『Troppo dolce non è una cosa negativa.』(メリダ×レオナルド)

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 サンドロが用意したのは、心を落ち着かせる蜂蜜入りのハーブティなどではない。もちろん、心も身体も元気になるような美しく愛想のある娼婦や、可愛い犬猫でも無かった。  目の前のテーブルいっぱいに置かれているのはピザやパスタや肉料理で、どれも白い湯気を立てている。 「たんと食べて飲んで、そんでもって話せ!」  傍らにある安いワインの栓を抜き、サンドロはレオナルドのグラスへと傾けた。  香ばしい油と暖かな小麦の匂い、芳醇なバジルの香り、鮮やかなトマトの色。そのどれもが食欲を余すことなく刺激して、起きてからミネラルウォーターしか腹に入れていないレオナルドには耐えられなかった。大きく唾を飲み込むと、さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのか、ローストハムに勢いよくフォークを突き立てた。    白いテーブルクロスにいくつかの染みができた頃、やっとレオナルドは口の油を拭き取った。 「俺って……」  ようやく話す気になったらしいレオナルドをサンドロは目だけで見るが、視線は合わない。しかしレオナルドは気にせずに続けた。 「俺ってさ、結構だらしねぇじゃん?」  思いもよらなかった言葉に、サンドロの手が止まった。  「俺は顔が綺麗だ」「俺は運がいい男だ」、そんな言葉をレオナルドから聞くことはあっても、自己評価を自分から下げてきたのは初めてだ。何よりだらしないという自覚があったことに驚きだった。  サンドロは口の中で行き場を無くしていたワインをなんとか飲み込み、目の前で答えを待つレオナルドに何と言うべきか腕を組んだ。いや、答えは既に決まっていたが、ここで「分かっているならどうにかしろ!」と叱咤するのは、何となく違う気がする。言いたい気持ちもない訳では無いが、その役回りはきっと幹部の誰かが買って出てくれるだろう。  サンドロは咳払いをし、どこか改まったようにレオナルドに向き直った。 「こう言っちゃあアレだが……レオナルド、お前ぇ、かなりのダメ人間だぜ。今まで生きてこれたのが不思議なぐれぇだ」 「冗談やめてよ」  小さく笑って流すレオナルドに、サンドロは何も言わず、肩も竦めない。そんな様子にレオナルドから段々と笑顔が消えていった。 「……違うの?」 「そんで、それがどうしたってんだ」  続きを促すサンドロに不満げに唸るレオナルドだったが、まあいいかと話し始めた。 「役員会の前に会議があったんだ。幹部会議ってやつ?それに寝坊しちゃって」 「いつものことじゃねぇか」 「いつもじゃないっての。しかもさぁ、たった十分!オンナとヤるより時間かかってないだろ?」 「……冗談だろ?」  平然と言い、同意を求められるが、サンドロが頷けるはずがない。子供同士の約束ならまだしも、組織の幹部達との決め事だ。ようやくカポとしての自覚を持ってくれたと感激していたのだが、思い違いだった。  顔を顰めるサンドロになのか、イエスを貰えなかったことに対してなのか、レオナルドは溜息を吐いた。 「分かってるよ、俺だって会議に遅刻するのがありえないってのはちゃあんと理解してる……ただの一秒だってね。だから、まあその、罵詈雑言ってほどじゃないけど、文句を言われるのは当たり前だって思ってるよ」  サンドロは思わず「本当か?」と言いたくなるのを堪えて、ただ頷いた。もし自分が幹部の立場であり、カポがレオナルドでなくても、一言嫌味でも言うだろう。  正直な反応を見せる養父にレオナルドは苦笑を漏らした。サンドロですらそうなのだから、レオナルドとより親しい幹部連中は文句に罵倒を混ぜてくる。もちろん本気で言っている訳ではないと分かっていて、会議が終わりさえすればその険悪な雰囲気も切り上げられるのだ。  それにレオナルドが遅刻することは多い。どうせ昨日の夜会のせいで寝坊だろうと、最近は遅れても誰も何も言わない。そしてそのまま会議が始まるのだが、何故か今日だけは違っていたのだ。 「メリダ、めちゃくちゃキレてんの」  『めちゃくちゃキレてる』メリダを思い出したのか、レオナルドは小さく唸った。 「しかも次の会議はもう少し遅い時間に、なんて言い出してさぁ。……あの時のロレンツォの顔、マジで怖かった」  ロレンツォの名前でサンドロが真っ先に思い浮かべたのは、瀟洒(しょうしゃ)な服飾や宝飾の数々だったが、それらも間違いなくロレンツォのシノギでもある。だが彼の大きなフロントカンパニーは法人向け不動産で、港通りの高級カジノホテルを中心にセンター街の物件を取り扱っている。  当然ながら企業を相手に取引をするロレンツォの予定は決して暇と呼べる訳がなく、そんなギリギリの予定をずらすのは容易ではないだろう。ロレンツォの凛々しい顔が険しく歪むのが想像できる。  しかしそんな事情も把握しているはずのメリダが、なぜ急に伝統を覆すようなことを言い出したのだろうか。それほどレオナルドの遅刻癖に耐え兼ねていたのだろうか。 「あのメリダがなあ……」 「そのメリダが!俺の寝坊対策のために?真面目の見本みたいな男が?俺の言いたいことわかるでしょ」  確かに、そこまで一物抱えていたならば何も爆発するまで抱え込まず、早い段階で言えば済んだことだ。レオナルドに少しの警告でもしてやれば、ロレンツォだって眉間に皺を寄せなかっただろうに。  そこまで考えたところで、サンドロははたと思ったことを口に出した。 「それとこれと、お前ぇが役員会に顔見せしないのと何が関係してんだ」  メリダがキレていた(と言っても程度は計り知れる)ことは分かったが、それがなぜレオナルドがエントランスホールでぶすくれていたことと関係するのか。サンドロの然る質問に、レオナルドは少し俯きながら答えた。 「……いいって」 「あ?」  聞き返すサンドロにレオナルドは唇を尖らせながらもう一度、今度は吐き捨てるように言った。 「お前は今日は出なくていいってさ」  つまるところ、メリダは今回の遅刻に腹を立て、会議の時間を変えたことに加えレオナルドの役員会出席を拒否したのだ。  まるで天変地異でも起こったのか、とサンドロは思った。それもそのはずで、役員会の出席はカポの重要な仕事の一つであり、仕事については煩いメリダが仕事をサボれと言ったのと同じということになる。 「顔見せはカポの仕事だろぉが」 「俺もそう言ったよ?でもあのメリダを説得とか、俺にはムリ」  やんわりとメリダを非難するサンドロを横目に、レオナルドは首を振った。 「怒り通り越して呆れられてんだろうなぁって。これでもね、ダメな自分に凹んでんの」  腹の底から息を吐き出して、レオナルドは椅子に深く背を預けた。そんな様子をサンドロがグラスを新しいボトルワインで満たしながらじっと見つめる。  実はサンドロにはメリダがレオナルドを役員会から遠ざけたい理由に心当たりがあった。それはもちろん、怒りにまかせてとかいうものではない。さらに言えばメリダは"それ"をこれ以上レオナルドに見せたくなかったのだろう。 「なぁるほどなぁ……」  そっと呟き、サンドロは開けたての香り立つワインを一口含んだ。
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