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遡ること一か月。サンドロは顧問として、そして父親として、本部に缶詰めになっているだろうレオナルドに会いに来ていた。
手土産には息子の好きな甘い菓子を持って、話ついでに頑張りすぎるその若いカポ・レオナルドに息抜きをさせる。サンドロがいつも使う手段だ。エントランスからエレベーターへ向かっている時、後ろから誰かに呼びかけられた。
『顧問』
その声に振り返ると、遠くから足早に近付く立派な身なりの男が一人。傍まで来ると、サンドロよりも下にある目がにこりと細められた。
『お久しぶりです』
『おお、メリダ!』
お互いに形式的な挨拶を済ませて、二人して歩き出す。
『どうした、閑散期か?』
サンドロはメリダを珍しそうに見る。この時間、というより日が高いうちはメリダは弁護士たちに指示を出したり、検察からの司法取引に応じたりなど、いつも忙しそうにしている。金にはならないが、それがメリダのシノギであり、組織における役割だった。メリダは真面目で頭が良く、大学も出ている。彼ほどの適役はない。ただ責任感が強すぎるせいでワーカーホリック気味なのが少々問題ではあるが。
そんなメリダが本部で油を売っているわけが無い。すると仕事が落ち着いたのか、それか本部に用があり戻ってきているかのどちらかだ。
『実は相談したいことが』
今回は後者のようだ。急遽行き先をレオナルドの執務室から応接室に変更し、人払いをする。
メリダは神妙な顔で『レオには内密に』と言った。どうやらこの相談というのはカポであるレオナルドにも話したくないらしい。サンドロは二つ返事で了承した。
『そんで?相談っつうのは何だ』
メリダは頷いて、本でも読むように淡々と話し始めた。
『本来の役員会は組織を支える名家やその分家の代表を集め、意見を出し議論するものです。なので途中に野次を飛ばすことも重々承知しています。そのうえで、レオが襲名後、役員のご老齢方の言葉が随分と過ぎるようになっていまして』
役員会、とい聞いてサンドロは何となく内容を察していたが、やはり思った通りだった。
サンドロも立場上、役員会に出席していたが、先代のカポが身を引くと同時にサンドロも顔を見せなくなった。メリダの言う通り、役員会は組織に対する意見を言い合う場所ではあるが、そんなことを誰が覚えているのか。一番最近に出席した時に役員たちの口から出ていた言葉は不満と罵声と下らない冗談だけだ。ただの愚痴大会と言っても過言ではない。
聞いているのも馬鹿らしくて、顧問という立場を使い出席を拒否し続けていたが、サンドロが出席を拒むようになった理由はそれだけではない。
レオナルドの襲名後、役員会で改めて顔見せが行われた。穏やかに進んだのは最初だけで、次第にいつも通りの不平不満を撒き散らすものへと変わっていった。ただいつにも増して言葉が下品なもので、最後には聞くに耐えない下心を隠そうともしない侮辱がちらほら聞こえた。
極めつけは退出際で、役員たちの中でも発言力の強いジハドという初老の男が放った一言だった。立ち去る役員と形式的な別れの挨拶をしていたレオナルドは疲れからか油断しており、いきなり顔を無遠慮に掴まれた。その相手がまさにジハドで、ジロジロとレオナルドの端正な顔を値踏みするように見て、急にニヤリと気味の悪い笑顔になった。
そして『どこの娼館出身だ?それとも破瓜前か?私ならたっぷり可愛がってやるぞ』と言ったのだ!
殴りかかりそうになったのはレオナルドではなく、側に立っていたメリダとサンドロで、レオナルドはというと貼り付けたような笑顔で流し、その場はそれきりで終わった。
あの時、そしてあの老人の顔を思い出すだけでも気分が悪くなり、サンドロは奥歯をギッと軋ませる。もしジハドにまた会ってしまったら、今度は間違いなく手元の特注の杖で殴りつけるだろう。だがそんなトラブルをレオナルドが、ましてや組織が望むはずがない。これがサンドロが役員会に出席しなくなった理由だ。
『役員の連中はなぁ、頭の固い奴らばっかだからなぁ。ま、大方は若すぎるカポが気に入らねえっつう感じだろ。……ちぃと言い過ぎだとは思うがな』
言い過ぎどころか、即、その場で撃ち殺されたって文句も言えないな!とサンドロは心の中で叫んだ。
『レオナルドは気にするなと言うのですが、しかしカポとしての面子というものがあります』
メリダはまだ淡々と話していたが、その翡翠のような瞳の奥に激しく炎が燃えているのをサンドロは見逃さなかった。
メリダもサンドロと同じで、役員の老人たちが自分のカポを面白可笑しく侮辱するのが我慢ならないのだ。レオナルドがどれだけ耐えることに慣れていてもこの二人は違う。そしてサンドロに続き、メリダもとうとう限界がきてしまったのだ。
『何か制裁が欲しいって?』
『……』
サンドロはもちろん、メリダを止めるつもりはない。何ならこれを期に巣食う黒い膿を出そうと考えた。
メリダは問われた質問にすぐに頷かず、"制裁"という言葉の重みを測るように静かに言った。
『私は……大切な家族を侮辱されて黙っていられるほど出来た人間ではありません』
『そりゃ俺もだ』
同じだと答えたサンドロにメリダはやっと首を縦に振る。組織の顧問が言う"制裁"がどんなものか、その程度が決して軽くないものだと分かり、納得したのだ。
『ま、ちょうどいい頃合だと思ってたしな』
『何がですか?』
『椅子に座ってふんぞり返るだけの老人を、その杖で叩くんだ』
二人は爽やかに笑い合う。その笑顔は悪戯を思いついたような無邪気さがあった。
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