、ロレンツォの表情は曇ったままで、レオナルドも同じくヘラリとした笑顔を引っ込める。 「だよね。組織の影響力っての?こうして"こっち側"を実感すると、変な気分」  レオナルドの視線が落ちた。テーブルの上で手持ち無沙汰に組んだ両手の、親指を何度も組み直す。 「……支配するって、こういうことなのかな。影響を与えて、無視させないようにして、媚びを売らせて、一生終わらない依存を強いて……なんかクスリみたいネ」  わざとわしく明るくなった声音に、ロレンツォは苦い笑みを浮かべた。 「うまいこと言うな」 「ま、ホンモノの薬に比べちゃカワイイもんだけどねん」  アハ、と乾いた笑いをレオナルドが浮かべると同時に、ウェイトレスがビールジョッキを持ってきて、ニヤリと笑った。 「悪巧みするならここはうってつけよ!レオのことは信頼してるし、アタシって口が堅いから!」  レオナルドとロレンツォは一瞬キョトンとして、二人で顔を見合わせると声を出して笑った。 「な、なによ?」  戸惑うウェイトレスに「そりゃあ頼もしいことだ!」とロレンツォが言い、レオナルドは「ザンネンながら、今日はくだンない話だけ」と言う。その言葉に彼女は「アラ、ホントに残念」と言い残しホールに戻っていく。レオナルドとロレンツォは今にもビール泡が溢れそうなジョッキを持ち、お互いに笑いながらカンッとぶつけた。 「末永いファミリーの繁栄を願って!」 「マイボスの健康に」  持ち手に泡が零れてしまったのも気にせず、何か吹っ切れたようにビールを飲みこみ喉を鳴らす。冷たく、ピリリとした炭酸は、ヘタレた体と脳に気持ちいい刺激を与える。麦の香ばしい香りと苦味の少ない味わいから、先に口を離したのはレオナルドだった。 「そうそう、俺も最近になって知ったことではあるんだけどね」  相槌とともにロレンツォも大きく息を吐き出す。ジョッキの中身は既に半分になっていた。 「流通区域整理の話。俺も行ったことがないような街の端の方も調べてて、そのうちに俺たちの組織がどんだけ深い根っこ張ってるか、自然と見えてくるんだよ」  レオナルドの視線がすっとホールへ移り、細くなる。自然とロレンツォの視線も動き、明るい店の中を見渡した。  気づけばほぼ満席の店内には談笑する声と、たまにどっと押し寄せるような笑い声で満たされている。よく聞けば、時折イタリア語のスラングが混ざっていた。それを話す男たちの前には酒と暖かい料理があり、たまに見えるショットグラスはスピリッツだ。金を置いて立った客のテーブルにはエスプレッソカップも置いてある。  昔の、それこそ移民時代なら馴染みのある光景だろうが、こういったイタリアから渡ってきた文化は今ではほとんど見なくなった。センター街や港通りのホテルでは言わずもがな、イタリア語を話せる人間はそれこそファミリーの関係者ぐらいで、なんなら全く単語も知らない奴もいる。  だというのにここは。ぼうっと見ていたレオナルドがボソリと小さな声で呟いた。 「正直、金持ちや高官と酒を飲むより、街に出て人とお喋りする方が……こうしてる方が、シノギまわしてるって感じがする」  騒がしい店内でもロレンツォにははっきりと聞こえていたが、そりゃあそうだろうと内心で頷くだけで、特に反応せずちらりと目を向けるだけに終わった。  ロレンツォは、表向きは大手事業主の一人としてシノギをまわす。営業や交渉の目的での会食の他に、輸入関連の管理や、投資家たちへの挨拶が主な仕事だ。そうしたビジネスの間に、一人きりで自分の店やカジノを周るのが、ロレンツォのちょっとした楽しみだ。  人々の反応、特に喜んだ顔や楽しそうに悩む顔を見ていると、自分の仕事の成功を感じると共に、生業とするもの全てがこの街の一部になっているのだと、満ち足りた気分になる。  レオナルドに限っては尚のことだろう。カポの一番の仕事はファミリーを守ることで、やることと言えば会食や招待を受けたパーティへの参加と、おびただしい量の書類に目を通してサインを書くこと。見える成果なんてのはロレンツォたち幹部や、兵隊の無事だ。当然、ファミリーの無事は重要なことだが、楽しさなんて無い。  しかしこうして歩いてみれば、それが街の人間の生活と繋がっていると実感できるのだ。部屋の中でメンツを保つのと、街の人間と会話すること、どちらが『シノギまわしてるって感じがする』かなんて比べるまでもない。
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